第125話 亡骸(2)

文字数 1,034文字

 「清三郎の肩を掴んだ瞬間、ずるっと瓢箪が剥がれ、
(せい)だけが海へ向かって……」

 見ると、三郎は瓢箪を抱いていた。

 「儂が美味いという顔をしたばかりに!
小木江の水を……」

 一気に涙が溢れた。
人の眼は一瞬にしてこれほどの涙を流すことができるのかと、
初めて知った。

 「左様な顏をしたばかりに。この儂が……この儂が……」

 必死の思いでそれだけを口にした。

 三郎が信忠に叫んだ。

 「違う!違います!」

 三郎の顔の傷はまだ血を止めていない。
強雨に打たれ、傷が塞がる暇がない。

 「今日が死ぬ日だった!清三郎は!
清三郎の死ぬ日は今日だった!副将様は関係ない!
誰も、清三郎の死に関係がない!
清は今日が死ぬ日だった!そう決まっていた!」

 言い終えると同時、三郎は、わあっと叫び泣き、

 「御免仕る!」

 と言い残し、信忠の視界から去った。

 遅れ馳せながら全員に怪我の治療を命じた信忠は、
雨に濡れるのも厭わずに庭へ下り、
三郎が庭石の上に置いていった瓢箪に取り縋り、泣いた。

 亡骸さえ無い清三郎の死。
遺された瓢箪に、清三郎の温もりを求めるように、
信忠は搔き抱いた。

 清!清!何と愚かな!
何故、命を縮めた!水なんぞ、どうでも良いのに!
清の命より重いものなど有りはしない!
何故、死んだ!何故!……

 清三郎の十五年の生涯を思い、信忠は激しく泣いた。

 「お慕いしても構いませぬか?」

 「こうしていても構いませぬか?あと少し」

 何にでも信忠の許しを得ようとする、
慎ましやかな清三郎だった。

 豪雨に打たれる信忠を近侍が連れ戻そうとしても、
信忠は振り払い、雨に涙を流し続けた。

 ひたすらに清三郎を哀れに思い、
思う分だけ、自分を責めた。

 何もしてやれなかった、何もしなかった……
己の欲で召し上げて、ただ、死なせた……
あれほど大切に思ってくれたのに、
あれほど慕ってくれたのに、
なのに、十分応えてやることもできず……

 「お慕いしているのです、心から」

 清三郎がそう告げた時、意識の半分は、
仙千代が同じことを口にした時のことを思い出していた。

 清三郎、許せ!あの時の儂を許せ!……

 信忠の涙は止まることを知らず、
ひたすらに清三郎のことだけを思い、許しを乞うた。

 「お慕いしても構いませぬか?」

 「お慕いしているのです、心から」

 控え目な清三郎の必死の思いの告白だったと、
今になり、知る。

 清三郎!清三郎!清!清!

 呼んでも二度と帰らない清三郎を、
寄せては返す波のように、果てなく信忠は胸で叫んだ。


 


 

 

 

 


 

 

 


 


 

 


 

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