第79話 石投げ

文字数 2,824文字

 先ほど、信長の凝り固まった身体を解している時、
長島一向一揆制圧戦に絡め、
「根切」という言葉を聞いた仙千代は、
津島参りの帰りに目にした母子猿を思い出す一方、
根切の場面に自分が身を置いた時、
どのようにするのか、どう思うのか、
想像しても想像しても想像しきれなかった。

 信長の愛撫を受け、
欲に没入してしまった仙千代の脳裏に、
消しても消しても母子猿の姿が浮かび、
母子猿を見た時は隣に信忠が居たとも思い、
すると信忠への恋慕や、
信長への申し訳無さで正常な思考が飛んでしまい、
ひたすらに目の前の肉欲に身を晒し、求め狂ってしまった。

 信長の陽物を初めて完全に受け入れた後孔に、
疼きが残っていた。
 最中、快楽に身を捩って(よじって)いたはずが、
途中から余りの圧迫で快感に痛みが混じり、
それだけ信長の悦びが大きいのだと思えばこそ耐えた。
 後ろから攻め立てられながら陰茎を手練手管で扱かれて(しごかれて)
同時に果てはしたものの、
あらためて強烈な経験をしたことにより、
名残り惜しさを隠しもしない信長から逃げ、
そそくさと閨房を後にしてしまった。

 いよいよ夕暮れとなった庭園に二本の滝が流れ落ちている。
初夏の若葉が美しかった。
昇ったばかりの月が梔子(くちなし)の花に光を投げ、
薄紫色の闇にぼうっと白く浮かび上がっている。
濃厚な甘い香りが漂う。

 仙千代の足は宿舎へ向かず、庭の東屋へやって来ていた。
岐阜の城へ出仕したばかりの頃、
元服間もない信忠と語り合った懐かしい場所だった。

 月光の下、東屋が建つ池の端に人影があった。

 あっ、若殿!……

 信忠の姿を認めた途端、
咄嗟に嬉しくなって一瞬にして笑みが浮かんでしまう。
 が、直ぐに現実に気付き、
気付かなかった振りをして立ち去るべきか、
作法通りに挨拶をすべきか、仙千代は迷った。

 その時、信忠に近付く人影があって、
やがて二つの影は重なり、顔を寄せ合っていた。

 信忠と居たのは清三郎で、信忠の手は清三郎の腰に回され、
清三郎は信忠の肩に抱き着いて、口づけを交わしていた。

 足許がすうっと掬われ(すくわれ)
妬心の(かたまり)となった仙千代から、邪神が立っている感覚を奪う。
嫉妬などという優しい言葉ではおよそ言い表せはしない、
どす黒い感情に支配され、胸が焼け焦げる。

 何故あの場所で!
あの場所は大切な思い出の……

 そこまで心の中で叫び、またしても気付く。

 とうの昔に嫌われた身、
若殿が何処で何をなさっても何も言えはせぬ……

 しかし黒い感情は仙千代を蝕んで離さなかった。

 筋違いの逆恨みだと分かっていながら、
仙千代は小石を拾い、池へ二度、三度、投げた。
もし自分が怪力で、岩が近くにあったなら、
石ではなく岩を池へ投げ込んでやりたい、
いや、岩を二人の間に投げ付けてやりたいぐらいに憎かった。

 やはり許せはしない!
あの場所であのような真似、絶対に嫌じゃ、
あの時の若殿は今の若殿とは別の御人じゃ、
あの時の若殿を汚す今の若殿は嫌いじゃ、
大っ嫌いじゃ!……

 石が水面を飛ぶ音で、清三郎が信忠から離れた。

 「仙様!」

 清三郎は理由は謎ながら、
仙千代が邪険にしても懐いて親し気にする。
 この時も、
逢瀬の場を目撃されて照れ臭さを浮かべはしているが、
例によって、万見家の下男が仙千代を呼ぶように、
「仙様」と言い、笑顔を向けた。

 「夕涼みですか?仙様も」

 若君が愛童と睦んでいる最中に邪魔立てをしたのだから、
本来、信忠は叱責を加えて良いはずだった。
 口づけている二人を目の当たりにし、
嫉妬の業火で焼かれた仙千代は、
前後の見境もなく池へ石を投げたのだったが、
信忠の顔色に変化はなかった。
 このような時の信忠は、感情の揺れが強い時に限り、
敢えて茫洋とした態を装う信長とよく似ていると、
仙千代は思った。

 何を考えていらっしゃるのか……
怒りか、呆れたか、蔑みか……

 何も知らない清三郎だけが明るく振る舞う。

 「石投げ、上手いのですね。
二度目に投げた時、四段飛びましたよ」

 「最高は七段飛ばした」

 どうでもいいと思いつつ、清三郎に気の無い返事をすると、
信忠が一瞬、笑ったように思われた。

 「あっ、仙様。首に赤い痕が。藪蚊に食われましたね」

 信長が付けた痕だった。
信長は燃え盛ると何処もかも口づけて吸い付いてくる。

 「藪蚊ではない。殿が為さった」

 清三郎とて信忠と褥を共にしているのだから、
それぐらいはと思い、つい、口に出た。
露悪趣味で、はしたないこと、この上ない。
しかし、この時の仙千代は、
信忠が清三郎と口づけを交わしている姿を現認し、
呆然自失の状態が続いていて、自棄で投げやりだった。

 仙千代の言葉に清三郎は頬を染めていた。

 それにしても、考えてみれば、
信忠の姿を認めた家臣の自分が、
ただその前に現われて、何の礼も尽くさず突っ立っている。

 無礼であるぞと何故、仰らないのか……

 仙千代は清三郎がよほど気に入られているのだと思った。
事実、信長がそうだった。
仙千代を侍らせている時は基本、機嫌が良かった。
諸将や御家臣、御側室から信長への取次ぎを願い出られる時、
話の内容が芳しいものではない場合は特に同席を頼まれる。
それでも面会者は叱責や不興を買うことがあるが、
仙千代が一緒に居れば、
信長の怒りの度合いが著しく低いと感謝をされた。

 清三郎を若殿は、よほど可愛がっておいでなのだろう……
大嫌いなはずの儂が不躾なことをしても、
一切何も仰らず……

 「若殿、御無礼の段、お許しください。
お二人が居られるとは知りもせず、石投げなどして。
お詫び致します。御容赦ください」

 仙千代は形式上の詫びをした。心の中では、

 今の若殿は若殿の姿をした単なる嫌な奴じゃ、
儂の大切な若殿を汚す、大悪人じゃ……

 と、半ば本気で考えた。
そうとでもしなければ、とてもここには居られない。
目の前の二人は口づけを交わしていた。
この後は褥で睦み合うのかもしれず、
その信忠は仙千代の知らない信忠だった。
仙千代は信忠と深い口づけさえ、したことがない。

 信忠は言葉を返さなかった。
仙千代も、信忠から、
そのような扱いをされることにもう慣れていた。
恬淡とした態度で接するか、
居ないかのように振る舞われるか、
そんなところが凡そ(おおよそ)だった。

 三郎が合流してきた。

 「ああ、仙千代!仙千代も居たのか。
東屋で少しばかり御酒をという若殿の御誘いなのじゃ。
若殿、仙千代も一緒で宜しいでしょう?」

 三郎は酒と盃を持っていた。

 信忠は、

 「万見は殿の御小姓。何時お呼びがかかるか知れぬ。
急な誘いは万見にも迷惑であろう」

 と至極もっともな返答をした。
 仙千代とて、信忠の寵童達と酒盛りをする気分ではなかった。

 「御無礼仕ります。先ほどは、まこと、御無礼の段、
お許しくださいませ」

 仙千代は(こうべ)を垂れ、振り返らずに去った。

 三郎も清三郎も心根の善い者達だった。
しかし、真の底から親しくすることができない。
未練がましく、狭い心の自分が情けなく、惨めだった。

 涙は流れなかったが、乾いた涙は止まらなかった。

 

 






 

 

 

 

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