第395話 志多羅の戦い(14)旅路の果て

文字数 1,131文字

 家康、信康父子の間近に迫った山県(やまがた)昌景は、
本多忠勝、榊原康政に阻まれて、
たださえ手薄になった赤備えが形を乱し、
加勢に駆け付けた内藤昌豊も押し戻されていた。

 信忠、信雄(のぶかつ)が布陣する新見堂山から、
合戦の進捗を見ることが容易くなっていた。
 つまり、敵の陣形が崩れ、
隊は疎らに(まばらに)なりつつあった。

 茶臼山の信長本陣から駆け出た馬廻り達が、
織田軍諸将の許へ、
陣触れを報せにたどり着くまでの早業は、
目を瞠る(みはる)ものがあった。
 指令を受けた部隊も、
直ちに佐久間隊を厚くすべく援護に回り、
猛将、馬場信春を押し返した。

 勝頼はまだ、
この戦を続けるつもりか、
既に(ひる)を過ぎている、
日没までに形勢の逆転はほぼ不能、
今からでも退却を決め、
隊の一つ、
将兵の一人でも多く残して帰り、
勢力回復に努めるべきではないのか、
このままでは勝頼本隊さえも丸裸になる……

 信忠が、
織田家の勝利を願わぬはずはなかった。
勝頼の噛み締めてきた口惜しさ、
惨めさも、
心中に留め置かれている。
 それでも尚、冷厳に観て、
突貫と撤退の分岐点に、
とうに差し掛かっているとしか、
思われなかった。

 河尻秀隆が独り言ちた(ひとりごちた)

 「四郎勝頼は、
そして武田の将は、誰と、
何と戦っておるのでしょうな……
斯様な高みで、
眼下を手に取るように総覧すると、
大敗は明々白々……」

 織田軍で、
秀隆以上に長く戦場に身を置く者は、
金森可近(ありちか)など極々僅かで、
数多の合戦を経て尚、
今がある古将の言葉には、
何とも曰く言い難い気色が込められていた。

 秀隆の心持ちを十二分に受け止めつつ、
信忠が返した。

 「あれは?」

 一縷の望みをかけて中央突破を目指し、
突進していた武将が、
奇跡的にも、
第三柵までたどり着いたところで銃弾を浴び、
配下共々、命を散らせていた。

 秀隆が自筆の控えに目を遣った。

 「土屋昌次にござる」

 「うむ」

 信忠、秀隆の間に沈黙があった。

 そこへ信雄が、

 「見事なり」

 と、口の端に心情を乗せた。

 真田信綱、昌輝兄弟も、
第一柵を突き抜ける勇猛果敢を見せ、
弾雨に入り、
赤い滴りを総身に降らせた。

 東国の侍は、
騎馬に優れ、武に秀で、
一対一で戦ったなら、
気炎に劣る尾張兵が勝てるものではないと、
かつて言われた。
 しかし、信長の出現を受け、
馬上で名乗りをあげて、
武者が槍、刃を交える時代は完全に終焉し、
戦いは点から線ではなく、
面での形態に一挙に時を移していた。
 家中に多くの敵を抱え、
家督相続にさえ辛苦を舐めた信長は、
尾張統一後、
徹底的に財力の獲得に努め、
戦となれば敵を圧倒する装備、
動員力に拘って、
戦術戦法も常に最新を求め、具現した。

 「ああっ!若殿!あれを!」

 と信雄の指す先を、
信忠も見据えていた。

 赤備えの主、山県昌景に、
武と忠に生きた歩みの(はて)が訪れつつあった。


 
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