第362話 野田原(4)息子達

文字数 1,108文字

 志多羅の原で合戦となれば家康は、
信長の巨兵を援軍に、
信長の財で築いた陣城で武田と戦うことになる。
 信長と家康の同盟は成立してから十三年が経ち、
当初こそ対等な関係だったが、
今では徳川は織田に従属していた。

 「三河の主は誰なのか。
三河を護るのは誰なのか。
家康は果敢な示威を強いられざるを得ないであろう」

 仙千代は信長の言葉を心中で咀嚼した。

 上様に援けを頼んだ徳川は、
奮迅の働きをしなければ内外に示しがつかず、
武田を追放できたとしても、
織田の一部隊と成り下がり、
領国内外で支配を弱める結果となりかねない……
家康父子は死に物狂いの戦いぶりを見せるであろうと、
上様は仰った……
こちらに若君二人を呼ばれた理由(わけ)は、
尋常ならば、
徳川の若君に勝る働きを見せよと鼓舞するが為……
なれど此度は逆の垂訓なのか……

 「明日の出馬の決意を訊こうと思い、
二人を呼んだ」

 軍議で確かめられている信長の本陣は、
志多羅の山の極楽寺だった。
 信忠は野辺神社、信雄(のぶかつ)は新見堂山で、
信忠、信雄、二人の陣は、
信長から良く見える南の前方に配置されていた。

 実戦経験の多くはない若君二人を参戦させる御つもりならば、
上様の前に陣は置かぬ……
上様は御二人に、
この戦は静観せよとお命じになるのか……

 「出羽介(でわのすけ)殿、如何」

 長幼の序で、信忠に質しが向いた。

 「三河は三河の主が護るのが宜しかろうと存じます。
我ら織田勢は援軍にて、
三河衆が思う存分、立ち働けるよう、
手助けするが役目かと考えます」

 「ならば、自身は動かぬと申されるか」

 「我が隊は、
差し迫って敵軍が押し寄せぬ限り、
動かすつもりはございません。
主軍は三河。
援けが尾張と美濃。
三河が疲弊した時に、
尾張と美濃がどっと押し寄せ、打ち込めば、
この戦の(ことわり)を最も表すことになりましょう」

 十九歳の信忠は信長の意を正確に酌んでいた。
徳川に働かせ、
織田は一兵卒も失わない覚悟で臨む。
それでも勝利を収めれば、
両家に果実はもたらされ、
家康は三方ヶ原の不名誉を返上し、
三河に於いて徳川の地位を盤石にして、
信長も東の憂いを大きく減ずることが出来、
北陸、畿内、
尚も西へと覇権の伸張が容易になる。

 信忠に満足した信長が、
一歳年下の信雄に目を遣った。

 「三介殿は如何」

 「はっ!兄上の御意見尤も(もっとも)なれど、
それでは気宇が収まりませぬ。
此度、徳川の嫡男と比べられるは必定、
何もせず傍観していたと言われたならば、
口惜しゅうて胸中の修羅が疼きましてございます」

 青い魂胆を思うがまま口にする二男を、
信長は敢えて叱らず、窘めた(たしなめた)

 「その意気や良し。
だが、その未熟を案じ、
与兵に参じてもらったのだ」

 聞き役に徹していた河尻秀隆が、
信長に一段、身を寄せた。


 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み