第163話 河内長島平定戦 夜明け前

文字数 966文字

 天正二年長月二十九日、日の出前、
信長は深い眠りに居た。
 常は陽が上がらぬうちに目が覚め、
起きたことを自ら不寝番に告げることがほとんどなのだが、
昨日は久々に仙千代を寝所へ召し寄せ、
ずいぶん遅くまで二人ですごした。

 まだ外は夜陰と言っても良いほどの暗さであるのに、
気の早い一番鶏が鳴き、信長は目を開けると、
横たわったまま、大きくひとつ伸びをした。

 心なしか、身体の節々が痛んだ。

 ああ、仙千代か……
そうだ、仙千代が昨晩はここに……

 褥に乱れた名残りがあって、つい苦笑が混じる。
仙千代の欲を満たしてやるつもりで呼んだはずであったのに、
駆け引きの勝敗で言えば、仙千代の完勝だった。

 看病された恩に報いるというようなことを言ってはいたが、
殊勝な可愛らしい台詞の何処までが本心なのか、
肌を合わせている信長にさえ、分からなかった。

 確かに仙千代には、
(よこしま)な陰りやあくどい澱みは感じられない。
穏やかに澄んで、清浄な気を放っている。
 しかし、いくら抱いても、どれほど燃え狂わせても、
ふっと気配が消えることがあり、
愛しさ故に、ますます追い掛け、執着を深めてしまう。

 そもそも信長は眠る時には一人を好む質で、
誰であれ、朝まで共に居ようとは思わない。
それでも仙千代ならば、抱き締めて眠り、
寝起きの呆けた顔ひとつ、
見てみたいなどと思ったりもする。

 昨夜も信長は閨房に引き留めたのだが、
仙千代は深謝しつつも、

 「総大将様の安眠の障りになります」

 と、敢えて「総大将」と言い、
それまで「殿」という呼称を使っていた褥での時間とは、
区切りをつけ、平伏した後、柔らかに微笑み、
寝所を後に、出て行った。

 閨房での主導権を取り返すにはどうすればいいのか、
現時点、さっぱり分からなかった。

 まあ、それが惚れた弱みというものか……

 まさかこの歳になり、年端もいかぬ一小姓に、
ここまで骨抜きにされるとは思ってもいなかった信長だった。
しかし、負けるが勝ちではないが、
敢えて負けてやっている現状は、
それはそれで面白かった。
 いずれにしても、
仙千代の運命を掌握しているのは信長で、
この日の本に身を置いている限り、
仙千代のすべては信長が支配していた。

 そろそろ起きるか……

 床から起き上がり、
不寝番に声掛けしようと思った矢先、

 「御無礼仕ります!」

 と、堀秀政の大声が刺さった。

 


 

 

 




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