第128話 小木江城 御寝所(2)

文字数 1,375文字

 養父(ちち)は温厚を絵にしたような中庸の人で、
これでよく戦場に行けたと思われるような人物だった。
その実直な養父が、断固たる口調で主君に述べた。

 「ここに息子が居ては総大将様の御迷惑になり申します」

 信長の今さっきの挙動は、息子の回復を、
却って遅れさせる恐れがあると踏んだに違いなかった。

 「仙千代を取り上げると申すか!この儂から」

 「仙千代は我が息子でございます」

 信長が気色ばんだ。

 「左様なことは知っておる!」

 一瞬の間を置き、信長は続けた。

 「手柄をたてた臣下を負傷の身のまま帰したとなれば、
儂の名が廃る!そうだ、そういうことだ!」

 信長の声は小さくなる気配がないどころか、
ますます大きくなっている。

 「万見!此度の仙千代の働き、
戦の勝敗を決するほどのものだと儂は考えておる。
褒めても褒めても褒め足りぬ。
仙千代は我が手許に置き、治してみせる!
仙は元服も未だなれど、立派な武士(もののふ)
仙千代が万見の子であるからと、
我が一人のものだと思ってはならん。
仙千代は儂の、いや、織田家の誇り。
この思いを解さぬと申すか」

 儂の仙千代、儂の仙千代と連呼していた信長が、
何やら論法を変えてきたことに、
明らかに万見家当主は困惑している。

 「儂が如何に仙に感謝をしておるか。
仙は儂が治す!この主従の絆を理解せぬとは。
情けないこと甚だしい」

 「ははっ……」

 「万見は確か、小姓も側室も居らぬな。
今からでも小姓を持つと良い。
さすれば儂の思いを少しは解するであろう」

 支離滅裂な言い様ではあるが、
信長が仙千代を手離すつもりがないことは伝わる。

 が、養父も食い下がった。

 「息子はこの御寝所で三日も総大将様直々に看ていただき、
金瘡医様、御典医様に侍ってもいただき、
十二分に(よしみ)を授かっております。
ここは、許されるのであれば家に連れ帰り、
しばらく療養を、」

 「意見するか!この儂に」

 「滅相もないことにございます。
万が一にも、御政務や指揮の差し障りになってはと、
ただ、それのみが心苦しく」

 慎ましい養父が信長に抵抗を試みていた。
通常であれば信長の怒りに触れ、
既に激怒、逆鱗の域なのだが、
仙千代の養父ということで、この程度で収まっている。

 「仙千代は何の障りにもならぬ!」

 「有り難き御言葉……」

 「分かれば良いのだ。
家に連れ帰るなど、二度と申すでない。
幸い、一揆軍は籠城中で当面、戦況は動かぬ。
万見も仙千代が回復するまでここに止まれば良い」

 「返す返すも感謝の念に堪えませぬ……」

 仙千代は目を閉じたまま、
養父の情けを感じ取っている。
 だが、信長は思ったままに生きてきて、
人に譲るということは基本的にまったくなかった。
そのような人物に接し、明らかに養父が困り果て、
悩ましくしている様子が熱にうなされながらも分かる。
 養父にしてみれば、
息子が臥せっているからと、勤めを放り出し、
息子を看る為に一揆軍との最前線である二間城を
留守にするなど、とうてい受け入れられない。

 それこそ、武士の名折れ……
父上が左様なことを良しとされるはずもない……

 この時、秀政の声がして、何やら報せを受けると、
信長は部屋を出て行った。

 「少々座を外す。
竹丸、確と(しかと)仙を看ておるように。
何ごとかあれば、直ちに知らせよ」

 「はっ、畏まりましてございます」

 信長が去った後、
養父と竹丸から、溜息がこぼされたような気配がした。




 
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