第377話 志多羅での軍議(11)奇襲戦②

文字数 1,106文字

 志多羅の雷鳴はすっかり遠ざかり、
雨音も落ち着き始めていた。

 豊田藤助は、

 「僭越ながら!」

 と、この一言のみ、
声を強く発したが、
後は押し殺すように抑えて語った。

 「本日、夜陰に紛れて東へ移動を開始、
広瀬の渡しで大川を渡河し、
日吉から久間山砦に近い樋田に到達後、
船着山の西を通り、
吉川を経由して松山峠を目指し、
武田の警戒域が途切れる尾根伝いに、
鳶ケ巣山(とびがすやま)砦の背後に迫る……
これが、いえ、これのみが、
明朝の開戦に間に合う道程にございます」

 「広瀬の渡しの大川は、
増水しておるのではないか」

 と案じた信長に対し、

 「つい先だって、
徳川の殿様の配慮を頂き、
土橋が落成したばかりにて、
この程度の強雨であれば不安はございませぬ」

 信長が家康に渡した黄金は、
確実に正しく使われていると、
この橋の(くだり)でも知れた。

 「何より、長篠城を取り戻し、
武田の手からこの地を解放できぬなら、
いずれ我が命、先はありませぬ」

 藤助の言葉に迷いはなかった。

 武田の(かばね)も信玄の「信」も与えられず、
家督の正当な相続者ではなく、
あくまで後見という立場に過ぎず、
馬印さえ、風林火山の使用を認められず、
総白に大の字の勝頼が必死なら、
徳川、奥平という大名はじめ、
山間(やまあい)の地の郷士である豊田藤助ら、
三河衆も明日、明後日が、
生涯の正念場であり、一命を賭していると、
痛い程に胸に迫って、
仙千代は心が震えた。

 信長は一同を見据え、告げた。

 「此度の作戦は長篠城を救い出し、
武田兵を討伐しつつ西へ追い込み、
志多羅の陣城前に引き寄せた上、
一網打尽に壊滅させるが最終目標。
だが、雨天の夜間行軍。
万一の為、要所に退路を確保しておけ。
大軍こそ、
不慮の事態で足並みが乱れれば、
取り返しがつかぬ。
また、存じておろうが、
兵糧庫を確実に焼き払え。
食糧が絶たれたとなれば士気は下がる。
朝まだき、
鳥も鳴かぬ内から奇襲を受けて、
食糧が燃えたとなれば混乱は必至。
兵糧は確か鳶ケ巣であったな」

 他国の武将に比べて、
戦での兵糧を特別に重要視する信長らしい(げん)だった。
織田軍は食糧分配に滞りがなく、
潤沢であると知られていた。

 「はっ、御意」

 藤助が頷くと、
忠次も藤助に質した。

 「鳶ケ巣は如何程の高所か」

 「城を見下ろす高さにて、
この志多羅まで見通せまする」

 ついさっき、武田との戦で、
織田が夜襲を仕掛けるなどは言語道断、
百代の恥であると怒声を飛ばした信長が、

 「やはり夜討ちが理に適う。
そこまで見渡せられたのではな」

 とニマっと笑った。

 罵声を浴びた当の忠次はそこは素通りし、

 「鳶ケ巣山砦に火を放ち、
志多羅に御座す(おわす)上様に、
濛々(もうもう)と立ち昇る勝利の雲煙(うんえん)を届けて御覧に入れまする!」

 と、決意を見せた。

 

 



 



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