第89話 長島へ

文字数 1,166文字

 濃尾平野は美濃と尾張を跨ぐ広大な平坦地で、
木曽川、長良川、揖斐川とその支流により形成された沖積(ちゅうせき)平野の為、
土壌は肥沃で気候に於いても積雪が少なく、
作地に適した好立地で、
この頃、国で随一の作付け面積を誇っていた。

 幾多の大河によって形成された濃尾の堆積大地は、
これもまた、日の本一巨大な中洲と言うべき水溢(すいいつ)の地であったが、
しばらく前より治水技術の進歩によって、
突如、開墾不要の肥沃な優良農作地へと急激な変貌を遂げ、
その富をもってして津島湊、熱田湊を制した信長の父、
信秀が、一挙に尾張の雄へと躍り出た。
元服間もない信長が数百という鉄砲の製造に着手できたのも、
信秀の財力の賜物に他ならない。

 織田家の支配地、尾張、美濃は、
近隣の朝倉、今川、武田、上杉などの有力戦国大名の所領より、
遥かに平野部が多く、
手間いらずの耕作可能地が群を抜いて広かった。
米の収穫量は、そのまま石高となる。
 信長は周囲の反発を跳ね除け、自らを大いに援けた(たすけた)が、
運もまた信長を援けた。

 梅雨が明けきらぬ文月十三日、織田軍は、
長島一向一揆鎮圧の為、南へ向かって出馬した。

 濃尾の地に血脈のごとく子細に流れる数多の河川のその先に、
敵地、河内長島がある。
長島は川と中洲と海浜が混然と織りなされた自然の要害だった。

 初日の陣は津島に張ることが決まっている。
津島は織田家の台所と言われ、尾張に水揚げされる金銀は、
すべて津島を経ているほどの栄華を極め、
町は織田家の軍隊を守る要塞のように造られている。
湊は伊勢湾の最奥で、
今回の作戦でも兵糧や物資の重要な供給地となっていた。

 水稲の緑が曇天の下、何処までも広がっている。
あちらこちらの泥地に(はす)の花が咲いている。
蓮根栽培が盛んなこの地は、
梅雨の頃には極楽浄土の花、蓮が咲き、
曇り空や小雨によく映えた。

 今回と同じく宗教門徒との戦いだった比叡山焼き討ちを、
中心となって行った明智光秀は、
三好残党や石山本願寺の抑えとして残されたので、
この制圧戦に加わっていない。
 越前、加賀を見張る羽柴秀吉も参加していないが、
弟の秀長はやって来ている。

 光秀、秀吉を除けば、織田軍の将すべてが集結した、
過去に比肩するものがない、大戦(おおいくさ)の陣容だった。

 総大将である信長本隊に、丹羽長秀、佐々成政、
前田利家、織田信広、飯尾尚清(ひさきよ)
羽柴秀長、平手久秀、浅井政澄ら、四万の兵。
 
 柴田勝家軍は、佐久間信盛、稲葉一鉄、
蜂屋頼隆らの諸将で三万。

 今回初めて大将を務める信忠には、
織田家の連枝衆や譜代の臣下が付けられて、
総勢三万というその顔触れも、
織田信包(のぶかね)、織田秀成、織田信次、織田長利、
織田信成といった極めて近しい縁者達を筆頭に、
代を継いでの忠臣である森長可(ながよし)
信長の乳兄弟 池田恒興、竹丸の父 長谷川与次などという、
織田家の核心的岩盤層とも言うべき武将達が打ち揃っていた。




 
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