第44話 信玄の死

文字数 892文字

信長が岐阜に帰った数日内に、大きな報せが入った。

 卯月十二日、つまり信長が帰還した翌日、
甲斐の武田信玄が信濃国駒場に於いて病没。
 これは武田方に潜入させていた間者が掴んだ大手柄の情報で、
信長はこれをごく一部の家臣以外に知らせなかった。

 この時、信長が最も手を焼いていたのは長島一向一揆で、
二回の交戦で二回共、撤退戦となり、
城を二つと、年若い異母弟(おとうと)を失っていた。
 しかし、最も恐れていたのは戦上手の信玄で、
それが為、婚姻同盟を信重と松姫の間に成立させたのだった。
 信玄は、将軍の信長包囲網により、
織田軍が遠江に援軍を送ることは不能だと見るや、
西上作戦を開始し、三方ヶ原の戦いで、
織田家の同盟、徳川家の領地に攻め入り、勝利した。
 これにより、信重と松姫の婚姻は決定的な手切れとなった上、
将軍の反信長連合軍の一角としての武田は勢いを増した。
 一向一揆を操っているのは石山本願寺の顕如だった。
顕如と信玄は互いの(つま)を通し義理の兄弟で、
信長の怒敵、一向一揆、その黒幕、顕如、
そして武田信玄は、根を同じくしていた。

 甲斐の虎、武田信玄……
一時は舅殿と呼んだ御方が亡くなられた……
突然の死……病を患っておられたか……

 信重は織田家の嫡男として、
武田家を滅亡に追いやる立場であって、
それ自体、何の異存もないが、
長らく手紙(ふみ)を交わした松姫を思えば、
喉越しの悪い、割り切れない感情が残り、
果たして最後は織田家か武田家か、どちらが残るのか、
その時、二人は、
見まえることがあるのだろうかと虚しい夢を描いたりした。

 松姫は今頃、どうされているのか……
もう儂のことは忘れ、日々を過ごしておられるのか……

 信重には信重の現実があるように、
松姫にも毎日があるはずだった。
 ただ、松姫に新たな婚姻話が持ち上がったという話は、
聞かない。
 おかしなものだが、信重の中では、
未だ顔を見ることさえない松姫が正室のまま、
姫がいったいどのような思いで暮らしているのかと、
案じないわけにはいかなかった。

 信玄の死は、
織田家としては祝宴を開きたいほどの朗報だったが、
これに関しては沈黙を保ち、
軍勢を整えた信長は、再度、西へ馬を向けた。




 
 
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