第312話 爛漫の岐阜城(9)

文字数 1,298文字

 秀政の話が終わっても、
兄弟はそのまま庭に突っ立っている。

 座敷の秀政がわざとらしい咳ばらいをし、
我に返った仙千代がようやく放った。

 「今朝は佐和山を早うに発って儂は腹が減っておる。
中食(なかじき)を用意させる故、
ここで共に食し、その後、
小者も交え全員で、邸の清掃じゃ」

 秀政が爆笑した。

 「万見の殿は、たどたどしいの!
始めは殿様調子だったが、
結局最後は殿も加わり皆で掃除か!」

 今までの彦七郎、彦八郎なら、
秀政に負けず大笑いを発するところだが、
今は何とか神妙な面立ちを保とうとしていた。

 「はあ、なかなか……そうは慣れませぬ」

 仙千代は赤面した。

 「ま、それは分かる。
儂も従兄が家臣になって当面は、
どうにも面映ゆく、尻がムズムズしよった」

 秀政は立ち上がり、庭の二人に告げた。

 「此度、上様は二人を、
万見の直臣にしようかともされた。
だが、知っての通り、
万見家はこれから栄える御家。
上様の御計らいにより、
二人は織田家直臣のまま、
万見の臣下、つまり陪臣となった。
これにより二人は、
上様の直参という高位を保持することになり、
結果、万見の家格を押し上げることになる。
とはいえ、三人が信義で結ばれておることを、
上様はよく御存知じゃ。
思う存分、年若い主の為、働くが良い。
幼少の(みぎり)から共に育ち、同じ道を行く。
これ程の幸せは無いぞ」

 信長の配慮、秀政の公正な態度に、
仙千代は胸を熱くした。

 「我ら兄弟、
滅多に居らぬ果報者でございます!」

 彦七郎の威勢の良い声は、
心なしか震えていた。
 見遣ると、兄は涙ぐみ、
弟が兄の肩に手を添えていた。

 今まで、親しい友、幼馴染だった二人が、
今日、仙千代の家臣となった。
二人の前途はこの身に掛かっている。
 そして堀秀政は、極めて多忙でありながら、
右も左も分からない三人をよく導き、
常に叱咤激励してくれた。
 
 仙千代は唇をきっと引き締め、
背を伸ばし直した。

 何をくよくよしていたのか!
何も悲しくなどはない!
儂は他を追い抜いて、
出世街道の先頭集団に加わったのだ!
目の前に居るのは誰だ?
堀様か?菅屋様か?それとも大津様?
いや、違う!
儂が追うべきは他の誰でもない!
儂は織田家の家臣!上様の御家来!
上様の天下布武をお援けするのみ!
そこに儂の求める光がある!
他の誰が何であろうが儂は儂だ!……

 簡単に昼を食べた後、
仙千代は清掃と家移りは小者と彦七郎達に任せ、
自分は思い直して万見の養父(ちち)手紙(ふみ)認めた(したためた)
 親類縁者はもとより、近隣の者、
交わりのある者で、
雇い入れることが可能な者に心当たりはないか、
仙千代は率直なところを書いた。
 
 万見家当主の父上に何も相談せぬなど、
それこそ父上に対し、
非礼この上ないことだった……
儂は思いあがっていた、
恥じ入るばかりじゃ!……
儂は父上の子、
父上に苦しみ、悩みを告げて、
おかしなことがあるものか……

 気持ちを切り替えてみると、
仏門や医道に進んだ生家の弟達も脳裏に浮かんだ。
有体に言って、口減らしの態で外へ出された二人には、
時折、仙千代は、
京で求めた書物や菓子を送ってやって、
すると、両名共、
たいした能書で返事が寄越され、
聡明に礼儀正しく育っていることが想像された。



 

 
 




 

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