外伝4『月影の晩に』30:愛しています

文字数 4,223文字

 その日も、上から見下ろすと植込みが刺繍の様な模様を描いている見事な庭の中で二人は語り合う。

「何か話をしてくれないか、アイラの声をいつまでも聴いていたい。こんなに心が癒されるのは初めてだ」
「左様で御座いますか、嬉しいです。では……このお話を。
『ある森に、とても可愛らしい妖精が住んでいました。妖精は動物や草花、自然界の全てと仲が良く、常に一緒に過ごしていました。ある日、その森の近くにニンゲンが現れました。ニンゲンとも仲良くなろうと歩み寄る妖精を、動物達が止めます。けれども、妖精は一人のニンゲンに恋をしました。
 妖精は、なんとか彼らに近づこうと努力をしてみました。けれども、生じた誤解を溶かす術を知りませんでした。妖精は火の様な熱き心を持つニンゲンに恋焦がれ、そのニンゲンも安らぎを与える妖精に恋焦がれ。
 互いに惹かれ合っていたにも関わらず、生じた誤解は大きく複雑に絡まり解けることはありませんでした。互いの想いを正確に伝えることが出来ないまま……。
 そのまま、森や多くの人々を巻き込んで、最悪の事態を引き起こし、息絶えました。』」

 歌うように語り終えたアイラだが、トレベレスは怪訝な表情を浮かべて起き上がった。

「待て、何だ今の話は。納得出来ない」
「そういうお話なのです」
「誰だ、作者は。けしからん」
「知りませんけど、印象に残っていたのです。城にあった本なので、童話だと思うのですが」

 不愉快極まりないと小言を言いつつ、トレベレスは傍らのワインを飲み干す。たかが物語だが、何故か心がざわついた。芳醇なマスカットの香りを堪能すると、些か心が落ち着いた気がした。

 ……妙だな。初めて聞いた話のはずだが、知っている気がする。以前似たような歌劇を観たのだろうか、いや、そうではない。もっと臨場感があったような。

 重苦しく心にまとわりつき始めた黒い靄を振り払うように、トレベレスは花を一輪摘み取ってアイラの髪に挿した。

「うん、アイラは花がとても似合う。庭に、もっと花を増やそう」

 笑って頬を撫でると、嬉しそうにアイラは微笑んだ。
 穏やかな時間は、偽りから産まれたもの。トレベレスがアイラに嘘を伝えつつ、辛うじて保っている幸福である。マローはベルガーと旅に出ている、その嘘を突き通すしか方法はない。
 トレベレスはアイラが望むので絵の具を与え、絵を描かせた。一緒に野菜を収穫し、花を植えた。それまでしたことがなかった些細な出来事が、どうしようもなく楽しくて仕方がない。今まで下々の者に任せていたが、こうして体験してみると意外に愉快に思えてきた。それもこれも、アイラが隣で微笑んでいるからなのだが。
 アイラが作ってくれた果実酒は実に美味く、高級なワインを投げ出した。
 愛しい愛しい、娘。二人が再会し、二十日ほどが経過した。
 
 口付けが上手くなったアイラと、その日も眠る前に何度も口付けをする。どちらかが眠りに就くまで、それは繰り返された。
 月が翳り暗闇が押し寄せた室内で、アイラは溜息を吐く。

「マローは、無事ですよね?」

 頼りなく震える声で、アイラはそう零した。

「ん?」
「最近、あの子が泣いている夢を観たのです。胸が締め付けられる思いです……」

 言われて、トレベレスの全身から一気に汗が吹き出した。魔力を引き継ぐ姫の直感は、恐ろしい。離れていても、互いに影響し合っていることは十分に考えられる。

「そ、そうか。しかし、ベルガー殿と出向いているのだ、心配はいらない筈だ。杞憂に違いない」

 トレベレスは、乾いた声で必死にアイラを宥めた。まさか、連れ去ってからこれまで、ベルガーと交互に無理やり犯しているとは口が裂けても言えない。アイラの代わりに慰み者としているなど、知られてはならない。確かにマローは絶望して今も泣いているだろう、あながちアイラの見た夢は真実に近いものがある。

「えぇ、きっと、そうだと願っています。あの明るい笑顔が消えているだなんて、有り得ません」
「ぅ……」

 すすり泣くアイラを見下ろし、トレベレスは言葉を濁した。それ以上言葉が出て来ず、舌打ちをする。嘘を保ち続けることは困難だと、歯ぎしりをした。嘘が露見しなければ良いだけの話だが、何しろ二人は魔女と呼ばれた女王の娘である。双子同士の絆が、目には見えない恐ろしい力を引き起こしそうな気がしてきた。

「あの……トレベレス様」

 急に名を呼ばれ、トレベレスは狼狽えた。上擦った声で返答をする。

「ど、どうした?」
「わ、私、その」
「どうした、アイラ」

 不安になり、トレベレスは蝋燭に火を灯した。じんわりとした光と共に浮かび上がる、アイラの姿。薄布はくっきりと身体の線を強調し、悩ましく憂いを帯びた表情をも浮かび上がらせている。

「あ、あの。わ、私は。マローのように可愛くも、綺麗でもないです。あの子の様に、明るくもありません。皆にも……嫌われていました。で、ですがあの子を思う気持ちだけは本物です、国のみんなにも幸せになってもらいたいのです。どうか、どうか早くあの子を連れてきてください、わ、私は。その為なら何だって出来ますから、だから!」

 アイラは焦燥感に駆られ、トレベレスに強く抱き付いた。
 震える身体が、非常に小さく見えた。迷子の仔猫のように不安げな姿に、トレベレスは反射的に強く抱き締める。

 ……あぁそうか、呪いの姫君は誰かに子種を植え付けてもらわねばならないから、こうして男を誘うように訓練されていたのだったか。

 震える身体をそっと引き離し、涙目のアイラに優しく幾度も口付けると、再び抱擁を交わす。
 おずおずと背中に腕をまわしたアイラは、安心したようにうっとりと瞳を閉じた。
 互いの体温が、心地良い。もう慣れた互いの香りと温もりは、手放したくないものとなっていた。
 その時のトレベレスの胸中を占めているのは、寸分の揺るぎもない決意だった。

「オレは。アイラの為に、マロー姫を取り戻すと誓う。何だってすると言うのなら、これからもオレの傍に居ろ。そうすれば必ず、妹は助け出す」

 マローは、目と鼻の先にいる。そんな真実を知らないアイラは、トレベレスの言葉を全て鵜呑みにしていた。猜疑心など、最早ない。心底、彼を信頼している。
 トレベレスはやはり、嘘をついた。嘘をついたが、アイラは感極まって泣き笑いをしている。偽りのない言葉といえば、『これからも傍に居ろ』だけだ。真実を隠す決意を固めたのだ。

「ありがとうございます、本当に、なんと感謝の言葉をお伝えしたら良いか。私、トレベレス様が不要だと言うまで、お傍に居ます。あ、あの……知ってましたか? 私、最初にお目にかかった時に、トレベレス様のことを、とても綺麗だと思ったんです」

 意外な言葉に、トレベレスは硬直した。跳ね上がった心臓を押さえ、引き攣った声を漏らす。震える声で、口にしたくない名を零す。

「……トライは?」
「トライ様は、とてもお優しいですよ?」

 不思議そうに、アイラは首を傾げた。親しかったのは確かだが、信頼出来る兄の様な感覚でいた。
 名前が出たことに疑問を抱いているアイラに、トレベレスは歓喜まわって涙を零しそうになってしまった。確かに、以前トライとどうだったのかと問い質したこともあったが、恋愛感情など皆無だったことに感激した。親密に見えた二人だが、トライの一方通行だったらしい。歓喜に打ち震え、口元を押さえる。嬉し過ぎて、胸が張り裂けそうだった。
 想いが同じと知ったならば、冷静でいられるわけがない。

「オレも、最初からアイラ姫を見ていた。その……どう接して良いのか解らず、あまり言葉を交わせなかったが。トライと親しくしていたようだし、邪魔をしてはいけないかと。だが、ずっと、気になっていた」

 照れながら耳元でそう囁き、優しく口付けてさらに強く抱き締める。
 驚きながらも恥ずかしそうに微笑んだアイラは、穏やかな表情を浮かべてトレベレスの頬に触れた。頬を桃色に染め胸の中で擦り寄ると、甘えるように囁き返す。

「一緒、ですね」
「っ!」

 トレベレスの呼吸が、止まった。この娘が、どうしようもなく欲しい。欲しくて欲しくて、堪らない。代わりは要らない、この娘を独占したい、束縛してしまいたい。故意なのか、はたまた天性のものなのか。うっとりと瞳を閉じて身体を預けるアイラは、非常に無防備だった。護ってやりたい、抱き締めてやりたい、願いを叶えてやりたい。
 これ以上理性を保っていられない、微かにそんな思いがよぎった。
 目の前の姫が呪いの子を産むというのならば、天からの挑戦状だろう。この姫を溺愛した神が、自分のモノとしたくて科せた、偽りの真実にも思えてくる。
 唇を舌で軽く嘗めれば、口付けに慣れてしまったアイラがそっと唇を開いた。迷うことなく舌を侵入させ、互いに貪りあう。両腕を首に回してしがみ付いてきたので、何とも愛おしい感情が湧き上がる。

「上手くなったな、いい子だ」

 糸を引きながら、名残惜しそうに互いの舌が離れた。上気したアイラの息遣いと濡れた瞳が、トレベレスの下半身を熱くする。

「愛している、アイラ。お前がいれば、他はどうでもよくなった。オレは狂わされてしまったのかもしれない、だが、それすらも心地良く思える」

 再び、唇を塞ぐ。性急に、強引に腕を引き抜かせてベッドの下へと着ていたローブを投げ捨てる。自分も直様脱ぎ去り、熱い体温を冷やすように柔らかなアイラへと覆い被さった。体重を、ゆっくりとかけていく。互いの体温が混ざり、溶け合う。この感覚が心地良くて、トレベレスは熱に浮かされた溜息を吐いた。

「アイラ……オレを愛していると言え。言い続けろ」
「あ、愛してい、ま」

 ついにこの晩、二人は一線を越えた。
 それは月が雲隠れする夜で、明かりは室内のランプのみ。
 荒い息づかいと汗が混じり合う、激しい夜だった。
 トレベレスはアイラに『愛』の言葉を強要し、アイラはそれに応じる。
 
「愛している」
「愛しています」

 切なく鳴き続けるアイラに、トレベレスは怒りにも似た顔つきで自身を打ち込み続ける。

 ……呪いなど、知った事か!
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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