第29話 蟄居

文字数 1,643文字

 仙千代が家に帰っていた期間はおよそ一月(ひとつき)だった。

 万見家では、仙千代が姿を見せた時は、
もしや鶴首されたかと皆が心配したが、
仙千代が家に戻って比較的すぐ、蟄居の期間が書状で届き、
如月下旬に再び出仕するよう記されていたので、
安堵したのは早かった。

 もちろん、仙千代もそこで安心し、

 またしても首の皮が繋がった……

 とは思った。
いくら信長の寵愛があろうとも他への示しというものがある。
たださえ公平を欠いた扱いをされている仙千代が、
大根を振り回し先輩小姓と乱闘を繰り広げたのだから、
ただで済むわけはないことだった。

 養父母(ふぼ)は仙千代が何故、喧嘩騒動を起こしたか、
委細は尋ねなかった。傷や打ち身を、ただ案じ、労わった。
 そして、父は、

 「身はひとつしか無い。大切に使え」

 と仙千代に真顔で告げた。
戦傷(いくさきず)で苦しんでいる父なればこその言葉だった。

 鯏浦(うぐいうら)へ向かうという時、竹丸が見送った。
その前日、殴ったくせに、

 「ひどい顔をして。痛むか」

 と訊くので、

 「竹に殴られた箇所がいちばん痛い」

 と答えると、

 「虫けらのような奴らを相手に喧嘩して、儂を心配させるな。
いちいち心の臓が縮む」

 と、冗談ではなく言った。

 「殿の期待も裏切ってはならぬ。
今日も今日とて、斯様に小者(こもの)を付けてくださって、
他の者達は歩いて帰るというに特別な御計らいで馬乗も許され。
来て一年の蟄居処分の小姓が馬で帰るとは前代未聞ぞ」

 「有り難き幸せ……肝に銘じる。
もう殴り合いはせぬ」

 「当たり前じゃ。では、またな」

 「竹、いつもすまぬ」

 「聞き飽きた。早く行け」

 竹丸が言うように、処分を受けた者達の中で、
仙千代だけが馬に乗り、家路についた。

 養父(ちち)手紙(ふみ)に記していたように、
万見家の敷地内に新たに建てられた邸に引っ越しは済んでいた。
雨漏りがした古い家屋は取り壊されて更地となっている。
 
 新造の邸はたいそう豪華なもので、屋根は瓦で覆われ、
骨組みは節がほとんど見えぬ木曽檜、
屋内も畳敷きの間が幾つもあった。
 およそ万見の人々の趣味とは思われない、
華やかな意匠の欄間や襖絵は、
信長の好みを反映したものだと知れる。
 仙千代の部屋も二間続きの畳敷きで、
初夏の草原のような香りが素晴らしかった。

 仙千代は、それらすべて、
おのれの実力で得たものではないと知っていた。
 何もしていないのに、信長に気に入られ、
与えられたのだった。
命を賭けて戦う雑兵が何年かかっても得られはしない御殿を、
城に上がって間もない小姓が手にしてしまう。

 青畳に大の字になり、香りを満喫していた仙千代だったが、

 竹丸の言うとおり、殿の御期待に沿うよう、
いっそう働かなければ……

 と、気を引き締めた。

 家では母や姉がまたも着物を新調しようとしたので、
仙千代は、

 「殿から何枚も頂戴して、袖を通していないものさえ、
あります。下帯だけ、仰山、お願い致します」

 と伝え、他には、新たに褌も頼んでおいた。
今年、仙千代は十四才で、いよいよ戦地へも行く。
甲冑を付ければ、下帯ではなく褌を身に着ける。

 甲冑か……
 蟄居が解ければ玉越に具足を頼もう……

 と考えたあと、玉越清三郎が思い出された。

 武田が徳川の領地に攻め入って、
若殿は松姫様と手切れとなってしまわれた……
入れ替わりに清三郎がやって来た……
けれど、若殿はあの御性格、
松姫様をお忘れになってはおられぬのだろうな……

 いずれにせよ、仙千代が入り込む隙はなかった。
それこそ、とっくに手切れとなっていて、
今では必要最低限の言葉を交わすだけだった。

 夜は、信長との褥でのやり取りが思い浮かんだ。
 真の真では信重を慕い、想いはけして力を失っていない。
だが、自分で慰める時、
信重との間にはあまりに何も無さ過ぎた。
 そこに信長から与えられる経験が上書きされてゆく。

 いつになったら若殿を忘れられるのか……
やっぱり会いたい、会いたくて堪らない……
ただ見て、お声を聞くだけでいい、
お会いしたい、若殿に……

 眠れない夜、最後はいつも信重のことを考えた。



 

 

 

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み