第87話 初恋(1)

文字数 1,749文字

 出陣が近付けば、
出立前の三日間は女人との同衾は許されず、
他にも暦上、
やはり女人との交わりを禁忌とする日が武家にはあった。
 現実は、
武将達が何処まで厳密に守っているか知れないことだが、
信長は神仏どうこう以前に、兵の士気を鑑みて、
禁忌を破ることをしなかった。
 権力の地位にあれば、行動はすべて筒抜けで、
敢えて兵達の士気を低めるような真似をする必要はないことだった。

 昨日まで連日のように仙千代を閨房へ召し寄せていて、
ここしばらくは竹丸を呼んでいなかった。

 愛撫の最中(さなか)、夜が寂しくなかったか、
退屈していたのではないかと睦言混じりに尋ねると、
例によって竹丸は、まるで用意をしていたかのように、

 「殿のお肌が恋しくて身悶えしておりました」

 と、艶っぽい台詞を口にしたが、
相変わらず恬淡とし、熱を感じられはしなかった。

 閨房での仙千代が、
純白から濃厚な深い赤まで様々な表情を持っているのだとしたら、
竹丸は澄んで透明な瑞々しい碧だった。
それが我を失うまいとしつつも信長の手管によって、
最後はせつなげに煮え滾る。
 仙千代と竹丸は、陽の沈んだ後すらも、
信長を魅了してやまない存在だった。

 久しぶりに抱いた竹丸は信長を満足させ、
しばしの休息の後、今一度と思い、
竹丸と褥で向かい合いになり、背や双丘を撫でた。

 十三で出仕した竹丸は今、数えの十六だった。
元服の年齢に決まった定めはないが、
大人として送り出せばこのような夜は望めなくなる。
竹丸を手離すことは、まだ考えられなかった。

 「竹丸がよく面倒を見てくれて、
仙千代も今や竹丸に並ぶほど、力を付けてきた。
流石に竹丸と、感謝しておる」

 「お誉めにあずかり、嬉しゅうございます」

 竹丸が控えめに微笑む。

 「例の大根騒動の時もそうであったが、
仙千代を妬み、意地の悪いことをする奴らはもう居ぬか?」

 「妬む者が居ないわけではありませぬが、
あの三人の成れの果てを知り、
そのような連中も今では大人しくなりました」

 「うむ。それは良かった」

 三人組は織田家からの鶴首を受けて、
家格の低い家へ養子に出されたり、
廃嫡された上、
寺へ入れられたりという末路を辿ったと聞いていた。

 「仙千代のお陰で、
またもああした腐った性根の者があぶり出され、
手切れが叶った。広小路堅三蔵(ひろこうじたてみつくら)を思い出すな」

 竹丸が笑った。冷笑とも言うべき笑いで、
涼やかな面立ちであるだけに冷酷にすら、映る。

 「そのような者も居りました。確かに」

 「竹は妬まぬのか?仙千代を」

 「妬んで何か産み出されましょうか。
無益なことはしない質でございます」

 「ふうむ。どのような意味でそれを申す」

 「簡単な算術でございます。
殿が特別にお引き立てになる小姓を援け(たすけ)れば、
こちらにも得点となります。
我が身可愛さ、ただそれだけにて」

 「左様か。それにしては親身に世話をしておるような。
以前、弟のようなものだと話しておったな」

 「今や弟に何もかも抜かれそうでございます」

 何を言っても、何をしてもそつのない竹丸は、
仙千代とはまた少々異なる謎を感じさせた。
 仙千代は、時に、心ここにあらずとなって、
別のことを考えている。
竹丸は心に鎧を纏い、
誰にも見せぬ秘密を抱いているようだった。

 「時に竹は、初めて女子(おなご)を好いたのはいつか」

 竹丸はふっと笑った。
答えは既に用意が成っているようだった。
これだけの才覚と容姿に恵まれているのであるから、
常に似た問い掛けをされているのかもしれなかった。

 「嫁御となる女人の為、とってあります」

 「ふうむ。それはまた殊勝な」

 「殿は?」

 「どれがどれやら。多過ぎて」

 この答えには竹丸が心からの笑いを見せた。

 「まあ、乳母の大御ち(おおおち)殿か。
大御ち殿の乳がなければ、
ここまでの体格には成らなかったであろうからな」

 大御ちというのは池田恒興の実母で、
どんな乳母の乳首も噛み切ってしまう信長に手を焼いていたところ、
恒興の母が乳母となって以降はその癖が治り、
やがて夫を亡くした後は養徳院と名乗って、
信長の父、信秀の側室となり、娘を産んだ。
 信長の命を支えた人という意味で大御ち様と敬称され、
家中に於いて特別な地位を得ていた。
 信長より四才年下の養徳院の子、恒興も、
十才になった折には信長の小姓となって、
今も重臣として織田家を支え続けている。




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