迷子のマビル
文字数 2,484文字
森の中だが、遠目には見たこともないような強い光が溢れ返っている。混乱しながらも宙に浮かんだマビルは、恐る恐る見下ろした。
言葉を失い呆ける。
見たことがない物体が、目に刺激を与えるほど不自然な光を放ち忙しなく動いている。魔界の城よりも高い建物が点々と聳え立ち、聞いたこともない音がそこら中に氾濫していた。
月はあるのに、夜空に浮かぶ幾千の星は見えない。代わりに、星々よりも強い光が地上に存在していた。星は落下してしまったのか、いや、星はあのような速さで動かない。
「な、に?」
マビルは混乱した。
肌がピリピリと引きつり、胸を掻き毟りたくなるほどに不愉快だ。
瞳を凝らせば、人間も蠢いている。
忙しなく動く姿は地面に這い蹲る蟻のようで、夥しい数に度胆を抜かれた。
見たことがない衣服を身に着けているが、それを変だとは思わなかった。寧ろ、惹かれた。
物珍しくて夢中で観察していると、黄色い悲鳴を上げる。
視線の先には、黒い短髪に、鋭利な瞳ですらっとした身体つきの極上の男がいた。パリッとした光沢のあるスーツを身に纏っており、初めて見たそれに心躍らせる。左腕を上に伸ばし手首を眺めている姿は、妙に色気がある。陶酔し、その姿を眺めた。
あのような動作に欲情してしまうのは、初めてだ。気になり、その男を追う。
奥まった場所のコインパーキングに停めてあった真紅のスポーツカーに乗り込んだ男は、胸元から煙草を取り出し咥える。
地面に降り立ったマビルは、不思議そうに車に触れた。冷たい感触のそれに、首を傾げる。
この物体が何か、さっぱり解らない。
コンコン、と車を叩いたマビルは小首傾げて指先に集中した。通り抜けられると判断し、ずぶりと車内へ侵入すると後部座席に滑り込む。
男はバックミラーに何気なく視線をやり、何時の間にか座っていたマビルに仰天して振り返った。放心状態で煙草を落とす。
「ッ!? 誰だ!?」
「こんばんは」
艶やかに微笑み、小さな欠伸をしてマビルは寝転がる。シートを撫で、感触にうっとりと瞳を細めると悪戯っぽく笑った。
「夜、一緒に眠ってくれる人を捜してるの」
扇情的なポーズで挑発するマビルに、男の喉が鳴る。服を着ていても解る魅惑的な肢体と愛らしい顔立ちは、男を誘うには十分だった。
マビルは、惑星クレオから転送陣で地球に来てしまった。
その転送陣は、
不慣れな異界の都会に放り出されたが、魅惑的な容姿のマビルは地球に順応した。
昨今、家出娘が増えている時代である。容姿からして“中学生か高校生”だろうと、男は信じて疑わず、いや、そうだと思い込んだ。目の前の美少女を突き放す勇気が、なかった。
家に連れて帰る者、そこらのホテルに飛び込む者、待てずに公園へ直行する者。男慣れしているマビルは身体を重ねる事に抵抗はなく、身を任せて微笑んだ。そもそも、選ぶ相手は顔の良い男ばかり。天性の素質で男たちを翻弄し、魅了し、骨抜きにした。
美しい衣服を強請り、美味しいものを食べ漁り、贅沢に溺れる。
男は何人もいたので、衣食住に困ることはなかった。微笑してじっと見つめ続ければ、好みの男が声をかけてくれる。
飽きたら捨て、諦めが悪ければ殺した。
繰り返していると、昔の自分に戻った気がして優越感に浸れた。ここは夜でも明るく賑わっており、心細くない。
何処だか解らなかったが、このままここに居ようと決意した。前居た場所に比べると、ここは住み心地が良い楽園そのものである。
そんなマビルのもとに、突然姿を現したのは一人の少年だった。
「大丈夫? ケガしてない? 君から……血の香りがするから」
キィィ、カトン。
マビルは、顔を歪めた。
トモハルは、頬を染めた。
――慎重に行かねば、今回で終わらせねば。一刻の猶予もない、次回へ引き延ばすことなど出来ぬ。地球を始め多くの惑星が限界を迎えている、身に巣食う無様なモノが死滅するのは構わないが、我らが犠牲になる必要はない。
――けれど。
――けれど? 我らは一心同体、皆の願いは同じ。心を傾けるな、同情など不要。揺らぎがある者は我に相談し、決意を強固なものにするべき。聴こえるだろう、あの悲痛な叫び声が。我らはあの時止めた。だが、それを振り切り愚かな選択をした“彼女”を憐れむ必要などない。
――しかし。
――まだ何かあるのか、
――……いや、特に。
――ふん、その身に“彼女”を匿うことにより、同調でもしたのか。情けない。
――……他に方法はないのか、と。
――ない。幾度となく破壊されてきた惑星たちの嘆きを聴いただろう?
――それは。
――再度警告する、今回で終わらせる。最初から“彼女”の辿る路は決定していたのだ、抗おうとも無駄な努力。寄り路しなければ、宇宙は穏やかなままだったろうに。
――彼女にその責任は負えない、私は、反対だ。全てを知った彼女はどうなると思う? 放棄する可能性もあるだろう、危険だとは思わないのか。
――上手くやるのが我らの役目、その件に関しては手を打ってある。
「アサギ」
クレロは、顔を顰めて頭を押さえた。
眩暈を感じて前のめりになると、周囲の天界人が血相を変え助けに入る。脂汗が額に浮かんでいる神に、天界人たちは心底震え上がった。
「如何されました、クレロ様」
「いや……大丈夫だ、気にするな」
そう言われたところで、天界人は素直に引き下がることはできない。
「ですが……」
「少し、眩暈がしただけだ」
「何かの予兆ですか? 一体何が始まろうとしているのです?」
神の態度に、天界人は不安の影を落とす。勇者が現れ魔王を倒し、世界が平和になったかと思えば破壊の姫君なる者が身を潜めている。
クレロは脱力して座り込み、膝を抱えた。
「アサギ、アサギ……
虚ろに、勇者の名を呼ぶ。
それは、傍から見たら神が人間の勇者に恋をした愚かな図でしかない。
神への不信は募っていくばかりで、じきに弾劾する者も出て来るだろう。不信任案を提出するのも時間の問題だった。