昂奮する村人
文字数 3,272文字
大人の男よりも重い身体に眩暈がしたが、置き去りになど出来ない。落とさないように腕に力を籠め、小刻みに震えながら必死にデズデモーナを目指す。
得体の知れない物体を抱え森から出て来たアサギに、トビィは顔を引き攣らせた。見た目は凶悪そうだが、大人しくしているので害はないのだろう。剣を鞘におさめる。
クレシダは「また厄介なものを」と愚痴をこぼした。
「アサギ……
魔物にしては、異様にキラキラした大きな瞳をしげしげと見つつ、トビィは低く唸るように問う。
「家族を殺されてしまった、魔物の子です。村人たちが言う“音”が、この子が森を走っていた物なのか解りませんが、一人ぼっちで可哀想。だから、魔界イヴァンへ届けたいです」
闇夜に紛れ魔物が動いていたら、村人には恐ろしいだろう。例え、敵意がない魔物が住んでいると分かっていても。
「ただ。……澱んだ空気が私は気になります。そして、この子が知っている犬の魔物も調べたいです」
「ほぅ、犬の魔物」
トビィは、デズデモーナの背に乗せられ緊張気味の魔物の子を興味深そうに見つめた。
鋭利な視線を突きつけられ、怯えたように俯いた魔物の子をアサギが慌てて慰める。
「トビィお兄様、子供が苦手だったりします?」
アサギも年齢的には子供だが、少し拗ねたようにしてそう訊ねた。
「接する機会など、なかったし。基本周囲は年上ばかりだったからな」
幼少は人間界にいたトビィだが、マドリードに連れられ魔界へ移住してから子供の友達などいなかった。
数回気晴らしで人間界へ遊びに行ったことがあるが、同じ年頃の子供と遊んだ経験もない。以後は旅をしていたので接点がない。勇者らも子供だが、トビィの中では子供である以前に“勇者”だ。
「優しく、優しく。怖がらせないように」
「アサギ以外に優しくするような男に見えるか?」
「私に接するように、子供に接してください」
「…………」
言い任され項垂れたトビィに小さく笑い、アサギは魔物の子を撫でた。
トビィはやるせない溜息を吐く。アサギに対しては“女”として接している。同じ様に接するなど到底無理な話だが、当の本人がまるで分かっていなくて少し哀しい。
「
前髪をかき上げ楽しそうに魔物の子と会話しているアサギを見つめ、村を一瞥する。村人は首を長くして帰宅を待っているだろう。
「一先ず、村へ報告に行こう。怯えているだろうから」
「はい!」
元気よく返事をしたものの、アサギは嫌な予感がした。
それは的中し、村では吉報を待つ村人たちが総出で待っていた。
神に祈りを捧げるように拝み、怪しげな文言を唱え続けている老人たちにアサギとトビィは顔を引きつらせる。報告せずに逃げ出したい気分になった。
「おおおおお神の光臨だ! ありがたやー、ありがたやー」
「いや、神の遣いだ!」
二人を見つけるや否や、老人たちがカッと瞳を開き、身体中の水分を瞳から放出する勢いで涙を流す。
熱烈な歓迎に委縮したアサギだが、無視するわけにもいかない。
駆け寄られ一斉に取り囲まれた。そして、口々に褒め称え、崇められ、握手を求められる。
「あ、あの、先に御報告を……」
居心地が悪い。そもそも、問題が解決したのかすら怪しい。もみくちゃにされながら、アサギは必死で叫んだ。
「“音”については解決したかもしれません。ですが、気になる点が残っているので、また調査に参ります」
「ありがたやーありがたやー!」
「い、いえ、今回は特に何もしていないので、感謝されても困るのです」
「村を気にかけてくださるとは、ありがたやーありがたやー!」
「で、では急ぎますので、これで!」
加護を授かろうとしているのか、単に礼を述べたいだけなのか。まとわりついてくる村人に怪我をさせぬようにと、アサギは作り笑顔で華麗に輪から抜け出した。
トビィは仏頂面でアサギの前に立ち、彼らを威嚇する。
「話を聞け。油断せず、夜には必ず火を焚く事。不審な点があれば細かいことでも憶えておき、必ずオレたちに伝える事。約束してくれ」
「承知しました! はー、ありがたやー、ありがたやー」
不安になる熱狂ぶりだ。神格化され、恥ずかしくも歯痒く感じた。二人はこの状況に懸念を抱き、顔を見合わせる。
アサギは、万が一に備えこの村に結界を張る事を決めた。ここで時間をとられるわけにはいかないが、念の為だ。
「
小声でトビィに告げたアサギは、密かに魔法を発動する。村人らに説明すると、更に感奮しそうだったので隠した。上手く出来る自信はないが、それでもやらないよりマシだろう。
「御二方、どうかお名前を!」
これ以上の長居は無意味だと踵を返した二人の背に声がかかる。
アサギは名乗るべきか悩んだが、結局諦めて口を開いた。
「私の尊敬するトビィお兄様と……勇者のアサギです」
「なんと、勇者様であられましたか! トビィ様ー! アサギ様ー! 次は是非とも村に滞在して行ってくださいねー!」
叫ばれたので、懸命に腕を振って応えた。尊敬の眼差しに絡めとられ、何処か居心地の悪さを感じたアサギは俯く。
「私は、何もしていない」
村人らは、多大な恩恵を受けたことになる。けれども、その実感がわかないアサギは罪悪感すら芽生えた。功績など何もない、魔物の子を保護しただけ。
何も解決していないように思えた、だが、村人を不安にさせるのが気が引けて正直に言えなかった。
「やれやれ……」
その途中、魔物の子の名が“キュィ”であることを知った。そして、詳細を聞いた。山奥に家族で住んでいた一つ目族だという。普段は木の実や草を食べていたらしい。
平和に暮らしていたが、父が異変を感じ、母と共に出掛けて行ったっきり帰ってこなかった。末弟のキュィにその場を動かぬよう釘を刺した兄姉が、両親の後を追って穴から飛び出したのが数日前の事。残され、一人きりで怯えていたという。
キュィは、家族の亡骸を見たわけではない。だが、皆を探して山を歩き回った時に、家族の血が木々に付着しているのは確認した。
同時に、若干の肉片も。
アサギは「何処かできっと、生きてるよ」と言いたいのを我慢した。気休めなど、迂闊に言えない。その可能性は恐ろしく低いことを悟って身震いする。
言葉を失くし、口を閉ざしたアサギの顔色は暗かった。
「何故、犬の魔物だと?」
トビィの問いをアサギが伝えると、キュィはボロ布のような衣服の内側から何かを取り出した。風が強すぎてトビィに見せることまでは出来なかったが、アサギがそれを確認する。
「毛?」
『はい、体毛です。これが至る所に落ちていました。これは犬の毛、臭いで解ります。かなり大きな犬の魔物です』
トビィは瞳を細め、該当する魔物を思案した。
死した野犬が甦った魔物には幾度か遭遇しているが、草食魔物とはいえ巨体の一つ目族が容易くやられるだろうか。多勢に無勢なら負ける可能性はあるが、もし仮に死犬が増殖しているならば今回姿を見てもよいだろう。
だが、そんな気配はなかった。
それに、隠れていたキュィが無事なのも気掛かりだ。死んだとはいえ、もとは犬。親兄弟の匂いを覚え、キュィに辿り着きそうなのに。
腹を空かせているのであれば、あの村が襲撃されてもおかしくはない。しかし、村人らは見ていない。
「どうにも妙だな、気分が悪い」
『犬の魔物、というのをワィは知りません。でも、犬で間違いないと思います。そして、途轍もなく巨体』
憎悪が宿った瞳で長い毛を見つめたキュィは、悔しそうに告げた。
「大きな……犬の……」
アサギが知っている地球で有名な犬の魔物といえば、狼も含まれるがケルベロスにオルトロス、そして、フェンリルにガルム。どれも神話の生物である。本によって若干姿が違うように、似たような魔物がこの世界に存在しても不思議ではないと思った。