繋がる絆
文字数 3,012文字
デズデモーナとクレシダの背から降りた二人は、集まってきた魔族たちに囲まれつつ歩く。ナスタチュームの居場所はもう知っているので、トビィがアサギの手を引いた。
流石に竜が二体も着陸したら、誰でも気づく。駆け付けたオークスが出迎えてくれたが、トビィの背から顔を覗かせたアサギを見て目を丸くした。
「こんなに早く再会出来るとは思いませんでした。アサギ様、ようこそお越しくださいました」
「お久しぶりです、オークス様!」
アサギとオークスは、以前ジェノヴァで会っている。
あの時は魔族の少女ラキもいて、二人の魔族が飛んで去る光景を羨ましく眺めていた。しかし現在はアサギは自分で飛ぶことが可能だ。
飛んでみたいと願った夢は、叶えられた。
「おや……」
オークスは、アサギの変化していた髪と瞳に視線を飛ばした。物言いたげに唇を開きかけたが、結局何も言わずナスタチュームの屋敷へ二人を誘導する。
「どうぞ、こちらへ」
「クレロからの返事だ。詳細は知らないが、共闘したいという点は書かれている筈」
「そうですか、良いお返事をありがとうございます。ナスタチューム様も喜ばれるでしょう」
トビィから差し出された書面を丁重に懐に仕舞ったオークスは、晴れやかに微笑んで胸を撫で下ろす。
その笑みからは嘘偽りが感じられない。余程神よりも信頼出来る相手だと、トビィは判断した。
鋭く視察しているトビィの視線を感じつつも、オークスは何も思わなかった。神に断る理由がないことは知っていたし、こうしてアサギに出会えた事も“予定通り”だ。こんなに早いとは思わなかったが。
まずはナスタチュームとアサギを合わせ、見て判断してもらう。そこから、どうなるかは誰も知らない。
「トビィ殿、アサギ様には何処まで話を? 私たちの意図は話されましたか?」
控え目な口調でさり気無く訊いたオークスだが、トビィは憮然と首を横に振った。
「……ですよね」
軽く肩を竦めたオークスは、多少項垂れる。
「伝えていない、オレにも考える時間を寄越せ」
アサギに『魔王に即位して欲しい』など、言える筈がない、言いたくもない。
トビィが呟いたその声は、当然アサギが聞いていた。二人のやり取りに疎外感を感じ、衣服を軽く引っ張ると唇を尖らせる。
「後で話す。今はナスタチュームに会おう」
「……はい、解りました」
渋々頷いたアサギの頭を軽く撫でたトビィだが、突然脳内に響いた声に二人は仰け反った。耳元で叫ばれているような、脳を引っ掻き回されているような。よい気分ではない。
『アサギ、トビィ! 聞こえるか、緊急事態だ! 即刻戻ってくれ、いや、向かってくれ』
切羽詰ったクレロの声に、眉を顰めたトビィが呆れた溜息を吐きつつ返答する。
「またか。何事だ、オレたちは忙しい」
『調査に向かった勇者らが救援を求めている。私も状況確認をしているところだが……非常に危険だ。魔物に襲われている』
軽く額を押さえ肩を大袈裟に竦めたトビィの隣で、アサギが硬直した。口元を押さえ、不安そうに見上げる。
しかし、トビィは面倒そうに口を開いた。
「勇者だろ? どうにか切り抜けられるだろ? 魔王よりも厄介な相手なんぞ……」
『得体が知れない敵で、劣勢だ。至急向かってくれ』
勇者が危険、と言われたところでトビィ的には「はいそうですか」だが、アサギが緊張した面持ちで見てくるので、選択の余地はなかった。
「……解った」
ほっとして緊張を解いたアサギの髪を撫でながら、トビィはオークスを見つめる。来て早々、戻らねばならない。
クレロの声は聞くことが出来なかったが、トビィの声で予期せぬ事態が起こっている事を把握したオークスは二人に深く頭を下げる。
「行ってください、こちらは別の日に」
「悪いな、勇者が危機的状況らしい。……笑い話にしかならないが」
二人がクレシダ、デズデモーナへと戻るその姿を見送ったオークスは心底残念そうに溜息を吐く。
「思うように進まないのが、今生」
しかし、進展はあった。受け取った書面を早くナスタチュームに見せようと、踵を返す。すると、必死の形相で駆けて来たサーラとラキに気付き、足を止めた。二人を見に来たのだろう、入れ違いになってしまったが。
けれども、サーラの様子がおかしい。常に穏やかな物腰のサーラが、取り乱した様子で腕を伸ばしていた。時折他の魔族からの報告で自我を失うことがあると聞いたことはあったが、この目で見たのは初めてだ。
その要因は、常に一人の少女が原因だと聞いている。
「アンリ! アンリ! アンリ!」
アンリ。
死に物狂いで叫んでいるサーラの様子に、ラキが狼狽している。飛び立った二体の竜を追いかけて地面を大きく蹴ったので、慌ててオークスは止めた。前に飛び出し、身体を押さえつける。女性の様にか細い身体だが、気を抜けば弾き飛ばされそうな力で抵抗する。
「アンリ! アンリ!」
「落ち着けサーラ、どうしたんだ!?」
「アンリだ、アンリだった!」
何度も連呼するその名は、サーラが過去に滞在していた国の、人間の姫。魔族の奇襲を受けて滅んだが、彼女も果敢に戦ったという。人望が厚く、見目麗しい姫で、民に愛されていたと。
「見間違えるはずがない、彼女はアンリだ!」
「……まさか」
去っていく竜と、その背に乗っている人間二人。
アンリ自身をオークスは見たことがない。しかし、誰と似ているかは察した。サーラが想いを寄せいていたが護りきれず死んでしまった人間の娘は、容易く想像出来てしまう。
アサギの緑の髪が、遠くで揺れている。
「サーラ、彼女はアサギ様だ。人間の勇者で、ナスタチューム様が次期魔王に即位するよう願い出る予定の娘。……そして、破壊の姫君になる可能性を秘めている」
「知っている、だからこそアンリだ! アンリは死に際に『勇者になりたい』と願っていた! だから勇者になって戻ってきた! 間違いないっ。アンリ、私だ、サーラだよ!」
サーラの胸元のネックレスに隠されていた、亡国の姫君アンリの肖像と勇者アサギは瓜二つ。緑の髪が美しい、微笑している麗しの姫君。
オークスは懸命に親友の身体を押さえながら、眩暈に襲われた。興奮状態のサーラとアサギを引き合わせたとして、誰が得をするだろう。
彼女は、本当に輪廻転生を果たしたのか。それ以前に、このままではサーラが暴走し危険だと判断する。オークスは親友を宥め、冷静になるように必死に伝える。
その国を魔物が襲った原因は、魔族でありながら王含む民に慕われたサーラ本人。立ち寄らねば、その国は今も存在していたかもしれない。どのくらいの年月を自己嫌悪に陥り、悲壮感に潰されながら過ごしただろう。
「アサギ様……貴女は一体何者ですか。貴女は、勇者? いえ、人間ではないですよね? どうも最初にお会いした時から、拭えない違和感が」
呆然と言葉を漏らしたオークスの下で、不安そうにラキが二人を見つめている。複雑な心境だった、サーラには幸せになって欲しいと願い、姫が産まれ変っていたらとは思ったが現実を目の当たりにすると素直に喜べない。
その足元で、小さな草花が風もないのに揺れていた。