第39話 東山へ

文字数 1,078文字

 仙千代が竹丸に合流し、信長の許へ姿を見せると、
細川藤孝、荒木村重という有力大名が到着した直後だった。
二人は信長の味方となって忠節を尽くそうと、
この逢坂の地まで出迎えでやって来たということだった。

 細川様といえば今の足利将軍擁立の為、
殿に力をお貸しくださった名門武家の御血筋、
荒木様は確か主家筋の池田家を調略をもって掌握し、
殿に気に入られ、池田家から織田家に移られた御方……

 仙千代が二人に会うのは初めてだったが、
岐阜の城で信長が諸将と話す際、度々名が出ることから、
藤孝も村重も事情背景は既に頭に入っていた。

 二人がわざわざ迎えに現われたことで信長は、

 「御両名揃っての迎えとは。此度はまた幸先が良い。
後ほど、褒美を取らそうぞ」

 と上機嫌になった。

 信長がやって来るということで、京は騒擾(そうじょう)となった。
織田軍は粟田口へ着陣すると、三条河原へ出撃し、
幕府御所を取り巻いた。

 信長は東山の知恩院を本陣とし、
逢坂まで信長を奉迎した細川藤孝には名物の御脇指、
荒木村重には大剛の御腰物を其々、下賜した。

 織田軍諸将の軍勢は、白川、粟田口、祇園、清水、
六波羅、鳥羽、武田などに陣を構えた。

 浄土宗徒である仙千代は、初めて足を踏み入れた京で、
知恩院に身を置くことになった偶然を僥倖だと受け止め、

 「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」

 と、知恩院の寺領である華頂山(かちょうざん)へ入る時、
何度も唱えた。
 
 知恩院は浄土宗の開祖、法然が営んだ草庵を起源としている。
法然が旧仏教勢力の攻撃を受け、流罪となるまで長らく宿坊とし、
天文十七年には霊廟も建立された。

 わずか一年少々前に岐阜城への出仕に驚いていた自分が、
今では京に居て、
生涯訪れることがあるとは思いもしなかった知恩院に居る。

 仙千代は、

 夢の中の夢……
法然上人のお導きでこちらへ誘われたのか……

 と、上人の遺骨が奉安された法然上人御廟、
上人の住坊のあった所に建てられ、その幼名から名付けられた勢至堂、
見るものすべて有り難く、

 戦だ、戦にやって来たのだ……

 と思っても、陣にて各軍勢を総覧し、
采配を振るう信長の傍に侍る仙千代が、
阿鼻叫喚の戦場(いくさば)に思いを馳せることは難しかった。

 殿が御出陣なされば、その時は儂も甲冑姿になって、
殿をお守りし、一命をも捨てる覚悟……

 死の決意を滲ませ、唇を噛み、気を引き締めた仙千代だった。
しかし、信長と諸将との評定で物騒無慈悲な言葉が飛び交い、
事実、各地で策戦が実行されているものの、
総大将が陣取るこの東山は、静穏そのもので、

 いったい、何処で戦が行われているのだろう……

 と、この時の仙千代は思っていた。

 


 


 

 


 







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