第263話 氏真 来訪(2)

文字数 1,586文字

 氏真来訪の支度がつつがなく進行し、
一息ついた秀政、竹丸、仙千代は、
供される菓子や虫押さえを試食した。

 「ううむ、これは!格別!」

 砂糖羊羹(ようかん)に竹丸が歓声をあげた。
同じく、秀政と仙千代も思わず、

 「美味い!」

 「甘い!」

 と笑顔を向け合った。

 寺には、禅の教えと共に、
点心と呼ばれる軽食の習慣が大陸から伝わり、
羊羹といえば元々は羊肉の煮物であったものが、
精進料理に転ずる際、小豆(あずき)を使った菓子となり、
砂糖を使った羊羹は特に砂糖羊羹と呼ばれ、
大変贅沢なものだった。

 「明日、この菓子を今川様は、
どのような御気持ちで召し上がられるのか」

 甘さを口中いっぱいに味わいながら、
仙千代が呟いた(つぶやいた)

 秀政が答えた。

 「小豆小豆で、ふんだんに高級小豆が使われ、
砂糖もたっぷりで、極めて甘い。
ここまで特別な羊羹は初めてだ。
この菓子は竹丸の発案。
小豆に因む由縁を今川殿が斟酌されれば良いが」

 東を大大名の今川義元、
西を伸長勢力の織田信秀に挟まれた三河の国は、
徳川家康が松平竹千代と呼ばれた幼い頃は、
東と西、二国の草刈り場となっていて、
まさに猫の目のように城や砦の支配が変わった。

 秀政が続けた。

 「策士であられた殿の御尊父は、
今川の城であった那古野城を略取されると、
幾度となく三河へ侵攻されて大いに戦績を上げられるも、
惜しむらくは三河岡崎 小豆坂(あずきざか)の戦いで、
全軍壊滅という大敗を喫された。
小豆坂合戦からの十数年は今川家の黄金時代。
徳川様は織田から今川へ人質の身を移されて、
生まれた岡崎の城は事実上、今川が支配し、
松平家嫡男であられる徳川様が法事で帰城を許された際も
本丸へは近付けず二の丸で御焼香をあげられたという。
如何に今川家の権勢が強大であったか。
破竹の勢いは止まらず、
ついには尾張を掌握しようと二万五千の大軍で、
西へ攻め寄せ……」

 一呼吸置き、

 「二千とも三千ともいう織田軍に敗退したのが桶狭間」

  と秀政は庭に目を遣って梅を眺め、

 「ま、小豆の茶菓子に今川殿が何を思うか、思わぬか。
どちらでも良しだ。
が、気付いたとなれば、不愉快ならずやであろう」

 と言い、白湯を口に運んだ。

 竹丸は頷き(うなづき)、応じた。

 「親の仇に囲まれて、(こうべ)を垂れ、
しかも首級をあげた毛利様まで居られては、
今川殿には地獄巡りのようなもの。
敗残の身なればそれも致し方無しとして、
さりとて、地獄道中にも息抜きは要る。
過去の栄華とはいえ、
華々しい小豆坂の合戦に縁を発する菓子は、
地獄であれば一段二段甘く感じられるやもと。
こちらとて何も今更、今川と一戦を交えるでなし、
共に武田を滅ぼそうという話なのだから、
そうそう安い扱いは出来ぬこと」

 仙千代は傾聴の姿勢を崩さず、
二人の会話に聴き入っていた。

 「恩讐を超え、明日からは、
我が織田家とも手を携えて……であるからな。
くれぐれも失礼なきよう遇して差し上げねばならん。
酸いや甘いが混じり合う匙加減の難しい饗応ゆえ、
確と(しかと)皆で心を合わせ、竹も仙も気を抜くでないぞ」

 「はっ!」

 「ははっ!」

 「うむ!」

 と、ここで、
秀政が皿に残っていた羊羹の最後の一切れを、
ぱくっと口に放り込んだ。

 竹丸、仙千代が、同時に皿に身を乗り出して、
秀政に、

 「(きゅう)様!」

 と、竹丸。

 秀政は恍け顔(とぼけがお)で、

 「む?何だ?」

 と素知らぬ振りをする。

 「遠慮の(かたまり)を!」

 と、仙千代。

 秀政がカカカと笑った。

 「儂が始末をつけてやったのだ、遠慮の塊とやらを。
礼を言え」

 「言いませぬ」

 「何ゆえ、言わねばなりませぬ」

 しかし、最後はやはり笑い合って終わった。

 かつて縁組の際に武田家から今川家へ贈られ、
今川義元が討死した際にも携えていた名刀、
宗三左文字(そうざさもんじ)は、
桶狭間での勝利に於いて信長が接収し、
以後、この左文字を、
信長は気に入って必ず手元に置いていた。
 明日、氏真が信長に拝謁の時、
左文字を常より高く掲げ持とうと仙千代は思った。


 

 

 

 
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