第184話 労いの宴

文字数 1,434文字

 稲葉山の麓の公居館の湯殿で身を浄めると、
信忠は信長に従って天守に上がり、
鷺山殿、父の側室達、その子供達の出迎えを受けた。
 
 年に何度か弟や妹が生まれ、
側室の数は増えこそすれ減ることはなく、
今、いったい、何人居るのか。
 しかし、今回の戦で喪った血族を思うと、
明日以降の父の夜の奮闘ぶりが想像され、
冗談でなく、頭が下がる。
 子の信忠から見てさえ、信長は、
他の誰よりも信長という人間をこき使い、
休ませることがまず、なかった。
 
 戦国大名にとって子作りは必須の務めで、
小姓を持ち、情けを授けることにより絆を深め、
顔色ひとつで主の意志を汲み取り、
けして寝首をかかれることのない、
信頼すべき家臣を育成することも重要ではあるが、
実子を増やすことも極めて重い義務だった。
 
 織田家の重臣にあっても、
特別に寵愛する臣下や小姓を抱えつつ、
いまだ(つま)を持とうとしない柴田勝家に対し、
信長は子を為すようにすすめ、注意を与えている。
一方で、羽柴秀吉は小姓を閨房に入れることがなく、
女色に惑溺する傾向があり、
これもまた信長は軽くではあるが叱責をした。
 
 その点、幾人もの後家を含め側室とし、
効率的に子を量産する一方、
古くは丹羽長秀、前田利家ら、小姓上がりの武将が、
織田家内に於いて重い地位を占め、
見合う働きをしていることは、
独尊や好悪感情が激しく映る信長の均衡性と言えた。

 今も、俊英、堀秀政に続き、
長谷川竹丸、万見仙千代らの成長が著しく、
例えば宿老の丹羽長秀も信長の前では、
仙千代、竹丸には敬称を付けて呼び、
二人に対する主君の期待を斟酌し、
他に対してむしろそれを喧伝するかのように振る舞っている。
 長秀ほどの寵臣が仙千代、竹丸を重く扱うのなら、
自然、他の者も真似ることになり、
二人は完全に出世街道に乗ったと言えた。

 信長の信頼を物語るように、
この夜の公居館での宴では、武将達に混じり、
仙千代、竹丸は着席し、酒を注がれる立場にあった。
 長島平定戦に随行した小姓達は、当初の予定では、
帰城後は御役御免で好きに過ごして良いと言われていたが、
信長の配慮によって、末席とはいえ、
二人は酒宴の客となったのだった。

 菅屋長頼、堀秀政ら、信長の若手側近の輪に加わって、
仙千代、竹丸は酒を酌み交わしている。
 確か竹丸は酒が苦手なはずだったが、
今夜は幾らか嗜んでいるようだった。

 信忠の盃に勝丸が酒を注ぐ。
信忠は気が緩んだか、珍しく少しばかり酔い、
久方ぶりに見た仙千代に、心を奪われていた。

 討死の報が次々と舞い込む中、
仙千代の名を聞くことはなく済み、安堵していたものの、
心中では、仙千代に本心を告げることなく、
いや、濡れ衣を着せ、罵倒したことを詫びることすらなく、
この世の別れも有り得るのだと、
仙千代が小木江城で凶徒に襲撃され、
危篤に陥った報を受けた時には覚悟した。
 それでもやはり、生きて、
健やかな仙千代を目にすれば、
ただひたすらに嬉しく、目が離せなかった。

 仙千代は生きる喜び、命……

 仙千代の重傷に我を失い、追い縋る三郎を振り払い、
小木江城に駆け付けようとした信忠の心に浮かんだ言葉は、
それだった。
 今、信忠の「喜び」が同じ場所に居て、
いつもの控え目な笑窪(えくぼ)を頬に浮かべ、
慎ましやかな笑みを交え、耳を傾け、時に語る。

 信忠は見惚れ、胸が疼き、せつなさがこみ上げた。

 仙千代を好きだ、好きなのだ……

 甘美な思いで満たされた時、
あらためて、

 ああ、生きている……

 と、生命の炎の熱い揺らめきを身中に覚えた。

 

 
 

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み