第91話 秀政への問い(1)

文字数 1,711文字

 信長が早めに寝所で寝付き、
今夜は不寝番の役目も負っていないので、
仙千代は竹丸と夜風に当たった。

 水辺の多い立地の城だけはあり、
庭では蛍が暗闇に独特の光を放ち、
揺ら揺らと浮いたり沈んだり、集まっては離れたりした。

 若殿も蛍の舞いを、
何処かで御覧になっているのだろうか……

 「万見様は今も二間(ふたま)城に詰めておられるのか?」

 竹丸の声が仙千代を現実に引き戻した。

 二間城は今では廃城となっている鯏浦(うぐいうら)城と並び、
尾張の最南端に築かれている。
織田軍が今川軍と桶狭間で戦った際には、
長島辺りで当時から勢力を誇っていた服部氏が国境に攻め入り、
尾張を一時、浸食していた。
 長島や鯏浦と接地する二間城の主である古豪は、
織田家に援け(たすけ)を求め、以後、信長は、
家臣を二間城に派遣し、二間城を守護すると同時、
長島攻めの最前線の砦としていた。

 「養父(ちち)上は脚の具合が思わしくなく、
今では杖無しには歩けぬ日もあって、二間の城で、
武器弾薬や兵糧の管理の任に就いておる。
先だっての手紙(ふみ)には、
殿の御役に立てず情けないことこの上無しと、
無念が綴られていた」

 信長とほぼ同年齢の万見の養父(ちち)は、
桶狭間で骨にも達する怪我を脚に負い、
年齢と共に古傷の痛みが悪化していた。
桶狭間での負傷の後も信長の尾張統一戦に参じていたが、
長島の地の国境が曖昧であることから平定の必要に迫られると、
鯏浦、小木江(こきえ)の築城に携わり、
両城の主であった信興が横死の後は主に二間城に詰めていた。

 「万見様は、此度の長島攻めに当たり、
この一帯の特殊な地勢に関し、委細漏らさず詳細に認め(したため)
書状を岐阜へ送られたとか。先だっての軍議でも、
それを元に策戦が練られたと聞く」

 「うむ。名誉なことだ。
父上は鯏浦(うぐいうら)の城で亡き信興様にお仕えした時期があり、
二間城での防衛戦を命じられていなければ、
小木江城(こきえじょう)で信興様を追い、
他の八十柱の御忠臣共々、自刃していた。
一向一揆を憎む思いは強く、
尋常に歩くことさえ難しい我が身を恥じておられる」

 一方、竹丸の父、長谷川与次は今回、信忠軍に配属されていた。
この戦での信忠軍の威容は、
陸の三軍、海軍すべてに於いて最も凄まじく、
信長が総領息子に賭ける思いと愛情が滲み出ている。
信忠軍にほとんどの親類縁者を付け、
伴をする家臣団も信長の乳兄弟はじめ、
代を継いでの忠臣ばかりで、竹丸の父もその一人に含まれていた。

 つまり、長谷川家は、
竹丸の父から既にもう信忠配下となる道筋で、
この後、いずれ将来、竹丸も信忠の直臣へと移り、
織田家の次期当主を支える立場になるということが明示されていた。

 「恥じることは何もない。
万見様は清廉な御人柄といい、任に対する真摯な御姿勢といい、
敬うに値する立派な御方だ。
御怪我は桶狭間での名誉の戦傷。
それは殿も重々、御存知であらせられる」

 「うむ。殿には感謝するばかり。
未だ、岐阜より定期的に御典医を差し向けて下さっている」

 先だっての手紙(ふみ)には、
信長肝入りの伊吹山の薬草園で採取されたという、
南蛮渡来のラーヘンデル(ラベンダー)という香草の精油と、
煎じ薬が、薬草園から直々に送られてきたということで、
父は非常に恐縮すると同時、
ラーヘンデルなる薬草の清々しさ極まる香りと、
煎じて飲んだ後の爽快感、
精油を塗った際の心地良さを信長への謝意と共に書き綴っていて、
仙千代は信長の濃やかな配慮に父同様、感謝を深めた。

 竹丸と池の端に佇み、話していると、
東屋に向かって歩く人影があり、月夜の下で認めた姿は、
堀秀政だった。
 秀政は元はといえば鷺山殿の父 斎藤道三の家臣であった家柄で、
幼い頃は浄土真宗、
つまり俗に言う一向宗の僧となっていた伯父の許で育てられ、
やがて大津長昌、
次いで当時、木下と名乗っていた秀吉の下で働いていたところ、
才気を買われ、信長の臣下となっていた。

 小姓を務めた信長からは、寛いでいる時、
幼名の菊千代、菊と声が掛かるが、
仙千代や竹丸は、あらたまった場では名字を、
そうでない時は通名の久太郎(ひさたろう)、時には親しみを込め、
「きゅう様」と呼んでいた。

 「きゅう様」

 「月影の濃い夜ですね」

 仙千代と竹丸が声を掛けると、
秀政が、東屋に誘った。
 夕方まで曇っていたが、今は月を遮る雲はなかった。

 




 

 

 
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