第40話 華頂山(1)

文字数 1,108文字

 信長の宿坊の前庭は山桜が多かった。
先に葉が繁り、花は後に咲く性質なので、
この時期は開き始めの葉が木を覆い、
未熟な若葉の瑞々しさが目に染みた。
 
 山桜の合間合間に連翹(れんぎょう)が咲き、
可憐な黄花が、春の夕暮れに明るさを添える。

 寺には大きな湯殿があって、信長、藤孝、村重が共に入り、
三人の小姓達が世話をした。
 流石に今回は湯接待というものではなく、
入浴後も単に食事であって、酒は供されなかった。
 
 夕餉の後、信長の寝所で二人きりになった時、
仙千代は妙なことを言われた。

 「信濃は、ずいぶん仙千代を見ておったな」

 荒木村重は荒木信濃守(しなののかみ)村重といった。

 仙千代は意味が分からなかった。

 「左様でございますか」

 褥に座している信長の肩、首を揉んでいる。
筋張って鉄板のように硬い。

 「ううん、そこじゃ、そこ。ああ、心地良い」

 信長は身体の鍛錬を怠らない質で、
無駄のない筋肉が全身を覆っているが、
肩こりは相当なものだった。
贅肉が無い分、こっている芯が深い。

 余りに多くのことをお一人で捌いて(さばいて)おられるゆえ、
日々、お疲れがたまる一方だ……

 仙千代は信長の疲労を、固まった肩や背中に感じていた。

 「仙千代に解されるのが一番じゃ。ううん……」

 仙千代の手指の動きに身を任す信長に、

 「誰にでもそう仰るのでしょう」

 と茶々を入れてみた。

 「ふうん、仙千代が妬いてくれるとは」

 目を閉じている信長に笑みが浮かぶ。

 「妬いてはおりませぬ。お尋ねしてみただけでございます」

 押したら引く。押し過ぎれば暑苦しい。

 「妬いてくれたとばかり」

 「では……妬きました」

 仙千代がぐっと力をこめて腰を押さえると、
信長も負けじと仙千代の腿を掴んだ。

 信長という天下に手をかけている絶対君主の前で、
目を合わせるどころか、顔さえ上げられずにいた自分が、
信長の気分を和らげようと、
今では敢えて少しばかり小憎たらしいことを言い、
主を喜ばせる。

 相愛の若妻か、手練手管の遊女か……
一年前には凧揚げで遊んでいた儂がこんな台詞を……
なれど、少しでも殿の気分転換になるのなら……

 仙千代は信長の特にこっている筋を丁寧に解した。

 「ああ、良い気分だ……」

 信長はうつ伏せになり、背中、腰も揉むように促した。

 「仙千代なら何を言っても可愛い。減らず口さえ」

 信長は時折、仙千代の膝や腿に触れたりした。
その度に、未だに、ドキリとする。
感じないと言えば嘘になるが、
今の自分のこの姿は果たして真の自分なのだろうか、
お勤めなのだから假装ではないはずだ、
小姓の仕事をやっているだけだと思う反面、
では、もしこの様を信重に見られたのならどうするか、
それでも平気でいられるのかと胸が苦しくなってくる。




 
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