第423話 仙鳥の宴(9)秀吉贔屓⑤

文字数 1,394文字

 夜の(とばり)(からす)が鳴いて、
仏法僧の美しい声を消した。

 「(つぶさ)に何某か仰ったわけではないのです」

 それはまったくの事実で、
丹羽長秀が普請奉行の栄誉を授かるだろうと考えるのは、
仙千代の個人的見解で、
信長が具体的に名を出したわけではなかった。

 「上様を手伝われるといえば、
丹羽様……ですかな、やはり」

 「と、お思いでいらっしゃるなら、
羽柴様は返す返すも強運の持ち主。
丹羽様が(かばね)の一文字をお与えになり、
羽柴様と名乗っておられる。
丹羽様が御奉行として選ばれた暁には、
羽柴様にも吉報が届くやも知れませぬ」

 実際、羽柴とは、身も蓋も無い名で、
側近であり信長の縁者、丹羽長秀の「羽」、
織田家の武の長、柴田勝家の「柴」を、
秀吉が依願して貰い、合体させたものだった。
 
 恥ずかしげもなく、
そこまで堂々と(おもね)ることは、
他の武将にはまず出来ない。
 秀吉は各地を漂泊し、
最底辺の暮らしをしつつ、
武辺の道を探ったが、
隠しようのない出自の低さがあって、
信長に辿り着くまで、
何処の誰も相手にしなかった。
 それ故の上昇志向、
劣等感と優越心が入り混じり、
例えば、純で真っ直ぐな信長や、
誠実一途で温厚な長秀に比べ、
ある意味、複雑な個性をしていた。

 「確かに丹羽様は儂を可愛がって下さって、
まこと、感謝しかござらん。
丹羽様が奉行に就かれれば、
儂にも浮かぶ瀬があるというものですかな。
何かにつけ、
丹羽様は儂を引き立てて下さる」

 否定することでもなし、
肯定の意で仙千代は穏やかな表情で黙した。

 今回の志多羅の戦いでも、
有海原(あるみはら)での重要な陽動部隊に、
滝川一益と丹羽長秀が命じられた際、
長秀は秀吉も混ぜての策を信長に提案した。
 長秀は誰と組んでも事を荒げることがない。
 しかし長秀にとり秀吉の扱いやすさは、
頭ひとつ抜けていた。
 つまり秀吉の長秀への取り入りぶりは、
徹底していた。

 「ただ、気になることが」

 と言った秀吉に仙千代は目を向けた。
秀吉も仙千代に視線を合わせた。

 「明智殿」

 秀吉の一言が夜風に冷たく乗った。

 「上様がもしや、
明智殿を抜擢なさることが有り得たならば、
噛んだ奥歯が擦り減る思い……
口惜しゅうて、歯が割れる」

 仙千代が苦笑してみせると、
秀吉もにやっと笑った。

 「また大袈裟な。
御芝居がお上手でいらっしゃる」

 「いや、本心は本心」

 秀吉は真顔になった。

 「明智殿は文武に優れたたいした男。
坂本の城も、それはもう壮麗な。
しかしその城の問題で、
ちと、面白うないことがござった」

 「面白くないとは」

 信長に知行を賜り、許可を得て、
光秀は坂本に城を築いた。
 遅れて数年、
秀吉が長浜に築城する際、
秀吉より畿内で古顔の光秀に、
棟梁、大工を幾らか回してほしいと頼んだところ、
坂本城の櫓を増築中であるとして断られ、
秀吉は未だ快く思っていないのだという。

 「仙殿!
如何にも吝嗇(けち)ではござらんか?
既に天守、本丸、二の丸まで完成をみて、
兵糧庫、武器庫も然り。
櫓を増やすぐらいの普請なら、
棟梁の一人二人、大工の十人二十人、
出してくれても良さそうなもの。
儂が明智なら要るだけ貸してやりますわ。
仙殿!
それが算術っちゅうもんじゃないかね?
そこで気風の良さを見せておけば人望高まり、
名も上がる。違うかね」

 仙千代はまたも笑ってしまった。

 武士の心意気ではなく、
算術だと言い切って憚らない秀吉が率直に過ぎ、
笑うところではないかもしれないが、
つい、笑みがこぼれた。

 
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