第260話 側近団の朝餉(5)

文字数 1,228文字

 「さて!」

 信長自ら、感傷を打ち切った。

 「いつもはよう話す(きゅう)がダンマリじゃな、今朝は」

 久とは堀久太郎(ひさたろう)秀政で、
日頃から仙千代、竹丸に何事につけ、よく教えてやり、
可愛がっているようだった。

 秀政は仙千代に真っ向から告げた。

 「はい、仙千代の底意地の悪さに驚いて、
まったく二の句もございません!」

 一同から爆笑が上がった。
 今川氏真(うじざね)に親の仇敵、
毛利良勝を引き合わせようという一計を案じた仙千代を、
秀政は意地が悪いと揶揄った(からかった)

 信長も笑いが収まらない。

 「そうか、意地が悪いか。成程、なるほど」

 氏真の上洛について話し合われていたはずが、
矛先が自分に向けられた仙千代は驚いて、
信長の位置からもはっきり分かる、
白眼と黒目のくっきり分かれた瞳をパチクリさせ、
笑いの渦中で心なしか不満気に頬を膨らませている。

 「仙!左様に言われて黙っておるのか」

 信長が焚きつけた。

 「いえ、(きゅう)様、私は、
毛利殿は何処に居られましょうとお訊きしたのみにて」

 「いや、仙千代の目には(くそ)意地の悪さが光っておった」

 秀政とて、信長が如何に仙千代を寵愛しているか、
知らないはずはないであろうに、
平気な顔をして信長の面前で仙千代をいたぶって見せる。
 それだけ信長と秀政の間柄も緊にして密だということだった。

 「くっ、糞でございますか!」

 朝餉を終えているとはいえ、
そのような言葉を反復する仙千代にまたも笑いが起こる。

 仙千代は大いなる困惑を見せ、
眉根を顰め(ひそめ)、瞠目した。
 目の縁を濃やかに睫毛が飾り、瞳に柔らかな影を落とす。
艶を含んだ程好い涙袋に仄かな(ほのかな)色香があって、
以前より幾らか低くなった声は、
穏やかさを増し、耳に心地よく、
清らかな口元は、
雑言をついたとしても聞き苦しさを奪った。
 また、整えられたかのように優美な眉は、
凛々しさを滲ませ、
先端がつんとなった鼻先は怜悧さを表し、
控え目な笑窪(えくぼ)に至っては、
つい、それを探してしまうかのような、
何とも言えない機微を表情に与えた。

 何を言っても、何をやっても、
どうにも憎めず、困ったものだ……

 信長は自身に呆れた。
仙千代を召し寄せて三年が過ぎ、四年目になろうとしている。
 しかし、飽くことがない。

 ここに二人きりであるのなら、
宝のような仙千代を抱き寄せて、
誰のものであるのか心ゆくまで確かめたかった。
 今の仙千代は薄皮を剥ぐが如く、
一夜毎に艶めかしさを増し、
けして色恋沙汰に耽溺することはなかった信長が、
狂おしい思いにさせられることがあった。
 仙千代は存分に信長の情けを浴び、
技に翻弄され、
味わい尽くして悦びを見せ付けてくるが、
最後の最後、ふっと頼りないような、
透明な存在になって、泡沫(うたかた)のように消えてしまう。
 本人にそのつもりはないのだろうが、
数多の男女と夜を過ごしてきた信長にはそれが分かる。
ただ、仙千代自身がそれを意識していないように映るのだから、
信長がその影を追っても手にするものは何もなく、
ただ、いっそう、追い求める心が募るばかりなのだった。




 
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