第396話 志多羅の戦い(15)朱染の地

文字数 876文字

 山県(やまがた)昌景は、
連合軍の厚い右翼を崩し、
家康の本陣間近まで脅かすという、
神がかった気迫を見せた。

 危機に陥った家康父子を救わんと、
本多忠勝、榊原康政が、
競い合うが如く、
昌景の赤色隊にわっと攻め寄せ、
付け人達を矢継ぎ早に討ち取ると、
孤立に等しい態勢となった昌景は、
四方八方から撃たれ、蜂の巣となった。
 
 間際の憤怒の絶叫は、
聴こえぬはずのものであるのに、
信忠の耳に確かに届いた。
 
 倒れた獲物の屍体に(とり)や虫が群がるように、
忠勝と康政の兵達が大将首を求め、
冥途へ発った勇者にどっと向かう。

 しかし赤の猛兵は、
次々に命を落としながらも、
将の遺体を守り抜き、
最後、
昌景の従者、志村光家が、
その身を艱難の果てに武田陣営まで運んだ。

 信雄の頬に濡れるものがあった。
 
 信忠は目を見開いて、
ただ割れる程、奥歯を噛んだ。
 
 信忠は、自身のことでありながら、
己も弟も、
如何なる感情に突き動かされて落涙するのか、
到底、表すことができないでいた。

 戦国最強と謳われた武田赤備えの壊滅に、
茶臼山の信長本陣から、
勝鬨(かちどき)が上がった。
 直ちに他の陣も呼応して、

 「えいえい、おーう!」

 と音声(おんじょう)の波が伝播してゆく。

 山県昌景ほどの将の死は、
味方を勇気づけ、奮い立たせるものであり、
その死を確かめた総大将の信長が、
(うるし)に赤い日輪の軍配団扇(うちわ)を突き出して、
連合軍にいっそうの奮起を促したものだった。

 「えいえい、おう!」

 「えいえい!おーう!」

 新見堂山を揺るがすかのような地響きが、
足に、腹に、突き上がる。

 「若殿、三介様、御両君(ごりょうくん)も是非!」

 秀隆に促され、
信忠、信雄も采配を掲げ、

 「えいっえいっ、おーう!」

 「えいえい、うおーう!」

 と声を限りに叫んだ。
 二人に、
背に控える近侍、馬廻り、兵達が従った。

 三万有余の織田、徳川の勝鬨を浴び、
武田の将兵の夥しい死体が、
血で染まった志多羅の泥地に転がっていた。

 「えいっ、えいっ!うおーっ!」

 やがて、
咆哮を収めた連合軍の真の姿が、
敵の前に現れた。
 迎撃に徹していた織田と徳川は、
柵など無かったかのように原に出て、
武田に襲い掛かって行った。

 
 








 


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