第353話 岡崎城(5)怨嗟

文字数 643文字

 信長の求めに応じ、
東三河の徳川勢を束ねる譜代筆頭、
酒井忠次が絵図を広げ、
長篠一帯の地勢の説明をした。
 
 信長よりも尚、年配の、
五十路(いそじ)が近いと見受けられる忠次は、
家康が駿河の今川義元に送られた際も従っており、
まさに家康の股肱之臣(ここうのしん)だった。
 賢将として評判の上、
柴田勝家が信長の実弟の臣下であった時、
福谷城を二千騎で攻めた際は城外に出て戦い、
勝家を敗走させた等、
武勇伝も枚挙にいとまがない。

 信長が岐阜を発つ前、
三河の図を広げ、
重臣達と地形に関して評定を行ったことを、
仙千代は知っていた。
 何かと気の急く質の信長が、
今は忠次の説明に聞き入っていた。

 やがて、

 「弥生の末から行動を起こしておる勝頼は、
岡崎にたどり着くことができず、
吉田城さえ落とせなかった。
かくなる上は、
長篠だけは手に入れようと執着しておるであろう。
長篠城は奥平にとっても武田にとっても、
因縁の城。
その執着を狙うのだ」

 と、信長は言った。

 仙千代が聞き知った話では、
長篠城主の嫡男である奥平貞昌は、
信長の命により、
家康の娘、亀姫を娶ることとなり、
先に武田家へ人質として出していた正室おふう、
実弟の千丸を、
勝頼により処刑されていた。
 貞昌の復讐心は激しく、
長篠の城兵の士気の高さの一因は、
そこにもあると想像された。
 同時、面従腹背で徳川と内通し、
武田の三河に於ける要衝であった長篠を、
徳川勢の城とした奥平に対する勝頼の怒りも凄まじく、
勝頼は奥平家からの人質を、
串刺しの刑に処した。
 貞昌の(つま)は十六、
弟は十三という生涯だった。


 
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