第137話 小木江城 未来

文字数 1,195文字

 「副将様からも見舞いの御言葉をいただいた。
元はといえば副将様の御小姓、容態を案じておられた」

 仙千代の眼が開き、養父の顔を見入った。

 「副将様が……」

 「そうだ。良かったな、仙。
此度の働き、誇りに思うとも。
仙を襲ったのは一揆衆の者ども二人。
携えていた毒を井戸へ投げ、水脈を汚そうとしておった。
それをよく防いだと、副将様が労ってくださった」

 この時、仙千代はここには無い何かを見詰め、
言葉は発せず、何事か、言っている気がした。
しかし信長にはそれが何かは分からず、
やはり傷と熱が仙千代の正気を奪っているのだと考えた。

 「さあ、仙千代、もう休め。目を閉じて。
一人では行くな、遠くへも、と命じたに、
仙は儂の言い付けをきかず彷徨って。
しかし、そこであのような手柄をたてるとは、
仙千代は織田家の、いや、儂の宝だ」

 仙千代は瞼を閉じた。
顔にも擦過傷が幾つもあって、ところどころ血が滲んでいる。

 美しい面立ちが失われず済んだことは僥倖だったが、
万一顔面に大きな怪我を負ったとしても、
仙千代への愛慕が変わることはないと信長は知った。
見初めた時の印象そのままに、
仙千代は純真、純朴だった。
その上で、戦の実相を目の当たりにし、
善良ゆえに懊悩を重ねつつも、武士として日々成長を遂げている。

 仙千代、生きよ、死ぬでない!
仙がどのように変化してゆくのか先が楽しみでならぬ……
儂のその楽しみは誰にも奪わせぬ!……

 瀕死の状態から回復を見せつつある仙千代ながら、
油断は一切できない高熱と重傷だった。
 その姿を目の当たりにし、
仙千代を万一には失うかもしれない不安と恐怖から、
信長は逆に思念を敢えて明るい方向へ移した。

 仙千代は文事、取次を任せることが正解かもしれぬ、
竹丸は普請に強い関心を見せておる故、
そちらへ進ませるとして、
仙千代は頼旦への竹水筒の件といい、
角の無い聡さが人心の機微によく生きる……
可成(よしなり)の子、長可(ながよし)のように、
戦場を天性の住処(すみか)とする者もおれば、
竹丸や仙千代のような者達も居て、
今後の織田家は、
それら若い力で次の世を創ってゆかねばならん……

 時に肩で息をして苦しんでいた仙千代が、
今、安らかに寝付いている姿を確かめ、
信長は仙千代の容態に安息を予感した。

 ふらふらと心定まらぬ様子で信長の居室を後にした仙千代に、
何やら不安を覚え、彦七郎兄弟に後を追わせた信長だった。
 そのしばらく後、仙千代は一命をもって、
水を汚さんとする一揆の賊と戦っていた。

 仙千代は何か、持っている……
仙千代は……
 
 信忠が言うように信長にとっても仙千代は誇りだった。

 仙千代を殺めんとしたあの二人、
直ぐには地獄の川を渡らせはしない、
直ぐには、な……

 信長は内心、独り言ち、仙千代の額に手をやった。
分かっていても、驚くほどに熱かった。

 信長は、
汲みたての清浄な水で冷やされた手拭いを額に乗せてやり、
仙千代の回復を強く願った。




 


 

 


 

 

 



 
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