第258話 側近団の朝餉(3)

文字数 1,709文字

 「仙千代」

 信長から最も離れて座している仙千代に声が掛かった。

 「さて、どうするか」

 文節には氏真(うじざね)とも上洛とも入っていない。
信長は話を端折る(はしょる)ことが間々(まま)あった。
しかも今の今まで皆で冗談を言い合っていて、
矢部家定から急に振られて慌てて応じ、
一息ついたと思ったら、
今度こそ、
氏真が京へやって来る件に関しての下問に相違なかった。

 このような時、

 「と仰いますと?」

 等と訊き返すことは愚の骨頂で、
気が長いとはいえない信長に、
そのようなことを数回でも繰り返す者は、
側仕えといいつつも、
難しい折衝や重い交渉を任されることはなく、
取次や使者の任に当たる方へ向けられれば良い方で、
どうかすれば近侍の地位から離された。

 氏真は少し前にも、
「千鳥」の香炉を信長に献上していた。
茶道、歌道に通じた風流人で、父 義元同様、
公家文化に造詣が深い。
 今川家は幕府成立に大きな働きをしたということから、
足利家から高家の扱いを受け、
武家貴族といっても良い家風を保持し、
義元が桶狭間で輿に乗っていたのも、
何も(なまくら)だからなのではなく、
栄えある名家として兵を鼓舞せんとする振舞なのだった。
 義元他界を見て、氏真は迷走を繰り返し、
今川家は事実上、大名家ではなくなった。
 信長は天下の政務の一環で、
貨幣制度を改める為、
大名、有力者から多くの名物を買い上げていて、
氏真とも間に交渉人を置き、
茶器の買取について書状のやり取りは幾度かあったが、
実際に謁見を許したことは未だ無かった。

 一度と見舞えたことのない我が殿に、
大名物「千鳥」を差し出されるとは、
今川様は徳川様を、
いよいよ最後の拠り所として御助言に従われたのか……
高名な香炉を手離すことは、
風雅一流の今川様にしてみれば、
けして楽な御気持ちであったと思われず、
此度の上洛も、
殿の御滞在に合わせたものに違いない……
 確か今川様の御母堂は、亡き信玄公の姉君で、
武田家現当主の伯母上……
 今川様は信玄公の死を契機とし、
武田との親しい縁は切れている、
だが、近付く武田との戦いで、
今川家が我が方に付いたとなれば、
武田勢は一段と薄気味悪さを覚えるだろう……

 仙千代は信長の問いに、
一切合切逐一考えを述べる意志は無かった。
若輩の自分などより、
叡智も経験も深い歴々が上席に居るのであるから、
余計な時を割いてはむしろ皆の迷惑にあたる。

 仙千代は一言、放った。

 「只今、毛利殿はどちらに居られましょうか」

 織田家内で毛利といえば新左衛門良勝を指している。
幼名を新介といい、
信長の小姓として桶狭間の戦いに従軍した際、
義元に一番槍をつけた服部一忠が膝を斬られると、
一忠の助太刀に入り、
義元の首級をあげ、名を馳せた名臣だった。
 良勝は桶狭間の合戦後、元服し、
通称を新左衛門と改め、最近は主に吏僚の勤めをこなして、
京へも度々滞在していた。

 末席の身で、出しゃばり過ぎることのないよう、
問う体裁を取りはしたが、
仙千代の意図するところを信長は直ちに察し、
瞳が輝いた。

 「うむ!新介か!」

 新左衛門が現在の通り名なのだが、
かつて傍に置き、
可愛がっていた時の呼び名で信長は発した。

 信長の様を見た矢部家定が、
やはり面白がって加わった。

 「うまい具合に丁度、京に居ります。
この午後(ひる)にでも村井吉兵衛殿共々、
こちらへ所用で上がる由、耳にしております」

 村井吉兵衛というのは京都所司代 村井貞勝で、
諸々の事情から、
嫡男とすることが適わなかった信長の庶長子 信正、
つまり信忠の異母兄(あに)を預かり、
養育を任されるなど、信長から特別に信の厚い忠臣だった。

 氏真が信長に拝謁を賜るとなれば、
宴は有り得ないが、
茶事は行われると考えて当然だった。
その場に義元を討った良勝が居合わせたなら一興だと、
ふと仙千代は考えたのだった。

 確かに毛利新左衛門様は、
今川様の亡き父君にとどめを刺した怨敵やもしれぬ、
なれど、徳川様の庇護を頼り、
「千鳥」を我が殿に献じた時点で既に死に態の身、
今更誇りも何も有りはせぬ、
(とも)幕府の足利義昭の誘いに応じるような愚行はせぬだろうが、
今一度、確と(しかと)立場を分からせておくことは、
けして悪手とは言えぬはず……

 仙千代の胸中で様々な思惑が渦巻いた。

 


 


 

 





 



 
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