第360話 野田原(2)野戦城

文字数 1,211文字

 信長は、

 「熱田から同行しておる禰宜(ねぎ)は、
三名共が長雨にはならぬ、
晴天に恵まれる日があると申しておるが、
当たるのやら、当たらぬのやら」

 と、神職の宣託を、
揶揄い(からかい)混じりに疑うような振りをしつつも、
顔には満更でもないという色が見えた。

 神事を司る修行を経た禰宜は、
天候天文に詳しく、
このところの雨が長く続くことはないと占断していた。

 信長は桶狭間合戦では天候の急変を利用し、
雨を味方につけて巨軍の今川義元に勝利した。
 その六年前、村木砦の戦いでも、
地元の船頭、水夫が出港を反対する風と雨の中、
二十歳の信長は船を出させ、
家康の母方の伯父で、同盟者であった水野信元が、
義元に攻められた窮地を救うべく、
鉄砲衆を率い、駆け付けた。
 船は折からの強風を受け、
一時間で信元の待つ緒川に到着、
翌日、晴天の村木砦で激戦となった。
 この二戦とも、信長は熱田に立ち寄り、
神職に天候を占わせていた。
そのままを信じる信長ではないが、
目安にしないではなかった。

 「晴雨はどうにもできぬこと。
戦準備は順調に成っております。
あとは、武田が積極策に出て、
攻め込んでくるのか否か」

 信長はニヤッとした。

 「陣城が徒労の長物に終わるのが、
惜しいのであろう、竹丸」

 武田の動きが活発化した二ヶ月前から信長は、
三万本という膨大な量の丸太を、
三河に運び込んでいた。
陣城を形成する木材はすべて信長が岐阜から運び入れ、
現地調達はしていない。
この三万の材木による柵が、
志多羅の南北半里にわたって三段で築かれ、伸びていた。
 いったい幾つの大砦を建てるのかと、
陣城という概念を持たない家臣達は、
信長を訝しみ(いぶかしみ)つつ、材を運んだ。

 「無論でございます。
徒労などとは微塵も思いませぬが、
無用の長物となることは惜しゅうてなりませぬ。
かねてより上様が、
描いておられた新たな戦法。
この機に是非とも、
未曽有の陣城戦での勝利、
我が目に焼き付けとうございます」

 信長は髭に手をあてた。

 「勝頼がどう出るか。
遠江、三河へと勇んで雄図を進めておるが、
気になるとすれば武田の賢将、智将達だ。
鳥居強右衛門(すねえもん)捕縛によって、
我ら連合軍が間近に迫っていることを、
武田は既に知っておる。
長篠さえ手中にすれば、
勝頼を重鎮達が諫めぬとも限らん。
勝頼の強硬、重臣達の用心深さ、
はて、どちらが勝るか」

 信長は面白げな表情を隠さなかった。

 竹丸が、真剣一途に応じる。

 「万一にも長篠が落ち、
武田がまたも版図(はんと)を拡大し、
此度それで充足としたのなら、
今後、浜松城の孤立を招き、
徳川殿の離反も無いではありませぬ」

 と言う竹丸と同じ杞憂を、
仙千代も先日来、抱いていた。
 
 信長はあっさり答えた。

 「浜松は儂の力を知っておる。
陣城は三河勢に示す為のものでもある。
目先の利益に動かぬ男が家康だ」

 壮大な野戦城を目の当たりにするのは、
勝頼だけではないと信長は言ったのだった。

 静かに頷いた竹丸の姿は、
仙千代そのものの姿でもあった。


 

 




 




 




 


 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み