第5話 初陣の日々

文字数 1,727文字

 遠征も行軍も、陣に宿泊することも、
信重には初めてのことだった。

 柴田勝家、丹羽長秀、佐久間信盛、木下藤吉郎、
稲葉一鉄、明智光秀といった諸将も、
戦地での(かお)は、常日ごろ城で見掛ける時とは、
眼光からして、まったく違うものだった。

 皆が奉じて盛り立ててくれるが、
当然、副大将とは名ばかりで、
見るもの聞くもの一切合切、知らないことばかりで、
この貴重な機会を無駄にすまいと、
一瞬たりとも気の抜けない毎日を信重は送った。

 信重とて、幼少時より兵法を学び、
過去の合戦で用いられた軍略とその結果も、
父や重臣達から直々に教わって、育った。
 しかし、現実の軍議では信重が頭に描く作戦と、
父が実際に指示を与えるそれとでは異なることが多かった。

 父は、時に、相手の意表をつく、
どうかすれば味方にすら驚かれるような策戦を命じた。
 奇をてらうことを目的としているのではなく、
父にとってそれはあくまで合理で、
また、それら策戦を遂行する能力を持った家臣が揃っている
という一言に尽きた。
 父の威厳は、こと、戦場では平時の何倍も凄まじく、
総大将が次は何を言うか、何を指すか、
一挙手一投足を諸将達が全神経を張り詰めて聴き入っていた。

 信長に対する信重の見方は変化を遂げていた。
岐阜では父と衝突し、
不貞腐れた態度を取ることが多かった信重も、
いざ戦となれば赤子同然で、大将としての知識、振舞を、
生身の姿で見せてくれている父から学ぶより他はない。
 自分の命は当たり前のこと、一族郎党、諸将、家臣、
ひいては所領地の民を思えば一個人としての心理の蹉跌に
拘っては(こだわっては)いられなかった。

 過去の合戦で、およそ不利な情勢をはね返し、
奇跡的な勝利を幾度もおさめた信長を、
戦神のように崇める者が居ないわけではないが、
実情は敗北も少なくなかった。

 この浅井、朝倉との戦いでも、
二年前には織田、徳川の連合軍が背後から浅井軍に突かれ、
信長が京へ戻った時に付き従っていたのは、
わずか十数騎という惨状で、
多くの家臣や兵を失った往時の撤退戦は、
信長の怒りを未だ鎮めることがない。
 今回こそ勝利を得て、
浅井、朝倉を破滅に追い込むという信長の決意は固かった。

 信重は、自分がいかに生ぬるい環境に居て、
真綿で包まれているかのように暮らしていたか、
ようやく肌身で実感していた。
 伝令からの報せを元に戦況を総覧し、評定を行い、
城や陣の奥に居て指令を放つ総大将や副大将は、
血煙舞い散る戦場に出ることはないが、
やはり戦の実相は言葉では言い尽くせぬものだった。

 大音声(だいおんじょう)で激しく飛び交う報告も、
焼き払う、焼き殺す、斬りかかる、討ち取る、斬り捨てる、
撫で切る、追い詰める、
分捕るといった殺伐そのものの言葉ばかりで、
信重が城に暮らして漠然と想像していた世界が具現化されて、
例えば持ち帰られた直後の敵兵の首を目の当たりにすると、
当初は陰で吐いていた。

 「若殿、大丈夫でいらっしゃいますか?」

 見付からないように吐いていたつもりが、
後ろから三郎がやってきて、

 「どうぞ」

 と断りを入れ、水で濡らした手拭いを差し出してくれた。

 「三郎は平気か?生首を見て」

 半ば干からびたものなら岐阜でも見ていたが、
血糊の付いた生々しい首は禍々しくも、おぞましいものだった。

 「はあ、まあ。家では時に首を洗わされておりました」

 三郎の家は美濃の国士で、織田家に臣従していた。

 「幼い頃からやっておりました。
手が足らぬ時は母や姉も総出で」

 呑気に見える三郎も、
見た目ほどに苦労知らずなのではないと知る。

 「斯様な姿、とても他人(ひと)には見せられぬ」

 信重は口を拭き、手拭いを三郎に返した。

 「彦七郎や彦八郎は、猪や鶏を解体したり、絞めることと、
さほど違いはないと申しておった」

 「はい。私も鶏なら、しょっちゅう、絞めていました。
締めたての鶏は、生のままのササミに塩を振って食しますと、
最高でございます」

 「そ、そうか。流石、食べ物には詳しいな」

 信重は自嘲を交え、笑った。

 首を見て嘔吐するなど、三郎以下じゃ……
情けないにも程がある……

 しかし、
討ち取られたばかりの生首を初めて見たその夜は、
悪夢にうなされ、翌朝の目覚めも悪く、
信重は首実検に慣れるまで、しばらくの時を要した。




 


 
 
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