狡猾な相手

文字数 6,150文字

 ミーンミンミンミン。
 記憶が朦朧とする中、ふらつく足取りで立ち上がる。細い手首にはめられている薔薇をモチーフにした華やかな時計は、十三時をまわっていた。
 アサギは仕方なく、人々の楽しそうな声を背にプールを後にする。念の為、『帰ります』とだけミノルに送った。
 今日という日を、楽しみにしていた。提案したのはアサギだが、ミノルが誘ってくれた二人だけのプールのはずだった。
 バッグの中には、昨夜作ったミノル向けのスパイシークッキーが入っている。甘いものが苦手だと知っていたので、調べながら頑張って作った。
 浮かれていた事が恥ずかしくて、泣きそうになりながらバッグを強く抱き締め何度も溜息を吐く。落ち込んでいても仕方がないので、急用が出来たに違いないと前向きに思い直したアサギは顔を上げる。
 自販機で水を購入し、一気に飲み干す。心も身体も、乾ききっていた。バス停で時刻表を見ていたが、気合を入れてお洒落をしている。気分転換に雑貨屋でも覗くことにして、歩き出す。向かう先は、人で賑わう月ヶ丘。土日祝日は多くのキッチンカーがずらりと並び、それだけでも楽しい。バスでも向かえるが、徒歩で二十分程度なので散歩がてら歩く。
 人の流れに紛れて歩くと、すぐに腹を刺激する美味しそうな香りに気づいた。
 メロンパンの移動販売カーを見つけたので、熱々の焼き立てを頬張り歩く。空腹だったのですぐに食べ終え、喉の渇きを満たすために自販機で紅茶を購入した。
 小さな白いリボンがついた水色のロングワンピースをなびかせながら歩くアサギを、行き交う人々が振り返って見つめる。相当目を引く容姿に憂いを帯びた伏目がちの瞳が拍車をかけ、誰しもが陶酔する。
 しかし、これだけの注目を集めようとも本人は気にしない、気にも留めず歩き続ける。アサギは、()()()()()()だ。
 声をかけようか相談している男達も少なくないが、美しすぎて躊躇している。そこには、不可触の壁が存在している様に思えた。近寄れば、何かに切り刻まれそうな。

「わぁ……」

 到着したアサギは、感嘆の声を漏らした。久し振りに遊びに来たが、以前より賑わっているように見える。数多のテーブルチェアが設置されており、多くの人は昼食やスイーツを堪能している。こういった明るい場にいられるだけで、心が軽くなる気がした。
 ふと。
 見知った後姿に気がつき、アサギは足を止める。手にしていたペットボトルを、無意識に力強く握り締めた。

「あれ、アサギ?」

 鈍器で殴られたような衝撃に、背後から声をかけられても茫然と突っ立っている。暫し立ち尽くしていたが、肩を叩かれたのでようやく振り返った。

「え、ぁ、……トモハル」

 不思議そうな顔をしたトモハルが立っていた。

「一人? 買い物?」

 手には、トモハルが気に入っているスポーツブランドのショップバッグが握られていた。アサギの視線に気付き、軽く笑ってバッグを持ち上げる。

「スニーカーを買いに来たんだ。アサギは?」
「……ウインドウショッピング、かな。久し振りに」

 アサギは微笑んだものの、苦虫を潰したような表情になっていないか不安になった。声も、掠れている。
 すぐにトモハルはアサギの異変に気づき、二人の間に沈黙が流れる。
 気まずくなったアサギはいたたまれず、近くのゴミ箱にペットボトルを捨てに歩いた。動揺を隠しきれないと思ったので、出来ればこのまま離れたい。しかし、トモハルはピタリとついてくる。

「昼、食べた? 一緒に何か食べない?」
「さっき……メロンパン食べたから。あっちのほうで買ったの、美味しかったよ」

 干からびた声を出すアサギに対し、トモハルはにっこりと笑う。

「そっか。でも、俺はまだだからさ、付き合ってくれない?」

 アサギは断るつもりだったが、先手を打たれた。強引ともとれる態度に、唇を噛む。しかし、断ることが苦手な性分のため、ぎこちなく頷く。瞳を伏せて、困惑気味に視線をトモハルから逸らした時だった。

「……っ!」

 視線の先に、後姿のミノルがいた。憔悴しきった瞳に再び飛び込んできたのは、間違いなく朝から待ち続けた本人だ。
 しかし、声をかけたくとも、アサギにはかけられない。先程は他人のそら似で、見間違いだと思っていた。いや、そうであって欲しかった。
 アサギの視線を追い、トモハルがそちらを見つめる。
 唖然とした二人は、固唾を飲んで同じ方向を凝視する。
 ミノルの隣に、少女が座っている。
 アサギもトモハルも、その少女が誰だか知らない。横顔しか見えないが、少なくとも同じ学校の同級生ではない。問題は、二人がかなり親密な雰囲気で昼食を食べていること。テーブルの上には所狭しと、様々なものが並んでいる。
 トモハルの意識が再編成され、慌ててアサギを見る。
 アサギは硬直したまま、泣くも喚くも怒るもせずに、ただ二人を見つめている。
 トモハルは狼狽し、かける言葉が見つからなくて口籠った。
 始まったばかりの映画を観るようにミノルを見ていた二人は、突然少女と目が合って激しく動揺する。

「っ!」

 気圧されたアサギが一歩後退したので、トモハルは無意識で支えた。
 きつめの瞳が印象的な、大人びた少女だった。ゆる巻きヘアに、ピンクのぼんぼんがついたニット帽をかぶり、エメラルド色したパーカーを羽織った健康的な少女。キャミソールは胸元が広めで、発育のよい立派な胸を強調している。
 “大人っぽい、魅力的な子”。アサギはそういった印象を抱き、自分が着ているワンピースが酷く子供っぽく見えて恥じる。胸の鼓動が早鳴り、押し潰されそうな圧迫感に顔を歪める。
 二人の視線に気づいているらしい少女は、何度かこちらをチラチラと盗み見していた。しかし、露骨に焦点を合わせ、確実にこちらを見据える。
 気のせいかもしれない、しかし、トモハルはあからさまに顔を顰めて睨み返していた。
 確かにその少女は笑った。こちらを見て、故意に。まるで、自分達を知っているような瞳で。

「うふふ」

 獰猛な獣の瞳は、アサギを捕らえて嗤った。後方から一部始終を見ていたトモハルは、気づいて一気に警戒する。子供ながらに、相手の負の感情を察した。
 
「キス、する?」

 周囲はざわつくのに、ミノルと少女の声だけが鮮明に聞こえた。わざとらしくこちらに視線を送りながら、挑発するように言う。
 アサギは、足がもつれて座り込みそうになった。
 慌ててトモハルが支え、救う。二人の鼓動は、壊れそうな程に速い。
 アサギは自分の腕を強く掴み、震える身体を押さえた。

 ……キス?

 目の前の少女は、誰なのか。ミノルと、どういう関係なのか。疑問は浮かんでも、ほぼ答えは出ている。しかし、混乱して正解を導き出せない。
 祈る気持ちで、トモハルはミノルを睨む。アサギを慰める事が無いようにと思うが、その願いは虚しい。不安が脳裏を過る、そんなことはないと信じている。けれども、目の前で起きている現実からは逃れられない。
 恋人がいるにもかかわらず、別の少女と親し気に食事をしている親友に吐き気がした。トモハルは狂いそうな程に困惑している、だが、今一番苦しいのはアサギであると知っている。当事者の心痛さは計り知れず、目の前で小刻みに揺れる髪を息を殺して見つめる。

「実君、好き」

 そこだけ、異空間のようだった。周囲の人々はみんなハリボテで、この場には四人しか存在しない。聞きたくないのに、耳元で叫ばれているように鮮明に届いた少女の声に戦慄する。
 少女は艶っぽく微笑むと、ミノルの口元についていた食べカスを指でとって悪戯っぽく舐めた。どう見ても、親密な関係にある。
 アサギは胸を突かれたような思いで、息を飲む。
 トモハルは、一気に顔を真っ赤にした。羞恥心ではない、そんな行動を許してしまうミノルに腹が立った。恋人同士にしか思えない二人の関係を、まざまざと見せつけられる。

「実君はぁ、私の事好き?」

 瞬きしながら近寄っていく少女に、トモハルは歯軋りして拳を強く握る。ザワザワと背筋が蠢く、あれはあざとい演技だ。彼女のありありとした媚びた様子に、吐気をもよおす。騙されるな、ミノル! そう心の中で叫び続ける。
 
「あぁ、好きだよ」

 けれども、拍子抜けするほど呆気なく、ミノルはだらしなく笑みを浮かべてそう返答した。

「大馬鹿野郎っ」

 堪え切れなかったトモハルは、哀しく震える声を漏らした。
 アサギは瞬きするのも忘れ、目の前の二人を漠然と見ている。

「でも実君、すっごく可愛い彼女がいるよねぇ。私、彼女になれないよね……。悲しいなっ、両想いなのにっ」
「なんだ、知ってたのか。でも、それ誤解。アイツ、彼女じゃないから。問題ない」
「そうなの? あの子だよ、男の子をみーんな虜にしちゃう、有名なあの子だよ? 名前は知らないけど、顔を見たら解るよ。私達、ビッチちゃんって呼んでる」

 少女はアサギに挑発的な視線を投げながら、話し続ける。

「ぶはっ、そんなあだ名ついてんの? うーん、可愛いから調子に乗ってるけど、俺は憂美のほうが圧倒的に可愛いし、好き」

 怒りで手が震えるトモハルは、激昂を抑えきれず歯を鳴らした。

 ……何言ってるんだ、あの馬鹿は。

 危うく前に突き進んで、ミノルの頭を殴りつけるところだった。トモハルは呼吸荒くも、沸々と湧き上がってくる怒りに耐える。何故ならば、アサギが。
 アサギは、トモハルから表情は見えないが微動だしていない。怒っているのか、泣いているのか、分からない。ただ、心が悲鳴を上げていることくらいは想像がつく。今の自分に出来ることは、彼女が動くまで必死に耐えること。それだけだと胸に刻む。

「っ、クッソッ……!」

 歯軋りする奥から、もどかしい思いが呻き声となって漏れた。
 下手に動けば酷くアサギを傷つけるかもしれないので、堪えている。今この場にいることを、ミノルに知られたくないかもしれない。目撃者が自分だけなら、怒涛の勢いで駆け寄って殴っていた。
 頼むから、これ以上何も話さないでくれ。トモハルはそう懇願するが、地獄は終わらない。
 周囲から見たら、なんの変哲もない“幼い恋人同士の戯れ”でしかない。

「じゃあ私、実君の彼女だー。わぁい!」
「あぁ、カレカノ」
「ね、ならぁ、その証拠にキスしよっ」

 喉の奥で妙な声を出したトモハルは、ショップ袋を地面に落とした。トサ、と乾いた音がしたが、ここは雑踏の中。ミノルは気がつかない、こちらになど無関心。二人きりの世界に入っているのだろう、鼻の下を伸ばし、だらしない顔をしている。他の事など構っていられない様子が窺える。
 トモハルは、ただ、アサギが心配だった。瞳に入れる事を拒み、瞳をきつく閉じているのかもしれない。聴きたくなくて、耳を塞ぎたいのかもしれない。けれど動くことすら出来なくて、立ち尽くしているのかもしれない。
 アサギとトモハルのことなど気遣うわけもなく、目の前で、ミノルと憂美は残酷なまでにそっと互いの顔を傾けていった。
 憂美が、アサギとトモハルを見てせせら嗤う。横目で、勝ち誇った視線を投げてきた。彼女は、こちら側を熟知している。
 二人の唇が近づくのを、唖然とトモハルは見ていた。しかし、最後まで見届ける勇気も度胸もなくて視線を逸らす。親友の浮気現場など、見たくはない。
 護らねばならない人が、すぐ目の前に立っている。この場から逃げ出したいであろう少女が、すぐそこにいる。トモハルの脳が反応し、腕を動かす。アサギの瞳を覆い隠すように、背後からそっと腕を伸ばす。そして、優しく視界を掌で覆い隠した。
 二人の声は、聞こえてしまうだろう。だが、せめて目の前の光景からは逃がしてあげたかった。抱き締めてここから立ち去ることも考えたが、想い人でもない異性に触れるのはよくないと思った。
 アサギとトモハルは、一時噂にもなっている。目立つ二人は、美少年と美少女。才色兼備で親しく、傍から見ても見栄えが良い絵になる二人。
 けれども、“可愛い”と“好き”は違う。いくら美少女でも、友として楽しくとも、心が求めるものは違う。二人の間に湧き上がるそれは、決して恋ではない。気の合う二人、優秀な生徒、同惑星で対の勇者。信頼する“仲間”いや、性別を超えた親友同士。
 ツーッ、と。アサギの瞳から、大粒の涙がはらはらと零れ落ちる。
 頭部が下がり、次いで地面に染み込んだ水滴でトモハルも気づいたが、何も言わず。ただ。人混みの中で背後から目隠しを続けた、それしか出来ない。他に何か、友達として出来ることがあっただろうか。
 どのくらいの間、そうしていたのだろう。通り過ぎる人々がこちらを見ていても、気にしない。ひたすらトモハルは、そのまま微動だしずに、アサギの視界を遮断し続ける。
 やがてミノルと憂美は、立ち上がって何処かへ去って行った。食事を終えたらしい、次は何処へ行くのだろう。ゴミを道路に落としても、拾うことはなく。分別もせずにゴミ箱に面倒そうに押し込んで、立ち去った。座っていた席にはクレープを巻いていた紙の破片が、汚らしく残っている。
 顔を顰めたトモハルは、舌打ちした。おそらく少女のほうがゴミに対して無頓着だろう。皆で出かけた時は面倒でも、アサギに言われたミノルはきちんと分別し綺麗に片づけていた。
 何故、少女に自分を合わせるのか。出来ていたことを、しないのか。ミノルを一発殴らねば気が済まないほどの鬱憤が、身体中を駆け巡る。

「知ってた、アサギ?」

 自分でも驚くほどの優しい、落ち着き払ったその声でトモハルはようやく呟く。聞こえた声に、アサギが微かに揺れる。

「俺の手、けっこう大きいだろ? 勇者の剣握っていただけのことはあると思わない?」

 緩やかに指を動かして、隙間を空ける。アサギを怯えさせないように、前方にミノル達がいないことを確認させた。

「……うん。おっきいね」

 冷え切ったアサギの指先が、トモハルの掌に触れた。振り返らずに、被いを外すようにゆっくりと下げていく。そうして、素早く右手を動かす。
 溢れていた涙を拭いたのだろう。
 鼻をすする音がしていたが、急にアサギはトモハルの腕を大きく開いて囲いから飛び出すと、気まずそうに一瞬だけ振り返る。
 泣きはらした瞳が飛び込んで来て、トモハルの脳を強打した。一緒に泣きたくなったが、堪える。表情が見えたのは僅かな瞬間だったが、酷く痛々しく、見ていられないほど弱々しく思えた。魔王と戦った勇者とは、とても思えない。
 目の前の少女は勇者ではなく、何処にでもいる普通の少女だ。

「ちゃんと、ご飯食べるんだよ? 私は折角ここまで来たから、よく行く服屋さんに」

 一人にさせたくなくて、トモハルは間入れず微笑んで口を挟む。

「あぁ、前言ってた安く服が買える店? 参考程度に俺も行こうかな」
「……と、思ったけどあんまりお金ないから帰ろうかな」
「そうか、じゃあね」
「うん、またね」

 ぺこり、と普段のように可愛らしくお辞儀をしたアサギは、早足で人ゴミの中へと消えていった。
 逃げる様に去られてしまった。溜息を一つこぼし、トモハルは地面に落ちたスニーカー入りの袋を拾い上げると、唇を真横に結ぶ。
 そして、アサギを追いかけた。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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