第368話 志多羅での軍議(2)武田の砦群

文字数 1,339文字

 五月二十日、信長は、
茶臼山に築かせていた新たな陣の完成をみて、
本陣を極楽寺山から移動させ、
志多羅の原の決戦場に一段と近付いて、
号令をかけやすくした。
 軍議は、
茶臼山の中腹を拓いた新たな本陣で行われている。
 信忠が陣を敷く野辺神社、
信雄(のぶかつ)の新見堂山は茶臼山の北西隣で、
兄弟は父が揮う(ふるう)采配の全貌を、
いっそう具に(つぶさに)目の当たりにすることが可能だった。

 信長の眼前に絵図が広げられ、
榊原康政によって今一度、
長篠一帯の詳細な戦況が語られた。

 「今更ながら、長篠城は、
東、西、南が河川、北は土塁と深堀。
攻略の為に武田が築いた本陣が、
城の北の医王寺山にあり、
周りは天神山、大通寺、岩代という武田の陣。
それらは医王寺山から補給を受け、
長篠包囲の主力部隊となっている模様。
西側の川を挟んだ対岸は、
有海(あるみ)篠場野(しのばの)の陣があり、
有海に陣取る勝頼が、
丹羽軍、滝川軍、羽柴軍と対峙しつつも、
新たな動きは無いと、
つい先程、報せが入っております」

 せっかちで鳴らす信長が、
康政の歯切れの良い図説を噛み締めるが如く、
聴き入っていた。
 それでも康政はいったん信長を注視し、
信長が、

 「続けよ」

 とでもいうように顎を小さく動かすと、
再び絵図に視線を戻した。

 「城の南の川を挟んだ丘陵に鳶ケ巣山(とびがすやま)砦。
これを主軸に久間山、中山、姥ケ懐(うばがふところ)
君ケ臥(きみがふしど)の各砦が犇めいて(ひしめいて)
岸向こうの長篠城を睨み据えており、
城から一歩でも出れば、
たちまち(つぶて)、矢を浴びて死するは必定。
一寸たりとて長篠は、
動きを取れぬ情勢にございます」

 信長の無言に、
場の緊張は頂点に近いものがあった。

 長篠が落ちたなら、
勝頼はどうするだろう……
織田徳川連合軍の全容を武田は知らない……
知らないからこそ不気味に思い、
長篠の確保をもって良しとするのか、
勢いに乗り、どっと西へ向かってくるのか……
長篠を得て、
信濃と接する東三河の切取りに成功したなら、
此度の武田は有海原(あるみはら)から、
撤退に転じるやもしれぬ……
上様は、
陣城が無駄になることはない、
陣城は、
織田と徳川の紐帯(ちゅうたい)なのだと仰せになった、
なれど、三万の美濃の木材が使われず、
志多羅の原で朽ちてゆくのは惜しくてならぬ……

 仙千代は交戦を願った。
数多の血が流されることを好みはしない。
だが、経済思考と、
信長の五男 御坊丸の優越的立場による奪還、
加えて、あと一つ、
長篠城に嫁した徳川の亀姫の安寧を願う思いを併せたならば、
この数年、武田に連敗続きの織田、徳川が、
志多羅の地で勝利を収める必要は、
絶対的に高まっていた。

 康政は尚も続けた。

 「東三河の地侍衆は、
武田の南進の過渡に於いて今は徳川と敵対の仲。
しかし武田軍の士気、果たして如何に。
岡崎さえも脅かそうという勢いで甲斐を出たは良いが、
吉田城を落とせず長篠にも手間取っている。
地侍達は、
武田劣勢となれば直ちに離散するでありましょう、
また、武田の甘利信康が懐柔し、
味方に付けていたこの地の百姓は、
美濃からの膨大な材木を目にし、
陣城構築に手を貸すなど我が方に下っております。
甘利はさぞや、怒り心頭でありましょう。
事程左様に、武田は存外、
脆さを内包しております。
日に日に力を増す上様の軍勢と、まさに真逆」

 康政が一気に述べたことにより、
その談は徳川の総意、
つまり、家康の考思であることが明白だった。




 
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