第320話 帰郷(8)

文字数 1,273文字

 万見家の他家へ嫁している姉達四人は、
日暮れ後の帰路の暗さを危ぶみ、
この日は不在だったが、
明日、揃って顔を見せるということだった。

 家には養父母(ふぼ)と妹が待っていた。
父は長島一向一揆征圧戦で仙千代が背に負傷した際、
今から八ヶ月程前に、
信長の本陣 小木江城へ見舞いにやって来てくれて、
怪我熱の朦朧とした意識ながら、
信長と父のある意味、
仙千代を取り合うような会話は覚えがあった。
 何かというと信長が大声で仙千代の名を呼び、
時に泣いてみせるので、
父も、看てくれていた竹丸も、
困惑顔をしていたことを記憶している。
 
 母や妹とは、大根騒動で蟄居を命じられ、
帰省した時から会っておらず、三年ぶりだった。

 父は隠しようがなく、脚を引きずっていて、

 「温暖な季節はいくらか痛みが減りますか」

 と、仙千代が気遣うと、

 「上様が寄越してくださる御典医が、
伊吹山の伴天連薬草園で栽培された煎じ薬を、
処方してくださって、
どうやらそれが合ったらしい。
有り難いことだ」

 と、信長への感謝を述べた。
 
 とはいえ、我慢強い性分の父が、
せめて息子の前ではと虚勢を張って堪えても、
古傷を負った右脚が鋼のように硬直し、
酷く重そうな様を隠し切ることが出来ず、
僅かな段差を上がるにも難儀しているのを認めると、
おそらく痛みが収まらず、加齢も影響し、
むしろ悪化しているのではないかと思われた。
 
 父は、長島の戦では、脚の痛みをおして、
兵糧や兵器、雑兵集めや管理の任で、
信忠が陣にしていた二間城に詰め、働いた。
 だが、仙千代の見舞いに訪れた姿を目にした信長は、
父が戦場一帯の地勢図を作成した功績を称え、
長島での勝利の後、
当面、脚の治療に専念するよう申し渡した。
 父は誠意篤実一本の男で、
長期に休むなど受け入れられぬと遠慮を申し出たが、
信長が許さず、
仙千代も、厚情を受け容れるよう勧め、
信長が未だ、静養を命じたままである為、
そのまま、今に至っていた。

 十才になる妹は、仙千代や彦七郎を見ると、
好奇心なのか、または懐かしさなのか、
最初、駆け寄ってきたのに、
その後ろに、
見たことのない小者二人が居るのに気付くと、
恐れなのか、恥じらいなのか、
母の許へ戻り、背中に隠れてしまった。

 母は、ただ、泣いていた。
仙千代は近付いて、

 「母上、お久しぶりでございます。
御健勝であられましたか」

 と、声を掛けた。

 何を言っても泣いているので、
仙千代は母の腕に手を添えて、
父の後について、邸内へ入った。

 妹も、彦七郎と後に続いた。

 書院に落ち着くと、
彦七郎は今一度あらためて万見家当主に挨拶をして、

 「爺様を拝ませていただいて宜しいですか」

 と、許可を得て、隣の仏間へ向かった。
 
 父は万見家の二男であって、
本来、仏壇は本家が守るものだが、
仙千代が信長の側近として取り立てられ、
重用される様を見て、
万見家嫡男の伯父が、

 「仏壇はこちらの家に座す方が、
浄土の父上も見晴らしが良いかもしれぬ」

 と言い、仏壇を移してしまい、
以後、この邸にあった。
 仙千代が漏らしたそれを彦七郎は覚えていて、
今回、参らせてくれと言ったのだった。


 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み