怒涛の祷火~ミノル~

文字数 10,737文字

 かさかさと、鳴り響く風の音が耳につく。ミノルは苛立ちを抑えることが出来ず、声を張り上げた。

「俺もアサギも、勇者。アサギは惑星クレオの、俺は惑星ネロとかいうとこの勇者なんだよ。勇者は他にもいる、あそこで戦ってるのはアサギと同じ惑星クレオの勇者だ。……いや、それはおいといて、どうして、どうしてお前アサギを知ってるんだ? アサギは俺達と地球って惑星から来たんだ、お前が知っているわけがない」

 トーマは頭を抱えた。深い溜息を吐き、困惑の色合いが見て取れる瞳で唇を真横に紡ぐ。

「勇者って、そんなにいたのか。信じられない。……だけど」

 ミノルを一瞥し、トーマは立ち上がった。
 そのマントを、すかさずミノルは両手で強く握る。
 上から睨み付けたトーマは、難なく払い除け徐に馬車から降りた。追いかけて馬車から飛び出したミノルに振り返る。

「行くよ」
「い、行くってドコに!? 」

 慌てながらも硬く剣を握り締めたミノルに、不敵に微笑む。

「君の仲間を助けに行くけど、どうする? 勿論、行くよね? 君は、そんなに意気地なしなのかなぁ? これから先、アサギを……もう一人の勇者を救いに行くつもりで動いているのであれば。僕と一緒においでよ。まぁ、無理強いはしないけど」
「アサギを……“救いに”?」

 固唾を飲む。アサギが攫われた事まで、トーマは知っているというのかと震える。月の明るい光が、トーマの全貌を映し出している。月光に照らされ、威圧感に包まれた不可思議なその姿に、魅入った。

「アサギは今、魔界イヴァンに居る。間違いない情報だ、信じなくてもいいけど。そしてトロルが出てきたのは……刺客だね、君達が勇者一行様ならトロルをコマにも使うだろう。指揮してるのは、ミラボー辺りかな?」

 心の内を見抜いていたかのような発言に、ミノルは眩暈すら覚えた。

「魔王ミラボー……。惑星チュザーレの? 違うね、ハンニバルのハイって奴だ、アイツが」
「違う、ハイじゃない。間違いなく」
「どうしてお前、魔王や他の惑星の事知ってんの」

 ミノルの率直な質問に、トーマは舌打ちする。確かに、普通の人間であれば、他惑星の魔王の名前など知らない。しかし、取り乱した様子はなく、本題に戻る。

「ところで、一緒に戦うつもりは? こうしている間に、あちらさんヤバいんだけど」
「あ、あるっ!」

 トーマの事は気になるが、まずはトロルだ。ミノルは、腹を括って叫んだ。

「イィ顔だ……」

 トーマは喉の奥で笑い、ミノルの手を握る。

「単純な奴、でも気に入った」

 小声で呟き、トーマが左手を振り上げる。
 途端、二人の身体が宙に浮いた。逆バンジージャンプに似た感覚に、下腹部がぞわりとする。

「う、うわぁ」

 浮かんだと思ったら、そのまま真っ直ぐに猛スピードで飛行が始まった。絶叫マシーンが好きなミノルだが、日本最速のジェットコースターなど比較にならない恐ろしさだった。そもそも、安全ベルトがない。腕が千切れ、身体だけ置いて行かれそうな錯覚を起こした。呼吸もままならず、瞳を開いていられない。心の拠り所として、剣を握り締めた。
 トーマは苦悶の表情のミノルを気遣うことなく、そのまま突き進んだ。ミノルと無駄話をしていた為、非常に緊迫した状況になっている。

「あぁ、やってるやってる。準備はいいかな? 勇者君」

 言うが早いか、トーマは返事も待たずにミノルの手をいきなり離した。

「うっそ、マジ!?」

 ミノルは、情けない声を出した。悲鳴を上げる、死人のような顔色になる。しかし、その狼狽する瞳に、目前の光景が鮮明に映し出された。
 トロルに吹き飛ばされ岩に叩きつけられたトモハルが、顔を大きく歪めて倒れこんでいた。
 マダーニが絶叫し、名を叫んでいる。だが、トモハルは微動だしない。
 額に青筋を張り、無意識の内にミノルは剣を握り直すと、そのまま鞘から抜き放った。月光に刃が反射し一線の光を造り出すと、ミノルは吼えるように腹の底から吼える。

『俺の力の糧になるもの、それは親しい者への暴行を間近で見た時。騎士じゃない、勇者になったんだ。思い出せ、騎士の時、確かに剣を使っていただろ。あの気障な皇子に習ったじゃないかっ』

 声が聞こえた。
 倒れているトモハルに、誰かが重なる。以前もあぁして瀕死の親友を見た記憶が、微かに甦る。

「ミノルちゃん!?」

 マダーニの驚愕の声がミノルの耳にも僅かに届いた、だがそちらを見ている余裕などない。

「うわあああああああああああああああああああああっ!」

 ミノルの雄叫びが周囲に響き渡った。
 勢いに乗って、トロルの背に剣を突き立てる。深々と突き刺さり、肉が潰れる鈍い音に確かな手応えを感じた。躊躇わず剣はそのままにトロルから離れ、辛うじて受身を取る。不様ながらも着地してよろめきながら立ち上がり、荒い呼吸で睨みつけた。
 脚が痺れていたが、まだ戦える。
 皮膚が強固なトロルによく刺せた。鍛錬を積んでいる戦士であるならばともかく、今のミノルにはそこまでの力量などない。市販品の造りが雑な剣が、奇跡を起こしたわけでもない。我武者羅に全体重をかけて突き刺した事が幸いした。
 辛うじて立っているミノルに、マダーニが慌てて駆け寄った。全身が大きく震えているので、背中を撫で、呼吸を整えるよう耳元で囁く。
 それでも、ミノルはトロルから視線を外さなかった。
 トロルは、その背に剣を突き立てたまま、地が揺れるような呻き声で、我武者羅に大木のような両腕を振り回している。

「トモハルを……頼む」

 額の汗を無造作に拭い、重々しい口調でミノルは告げた。
 今までとは違うミノルの雰囲気に、固唾を飲んだマダーニは頷く。
 一度の成功で自信がつき、一皮剥けたのか。友人が傷つけられ、怒りがミノルを突き動かしているのか。変わった、いや、“目覚めた”か。
 背筋に、ぞくりと何かを感じたマダーニは震える。
 間違うことなき、勇者の波動。一人劣等感に苛まれ、やる気もなく、常に外を見ていた少年。今や、力強い横顔がとても逞しく感じられる。

「ミノル、これを持ちなさい。トモハルは任せて」

 そっと差し出したのは、毒に浸した小剣である。受け取ったミノルに微笑み、マダーニは直様トモハルのもとへと駆け出した。
 ギュ、と小剣の束を握り締め、ミノルは足を踏み出す。迷いも躊躇もない、何故だろう力が湧いてくる。越冬した小さな命の芽、春になり逞しく土を持ち上げて息吹くような。
 トーマが『アサギが無事である』と教えてくれた。その事実が、ミノルを突き動かす。
 目の前で倒れたトモハルの姿が、ミノルを奮い立たせる。内心、アサギはもう駄目なのだろうと、どうしたらいいのか解らず勇者として頑張っても骨折り損な気がしていた。しかし、生きていると知り、居場所も知った、それが嘘でも幻でもないと解った。
 アサギに似ている少年は、自分のやる気を引き出してくれた。不思議と嫌ではないトーマの存在がミノルを変える、信じる力が糧となる。敵かもしれない、だが今は信頼できる相手だと、直感した。
 真正面に対峙したトロルを睨み付ける。非常に大きな相手で、声とて恐怖感を駆り立たせる。自分は人間だから、恐怖を感じないわけがない。これが正常なのだと言い聞かせる。
 ただ、恐怖を感じても、立ち向かえる“勇気”を持っている。それが、重要だと肝に銘じた。
 右手で剣を握り締め、左手をゆっくりと動かしながら詠唱を開始する。左手から、陽炎が昇り始めた。

「あれはっ」
「ミノルの奴……ちゃっかり練習してたんだ」

 マダーニに抱き起されたトモハルは、満足そうに笑った。凛々しい親友の姿を目に焼きつけ、そのまま安心したように気を失う。それは、清清しいまでの笑顔だ。隣の幼馴染である自分の好騎手は、ここにいる。
 “騎士として、共に姫を護ろうとした親友”は、“勇者として、共に友達を救う親友”となった。
 薬草で手当てを始めたマダーニは、小気味良い感覚に自然と笑みを零す。恐ろしいまでの将来性をこの二人の勇者に感じ、この戦闘は最早終わったも同然だと確信した。

「なるほど。アサギちゃんがミノルちゃんを好きな理由が、なんとなく判った気がする」


 鋭い瞳、凛々しい面持ち、恐るべき集中力、土壇場で男を上げる少年。左手から立ち昇る熱を帯びた発動前の魔力が、髪を吹流し身体をもふらつかせている。
 トロルの巨体を前に、熱い左手を差し出した。今しかないと悟った、絶妙な好機だ。

「巡る鼓動、照らす紅き火、闇夜を切り裂き、灼熱の炎を絶える事無く。我の敵は目の前に、奈落の業火を呼び起こせ!」

 完璧だ。
 ミノルが口角を上げて満足げに微笑み、拳を叩き込むようにトロルの臀部に魔法を放つ。確信した魔法の威力に、身体中が歓びを感じた。その場を離れ、魔法が直撃し燃え盛っているトロルを見つめる。焦げる匂いに、鼻がもげそうになり口元を手で覆うが、食い入るように視線をトロルに合わせた。眩暈がする、嘔吐しそうになる。しかし、攻撃を喰らわないよう、念の為小剣で追撃する。
 扱いが難しいが、浅い傷でもつけられれば、後は傷から入り込んだ毒が、全身を駆け巡って死に至らしめるだろう。背に突き刺さった剣と、臀部の火傷の痛みで暴れるトロルだが、慎重に動きを見ていれば攻撃を喰らわずに済みそうだった。
 毒がまわってきたのか、数分後地面をのた打ち回り始めたトロルは、恐ろしい牙を覗かせている口から泡を吹いている。
 見届けて距離をとり、吹き出す手の汗をマントで拭ったミノルは、唾を地面に吐き出した。土色した不気味な顔、黒焦げた肉体を掻き毟っているトロルの禍々しい形相に、後退る。魔物だが、憐れな死に方だと思ってしまった。
 視線を逸らしたミノルは、ようやく周囲の状況に気づいた。

「ライアンが、いない?」
 
 慌てふためくと、いつから傍に居たのか、佇んでいたトーマと視線が交差した。
 例のごとく、音もなくトーマはミノルの真正面に移動し、片目を瞑る。

「ありがとう、助かった」

 ミノルはもう、驚かない。トーマが何者なのか解らなくとも、悪い奴ではないと判断した。素直に、礼を告げた。
 にこっ、と口元の端を上げて笑ったトーマは子供らしい屈託のない笑顔を浮かべている。
 そこでまた、ミノルは喉を詰まらせた。やはりその笑顔はアサギに似ていて、頬が赤く染まるのを感じた。

「まぁ、上出来。懐に入ればこっちのものなんだけど、腕が厄介で難しい。ただ、強力な魔法が使えればアイツら魔法対抗が弱いから楽な種族だよ。円熟者でも同じことするかな、今みたく」
「ふむふむ、そうか」

 素直に深く頷くミノルに軽く笑いかけると、少年は足元に転がっているトロルを冷めた瞳で見つめる。
 死ねずに、未だに悶えていた。

「醜い、汚らわしい、不様だね……見てな」
「え」

 トーマは大きく右手で宙に円を描くと、その腕を真っ直ぐにトロルへと向けた。

「膨大なる光を体内に留めることなく、耐え切れず内より弾ける。肉片に帰せば未来は白紙へ、その存在を抹消せよ」

 トーマが無造作に繰り出したその魔法は、魔導書に載っていなかったものである。いくら勉強をサボっていたミノルとはいえ、一通り目を通していた。
 トーマの掌に光が集まる。人間の大人の頭部くらいの球体になった時だった、不敵に笑みを浮かべたままそれをトロルへと放つ。ゆっくりと巨体に吸い込まれていくような球体を見届けると、ミノルの手を掴み空中に飛躍する。

「な、なんだぁ!?」

 ミノルが下を見るのと、トロルが爆発したのはほぼ同時だった。
 広野に寝そべっていたトロルの巨体は、一気に跡形もなく吹き飛んだ。テレビのニュースで観た事がある、地雷が良い例だろうか。トロルの肉片が粉々に飛び散り、四方へ飛散した。緑色の粘りあるヘドロのような血液も、同時に霧吹きしたように散布された。
 ミノルは口元を押さえた。胃液が溢れ出る、吐き気に襲われても仕方がない光景だ。眩暈を覚える不気味な臭いは、空中にまで漂い始める。
 トーマは耐え切れず嘔吐するミノルの様子を見て密かに溜息を吐いた、この程度でのこれでは先が思いやられると思ったのだ。
 しかし、今はそっとしておくことにした。トーマとて、最初にこの禁呪の威力を目の当たりにした際は引いたものだ。一気に跡形もなく灼熱の業火で焼き尽くすよりも、粉々の破片として遺すほうが残虐である。

 ……勇者なら、この程度の光景に目を背けるな。これ以上の惨劇が来るよ。

 この禁呪、現時点で使える術者はトーマを含めて数人のみである。強力かつ、非道、確実なる禁呪。ただ、この禁呪が完成しているとは言い難い。光球を弾き返してくる強者とて世には存在するかもしれない、一見完璧に見えて危ういことをトーマとて知っていた。何時の日か、来るべき時に備えて完全なものにする必要がある。何人たりともこの禁呪に屈するしかない、完璧なものを繰り出す必要があると思っていた。魔力態勢に弱いトロルだったからこそ、上手く出来ただけだと言い聞かせる。
 トーマはミノルをマダーニの元へと送り届けると、遠方を見ながらぽつり、と呟いた。

「ドコに行くんだ?」

 やや戸惑いつつ、ミノルは咽ながら答えた。

「ピョートルってトコに、行くんだ」

 よろめきながら笑ったミノルに、トーマはあどけなく微笑むと遥か地平線を指す。

「あっちだね。至急この場を離れたほうがいい、トロルの死臭によって多くの魔物が集まってくるだろうし、刺客ならば探りを入れてくるかもしれない。こんなところで往生を遂げたくないだろ?」
「でも、もう一人仲間がいる。見当たらないけど……」
「うん、知ってる。今から僕が助けてくるから、後で合流しなよ」

 トモハルを支えながら、二人を見つめていたマダーニは猜疑心を隠せずに唇を噛む。
 この少年は何者か。
 あの禁呪の威力を、マダーニも見ていた。あんなもの、そこらの人間が操れるわけがない。ミノルを奮い立たせたのは彼で間違いない、親しいようだが、敵ではないのか。
 漠然と、信用してよいのか。

「敵じゃないよ、味方でもないと思うけど」

 トーマがマダーニに微笑みかけ、無邪気に笑う。
 不意に視線が交差したが、背筋が凍りつく事もなくマダーニはトーマを見つめ返した。

 ……この子も、心が読めるの? 

 ジェノヴァで出会った魔族を思い出すと、雰囲気が似ていなくもない。
 眉を顰めたマダーニに、喉の奥でトーマは笑う。まるで、肯定するかのように。

「綺麗なお姉さんは、好きだよ。今は助けてあげるね。でも、もしかしたら今後は敵になるかも。全ては、“あのお方”次第、あのお方に反するならば僕は容赦なく敵となる。崇高で高貴な麗しきお方の為だけに、僕は存在するんだ」
「あなたも不思議な事を言うのね? 最近は予言めいたことを言う人が多いの、頭の回転が悪い私に分かる様に、手がかりが欲しいわね」

 溜息交じりのマダーニにトーマは軽く瞳を見開いたが、鼻で笑うとミノルに向き直る。

「何時か判るよ……必ず。君も考えといて、僕と敵対してもいいように頑張りなよ? 勇者なんだろ、鋭意努力しな」
「“あのお方”って、魔王の誰か?」

 ミノルの問いにマダーニは大きく目を見開くと、直様トーマを見つめ直した。しかし、意外そうに首を傾げている。

「違う違う、さっき話してた魔王じゃないよ。うーん……確かに君達の知り合いだとは思うけど。……助言するとね」

 そう言ったトーマは、月を仰いだ。
 月から放たれる、不思議な神秘的な光に包まれ、悠然と宙に浮かんでいく。
 桁外れの美貌に、ミノルもマダーニも息を飲んで見守る。透き通った水のような、それより深い深い水底に潜む冷水のような、そんな声と幻想的な光景だった。

「……やめとこ。もう一人、助けに行かなきゃ。でも、折角こうして出会ったから、教えて欲しい事があれば、返答するけど? 僕が知ってる範囲になるから、期待通りの回答は得られないかもしれないけど。何か知りたい事ある? 君らよりは、博識だと自負してる。無料で教えてあげるよ」

 ミノルはマダーニに全てを委ねることにし、視線を送った。
 軽く頷きそれを受け取ったマダーニは唇を舌で湿らせ、湧き出た汗を拭いつつ唇を動かす。

「何でも良いわけ?」
「答えられるかどうかはともかく、どうぞ」

 意を決し、最も聴きたかったことをマダーニは問う。

「アサギちゃんの居場所、教えて」

 その名を聞いたとき、トーマの表情が揺らいだのをマダーニは見逃さなかった。聴きたかった、待ち望んでいたとでもいうように、うっとりと微笑んだのだ。けれども、追求はしなかった。言葉を飲み込み、返答を待つ。

「ミノル君にも伝えたけど、魔界イヴァンにいるよ。その中央、魔王アレクの城内で大切に囲われている。命に別状なんてあるわけがない、勇者でありながら最高のもてなしを受けている筈だよ。敵の本拠地でね」
「……本当のことなの?」
「信じる信じないは別だけど、僕は嘘を言わない主義」
「ありがとう。……無事ならいいの、アサギちゃんが」

 安堵した様子でマダーニはトーマを見つめる、不可解で掴めない人物だが嘘は言っていないように思える。
 信用してもらえた嬉しさからか、恥ずかしそうにトーマは小声でありがとう、と呟き月へ帰る様にふい、っとその場を離れた。
 トーマにライアンを託し、二人はトモハルを背負って馬車へと急いだ。寝かせて傷の手当を再開する。運悪く、現時点で回復魔法を扱える人物がいない。マダーニは、簡易な初歩中の初歩のものしか扱えないので、トモハルの体力に任せるしかない。ミノルはからっきしで、トモハル本人が使用可能だが、生憎これではどうにもならない。
 毒小剣をマダーニに返却したミノルは、予備の剣を受け取った。自分が使っていた剣は、トロルと共に大破しているだろう。
 ミノルは、改めて眠っている親友を見下ろした。致命傷はないが、打撲が痛々しい。それでも、トモハルの表情は温和である。苦しんでいないのならば、少し安心できた。

「アサギ……無事だってさ。よかったな」

 ミノルがトモハルにそう零すと「知ってるよ」とでも言わんばかりに、うっすらと微笑んだ。

 その頃トーマは、もう一体のトロルを見下ろしていた。
 先程の戦場から離れた場所は、地に無数の激戦の爪痕があった。口笛を吹き、愉快そうにトロルを見れば一つの小さな影が飛び交っている。
 ライアンだ。呼吸の乱れは限界で、気力のみで持ちこたえている状態である。頭部から流れ出る血液が視界を奪い、身体は動かなくなってきた。

「こりゃ、ヤバイかもな」

 ライアンはさも面白い、というように唇の端を上げて笑った。

「だが、諦めたら俺らしくもないな」

 戦い抜いて、決して諦めず、最後まで希望を捨てない。諦めれば、全てが終わる、諦めなければ奇跡の逆転が起きるかもしれない。必死に言い聞かせる。
 すると、奇跡なのか、月から天の遣いが現れた。トロルの向こうの月から、人影が現れたのだ。漆黒の髪を靡かせながら、麗しき少年が目前にせまってくる。ライアンは、茫然とその少年を見上げた。

「うわ、エグイやられ方したねぇ、僕に任せてよ」

 鈴を転がしたような声だった。
 聞き覚えのある声だったが、朦朧としているライアンには、誰に似ているのか判別できない。
 するり、とトロルとライアンの間に割って入ってきたトーマは、風に舞っている布の様に艶やかで柔軟だ。しかし、見た目の印象とは裏腹に、詠唱の声を響かせたと思えば、至近距離で凄まじい破壊力のある魔法を繰り出した。

「巡る鼓動、照らす紅き火、闇夜を切り裂き、灼熱の炎を絶える事無く。我の敵は目の前に、奈落の業火を呼び起こせ!全てを灰に、跡形もなく燃え尽くせっ!」

 熱さが空気を伝わってライアンにも襲い掛かった、瞳を細め顔を覆い隠す。

「チッ、距離感間違えた」

 舌打ちしたトーマはライアンを掴んで後方に飛ぶと、トロルの死期をじっと見つめる。ほぼ最強の火炎魔法である、マダーニが見ていたら唸り声を上げるだろう。
 だが、ライアンにはトーマの魔力がどこまで底知れず恐ろしいか解っていない。
 灰だけになったトロルの亡骸に唾を吐き捨てると、トーマはようやくライアンに微笑みかける。

「無事? ……みたいだね」
「あぁ、ありがとう、天の遣いかい?」
「ぷ! そりゃいいやぁ!」

 トーマは腹を抱えて笑い出すと涙を拭きながら、きょとん、としているライアンに視線を送る。

「そんな面白い事言ったかなー?」
「言った言った! 僕、普通の人間だよ。あぁそれより、お仲間が待ってるよ。……合流するの時間かかりそうだから、僕が連れて行ってあげる」

 立っているのすらやっとなライアンを、ここに放り出して行くのも気が引ける。雰囲気が温和なので、手を差し伸べやすい事も手伝った。

「かたじけない、何から何まで」
「いいよ、気にしないで」

 言うなり、トーマはライアンの腕をがっしりと掴むとそのまま宙に浮かぶ。

「あぁ! これは凄い!」

 自分が宙に浮かんでいる状態に大興奮のライアンは、秀でたトーマの能力などお構いなしである。ただ、現状を楽しんでいる。
 意外な反応に、愉快そうにトーマは笑うと、そのまま飛び続けた。このまま戻れば、再びミノル達に会うことになる。先程の別れを前言撤回するしかない。突っ込み担当に思える二人に何を言われるのか、愉しみになってきた。
 馬車もこちらを目指しているようで、慣れないながらにマダーニが手綱を握っていた。

「おーい! マダーニ! 俺だ、俺!」

 トーマの腕で暴れて自己主張するライアンに、均衡を崩したトーマが急降下する。

「あんた子供じゃないんだから、大人しくしててよ」

 呆れた顔つきでトーマは睨むが、豪快に笑っているライアンを見ていると不思議と自分も愉快な気分になってきた。
 待ってましたとばかりに、馬上からマダーニが意地悪く顔を出す。そうして、にんまりと微笑みながら、白々しくトーマに話しかけた。

「あらあら、また会ったわねボーヤ? 貴方は今、敵なのかしら?」

 む、っとした顔つきでトーマはそっぽを向くと「気が変わったんだ」と言葉を吐き出した。
 馬車に転がり込んだライアンを心配し、マダーニは看病に入る。トモハルは眠っており、ミノルはその傍らで手を握っていた。
 トーマは控え目に覗き込み、声をかける。それは、自分でも不思議なことだった。

「よかったらさ、僕も乗っけてくんない?」

 思いもよらないトーマの言葉に、一瞬唖然としたマダーニは目を白黒させた。けれども、含み笑いをすると、近寄って頭を撫でまくる。

「いいわよー、歓迎しちゃうっ。空いてるしね、この馬車っ」
「……何、馬車賃として色々教えろってこと? これは脅迫なの? 僕に選択の余地はないの?」
「やだぁ、そんなコト言ってないけど! でもね、そうね、ボーヤは頭の回転が速いわねぇ」

 おっほっほ! 自分の豊満な胸にむぎゅ、っとトーマの顔を押し付けてマダーニは甲高い声で笑う。
 若干羨ましそうに見つめたミノルと、微かな嫉妬心からむっすりと唇を尖らせたライアン。

「マビルと同じくらいかな……いや、でも、あっちのほうが柔らかいかな」

 ぶつぶつ、と何かトーマが呟いている。

「おい、とにかく急ごうぜ」

 我に返り、初めて自分から行動したミノルは、ライアンに薬草を手渡していたマダーニを見た。
 今馬車を操る事が出来るのは、マダーニのみだ。名残惜しそうにライアンから離れると、マダーニが覚束ない仕草で馬車を走り出させる。
 ミノルは隣に座り、付き添った。操作方法を覚える気だ、ようやく能動的な態度を見せた。勇者の一人が、また一つ輝きを増す。
 瞳を細め満足し、マダーニはそっとミノルの頬に口付ける。
 驚いて飛びのいたミノルに爆笑し、瀕死の二人がいるにも関わらずマダーニは嬉しくて仕方がない。興奮してきた、彼ら二人は間違いなく勇者だと、ようやく確信した。
 何処までも、ついて行こうと決意する。
 上機嫌のマダーニに反し、ミノルは顔を真っ赤にし、声も出せない。

「あら、ミノルちゃん達の星では挨拶代わりにこういうことしないの?」
「すすすすすするわけねーだろ!?」
「あら、残念ね。てっきりアサギちゃんと、こういうことしてる仲だと思ってた」
「だだだだだだだあーれが!? ああああああああああああああさ、アサギと、いや、そ、そんな破廉恥なことっ」

 そんなコトが出来る仲ではないと、マダーニとて知っている。しかし、からかってみた。旅は楽しくなくてはいけない、気休めも重要だ。
 縮こまって項垂れているミノルが、なんとも可愛らしい。

「あらあら、ごめんね? アサギちゃんには可哀想な事したわねぇ、怒られるかしら、泣かれるかしら」
「は? どういう意」

 勢いよく手綱を引き、マダーニは速度を上げた。
 大きく車体が揺れる、ミノルとライアンの悲鳴と共に馬車は疾走する。

「ミノルちゃん、今は休んでて。後程たーっぷり馬車の指導をするから、それまでは休息よ」
「……わかった、ありがと」

 馬車の中に引っ込んだミノルは、寛いでいたトーマと視線が交差した。

「……で、お前も行くんだ」
「えーっと、ミノル君? だっけ? よろしく」

 照れ気味に握手を求めたトーマに、ミノルも唇の端に笑みを浮かべて握手を交わす。
 その温もりがトーマの心をほんの少し溶かしたことを、ミノルは知らない。

※2020.07.04 しノ様から頂いたミノルを挿入致しました(*´▽`*)
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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