第142話 小木江城 粥

文字数 1,088文字

 二人だけになった信忠は、
仙千代の擦り傷に触れている乱れた髪を直し、
細くなった肩を抱き、能うなら口づけて、
如何に案じていたか、如何に思いが深いか、伝えたかった。

 しかし信忠が口にできることは決まっていて、

 「此度の働き、真に見事であった。
総大将様はじめ、家中の誰もが感心しておる。
あとは一日も早く快復し、
務めに戻って、総大将様の恩に報いよ」

 と型にはまった余所余所しいものだった。

 「もったいない御言葉、恐れ入るばかりでございます」

 決まり切った返しをしたのは仙千代も同様だった。

 「食が進まぬとか。これも残すのか?」

 椀の粥はおそらく数匙しか、減っていない。

 「いえ、頂戴致します。後ほど」

  見え透いたその場しのぎの返答だった。
きちんと食べているのなら、ここまで痩せはしない。

 座して正対している信忠が、

 「食べねば治るものも治らぬ。
生きたくとも生きられず、命を失う者が居る。
清三郎のように。
万見は(せい)と親しかったのであろう?
一杯の粥さえ平らげられぬとは情けないの一言じゃ。
あの世で清三郎が呆れておるわ」

 と敢えて苛立った様子で放つと、
唇を噛んでいた仙千代が意を決したように椀と匙を手に取り、
まだ湯気の出ている粥の熱さに時に顔をしかめつつ、
驚く速さで椀を空にした。

 無論、傷の痛みもあるのだろうが、
友の死が心に痛手を負わせていることは明白だった。
 またはそれ以外にも、
仙千代には食が進まぬ特段の理由があるのか。

 今、信忠に分かっているのは、
負傷の痛みや熱と清三郎の死が、
仙千代を苦しめていることだった。

 一時は激しい嫉妬を隠しもしなかった仙千代が、
どのように胸中で決着をつけたのか、
終いには清三郎と心から親しみ合っていたことを、
信忠は知っていた。
 清三郎の名が出ることで、
本来、生命力旺盛な仙千代本来の負けん気が垣間見られ、
信忠は不安をいくらか軽くした。

 「よう食べた。その調子じゃ。
この後も出されるものをけして残すでないぞ」

 「はい。肝に銘じましてございます」

 温かな粥を一気に食したせいか、
仙千代の頬に、一瞬、紅がさした。

 信忠は、ひとこと足した。

 「清の名を出し、すまなかった。
弱った身に追い討ちをかけてしまった」

 「いえ、左様なことは」

 ふと見ると、慌てて食したせいか、
話すと浮かぶ控え目な笑窪(えくぼ)辺りに、
小さな松の実がひとつ、付いている。
 それがまた、何とも可愛らしかった。
口調は大人びていても、まだ十五という若輩なのだった。

 信忠は取り去ってやりたかったが、黙認するに留めた。
ちょっと滑稽で、それゆえ愛くるしい仙千代を、
間近で見られるこのひと時は確かに幸福だった。



 
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