第138話 小木江城 救い

文字数 1,829文字

 仙千代の背から腰への裂傷は、
何かの拍子に血が滲みはするものの、
徐々に傷口が塞がってゆき、治癒に伴って、
時に箇所によっては痒さを覚えるほどになっていた。

 とはいえ、
井戸端で襲われてから二十日近くを数える今も微熱が続き、
食欲は戻らなかった。

 微熱の原因は傷なのか、雨で濡れたせいなのか、
判然としない。

 食欲が上がらない理由は、
清三郎の死を知った為だった。

 高熱にうなされていた仙千代の枕元で信長が、
仙千代が賊と対峙していた同じ日、同じ時刻に、
やはり副将の親衛達が奇襲に遭ったと話した時、
三郎や清三郎の安否を案じた仙千代だったが、
言葉を発する力を失っていて、疑問を質せなかった。

 数日間、痛みと熱で朦朧としていた仙千代が、
自力で粥を口に運ぶことができるようになった時、
真っ先に竹丸に尋ねたことは三郎達一行が全員無事に
二間城へ帰ったのか否かということだった。

 いつも弁舌爽やかな竹丸が言い澱み、
話すことに臆す様子を見せた。
 そこで仙千代は誰かが命を落としたのだと知った。

 「誰だ。誰なのだ」

 病床で食事をしていた仙千代は器を置き、
竹丸に詰め寄った。

 紫陽花が咲く夢の中の古井戸で、
清三郎が透明な鎧櫃(よろいびつ)を懸命に作っていた姿が思い出される。

 だが、あれは逆夢!正夢などではないはず!……

 「先に逝ってしまった……清三郎……」

 仙千代は信長に頼み込み、
褥を信長の寝所から別室へ移していた。
いくら戦地とはいえ、
たとえ数日でも主君の寝所で介抱されていたことは、
有り難さを通り越し、実際、奇妙なことで、
いつまでも甘えているわけにはいかなかった。
 万見の養父(ちち)ではないが、信長の傍に居ると、
過剰に心配されることが苦痛といえば苦痛で、
その配慮が心苦しく、
却って治癒に時間がかかってしまいそうだった。

 早く治して、勤めに戻らなければ……

 焦る思いが、無いではなかった。
同じ年配の小姓達が日々、務めに励んでいると思うと、
一日も早く仕事に戻りたいというのが本心だった。

 「清三郎は岐阜へ帰る、手柄をたてて岐阜へ帰る、
そうではないのか、そのはずだ!」

 「う……うむ……」

 返答にならない返答を竹丸が唸るように絞り出す。
仙千代は大きく息を吸い、背の傷に激痛が走ったが、
それよりも尚、心が痛かった。

 「清三郎が!(せい)が!」

 心の臓が波打って、息が苦しい。

 「嫌だ、信じない!清三郎は死んでなどいない!」

 竹丸は唇を噛んで無言だった。

 「清三郎は死なない!
若殿にお渡しするものがあるんじゃ、
清はそれをまだ作り切っておらんのじゃ。
なのに死ぬはずがない!」

 仙千代は褥で被っていた純白の絹の夜着をひっつかみ、
悲鳴のように声を放って泣いた。

 嫌だ!清三郎が死ぬなんて!
あのように心の美しい者が先に逝くなど許されぬ!
嫉妬して、死ねば良いと思ったこの儂が生きていて、
冷たい扱いを受けても慕ってくれた清が死ぬ……
おかしいではないか、左様なことは間違っている……

 二人で嫌な奴等と喧嘩して、共に大根の刑を受け、
毎日隣同士で大根ばかり食べていたこと、
瓢箪を背中に括りつけ、尻を叩いてやったら転ぶ真似をした、
その時の屈託のない笑顔、
虹を渡ってみたいと話した澄んだ眼差し、
清三郎との思い出が鮮やかに蘇る。

 虹を渡るなどと言うからだ!
そんなことを言うからだ!

 そして最後には、清三郎に幾度も詫びた。

 いつも厄介者のように扱って、
儂は本当に嫌な奴だった、
清三郎は黙ってそれを受け止めてくれていた……

 号泣と嗚咽を繰り返し、
やがて、自然に言葉が漏れた。

 「清、恩に着る……ありがとう……
いつも儂を許してくれていた……清、恩に着る……」

 仙千代が身を捩って(よじって)泣く傍らで、
竹丸も静かに涙を流し、友を喪った悲しみに共に沈んだ。

 清三郎が虹を渡った日、井戸端で皆で水を飲み、
三郎の鼻に秋茜が止まり、
三郎と仙千代がふざけている様に誰もが笑った。

 開け放った部屋から眺められる庭には、
秋茜が空を朱に染めるほど群舞していた。

 泣き濡れた目で秋茜を見た仙千代は、
清三郎がやって来ているような錯覚を覚え、
それが錯覚だとしても構わないと思った。

 「仙様……」

 幻聴か、(うつつ)か、誰かが呼んだ。
その呼び方をする者はここには清三郎しか居ない。

 「清三郎!……」

 仙千代は、ふわっと何かに包まれた気がした。

 清三郎、ありがとう……
あんな儂を慕ってくれた……
清三郎、恩は忘れない……
一生、けして……

 仙千代の涙はいつまでも止まらなかった。

 

 




 

 

 

 





 

 

 

 

 
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