第339話 帰還の夜(4)

文字数 1,556文字

 信長の言葉が終わるのを待ち、
仙千代は再度、握り飯を食べ始めた。
主の厚意で供されたものを食べ残すわけにはいかず、
かといって悠長にしていることも出来はしない。
 やたら上機嫌でいる信長はともかく、
信忠まで待たせているかと思うと心苦しさがひとしおだった。

 彦七郎は仙千代が食している間、
信長の相手を務め、
長年の仇敵であった服部党が、
今では滝川一益の許しを得て、
長島に程近い河口の地を耕し、根付こうとしていること、
物見高いトラなる童が先回りをして纏わりつき、
最後、少しばかり強く叱責して追い払ったこと等、
仙千代を時にちらちら確かめつつ、述べた。

 「その者の年端は如何程か」

 それこそトラではないが元来好奇心旺盛な信長は、
素早しこい(すばしこい)童を面白がった。

 「十を超えたか超えぬか、
家の手伝いもせず、呆れた坊主でございます。
まあ、野次馬の度が過ぎるのでしょう」

 「何と言って追い払ったのだ」

 子供相手にむきになる彦七郎を、
信長は少しばかり揶揄って(からかって)いる。

 「はっ、叱りつけてやりました」

 「うむ」

 「私はコソコソする奴は嫌いなのです」

 「うむ……」

 「コソコソする奴はイヤなのです」

 「……うむ」

 「私は、」

 「またも同じこと申したら許さん!」

 彦七郎は汗をかき出した。

 「然らば(しからば)……いや、申せませぬ!」

 「主にも申せぬと!?」

 芝居がかっているものの、
信長は苛立った様を作った。

 ようやく食べ終えた仙千代が間に入った。

 「何を口籠っておる。
これ以上お待たせしてはならぬ」

 「はっ、申し訳ございません!では……」

 手拭いを取り出し、彦七郎は額を拭った。

 「猫は好奇心で肥溜め(こえだめ)に落ちる、
痩せ猫はイタチや鼠を追って肥溜めに填まり(はまり)
糞まみれになるのがオチじゃ、あっちへ行け!
……と。はい……」

 彦七郎は図体を縮めた。

 信長は笑い、信忠や池田勝九郎も頬を緩めた。
仙千代は、

 やはり、言わせるのではなかった……
それは叱責ではなく子供の喧嘩……

 と、視線を落とした。

 「して、童は退散した、と」

 「それが、憎らしい捨て台詞を。
まったく食えぬ奴なのです」

 「捨て台詞とな」

 「あっ……はい……」

 しまった、という顔の彦七郎。

 「何と申した」

 「お侍様達はヒトかと思ったわ、
何だ、イタチと鼠か、
こっちは猫は猫でも大猫、虎じゃ!と」

 「可愛いではないか、負けん気が」

 「いや、私はコソコソする奴は嫌いなのです!」

 「それは聞き飽いた」

 「ははっ」

 「しかも、言い返しはするわ、
勝気は見せるわ、けしてコソコソしておらぬ」

 あちこち先回りして出没され、
目障りに思った彦七郎は、
仙千代を守る役目上、トラを邪険にし、
その上、最後は悪態をつかれ、
尚、心証を悪くしているようだった。

 「仙千代もトラを見たのか」

 「はい。遠目にではございますが」

 「コソコソしておったのか」

 「人を上目遣いに見るような、
卑屈な(たち)ではないと見受けます。
倍ほども背のある彦七郎と渡り合っておりましたような」

 仙千代と視線を重ねた信長は瞳が笑んでいた。
冷酷、非道、残虐、気短、底知れない等など、
世間では様々に言い、
大身の大名や古くからの重臣であっても畏怖を超え、
ほとんど恐怖するような者がけして少なくない中、
このような時の信長は柔和温厚そのもので、
また、仙千代を傍に置く時、
そうした機嫌であることが多く、
仙千代は来客から前以て同席をよく頼まれた。

 「彦七郎、万見の殿は左様に仰せであるぞ」

 「これは心外。上様までがそのような」

 「十やそこらで、それだけの動きを見せ、
物怖じのない童は、たいしたものだ。
猫は猫でも猫の王、虎じゃ」

 不満気な彦七郎を快活に信長は笑い飛ばし、
仙千代にも微笑んだ。

 この話題に一区切りつくと、
信長が酒をすすめようとも信忠は、
(いとま)を告げ、出て行った。

 




 

 


 



 


 



 


 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み