外伝2『始まりの唄』17:執着しているのは
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城内の者達は、痛ましいとばかりに耳を塞ぎ、遠ざかった。トダシリアから「必要が無い限り部屋に近づくな」と指示が出ている為、警備兵すら付近にはいない。それでも、アリアの絶叫は皆の耳に届いてしまう。今日よりいっそう激しく、鞭の音まで混じっている。
最初、すぐに死体となって放り出されるのだと思っていた。一体、これまでに何人の女を埋めてきただろう。しかし、今回連れて来られた可愛らしい少女と言っても過言ではない女は、まだ、生きている。食事や洋服を与えられ、“溺愛されている”ように思えた。
城内の者達が蒼褪めている中で、トダシリアは抑揚のない声で呟きつつも、恍惚の瞳でアリアの首筋に噛み付く。
「愛してるよ、アリア。お前の一番になりたいんだ、どんなことであっても」
激痛を与えるのも、快楽を憶えさせるのも、絶望に堕とすのも、自分でありたい。トバエが見た事のないアリアの表情を引き出せるのであれば、手段は選ばない。
「愛しているから、お前の全てを知りたい。……アリアだって、そうだろう?」
トダシリアは自分の思考を正当化しながら、アリアの体内に欲望の塊を吐き出した。
「アリアの中を、どこもかしこもオレで満たせば。きっと、オレのことしか考えられなくなる」
幾度も「愛している、狂おしいくらいに。そして、憎らしい」と告げながら、すでに気を失っているアリアを夜通し抱き締めた。
倦怠の色が全身を布のように包み、動けない。まるで、廃棄寸前のボロ布のよう。
一体、どのくらいの時間トダシリアに犯されていたのだろう。彼によってつけられた傷跡は、身体中に広がった。歯型は序の口、鞭で打たれた箇所はジクジクと痛み、見るのも辛い。アリアは身を捩った。それだけで激痛が走るが、妙な感触に気づき、恐る恐るかけられていた布をめくる。
鞭の傷口に、包帯が巻かれていた。
ふくらはぎに腕、そして背中に尻。全て、処置が施されている。一応、気を遣ってくれたらしい。
「変な人……」
一体何がしたいのか、アリアには解らなかった。ただ、一つだけ言えることは。
「あの人が私を欲しがる理由は」
ぼそっとくぐもった声を出し、空虚な瞳で天井を見つめる。
愛してるなどと言われたところで、信じられない。そもそも、一体何をもってして愛というのか。
「トバエを心底憎んでいる、彼を絶望させたい。その為に、私が必要」
アリアでなくてもよかったのだろう、トバエの妻であれば、誰でも。
力なく溜息を吐き、瞳を閉じる。幾度か優しく名を呼ばれたが、手懐ける為の算段だろう。
「身体は穢れても、心は絶対に渡さない。私は、トバエの妻」
しゃがれた声で呟くと、涙を流した。そうは言っても、果たしてトバエはこんな自分を受け入れてくれるだろうか。自信がない。
「私は、卑しくて、浅ましい、変態……。トバエの傍に、いてもよいのかな」
トダシリアに吹聴された言葉が、精神を蝕んでいく。アリアの瞳から、光が徐々に失われていった。
せめて数日は来ないで欲しいと願い、このまま眠らせて欲しいと呼吸を繰り返す。夢であればよいのに、とまだ愚かな事を考えながら。
枕元に人の気配を感じ、重たい瞼を開く。
「お目覚めですか。御気分は如何です?」
久方ぶりに聴く女性の声に、アリアは驚いて瞳を丸くする。見れば、数名の女官が緊張気味に覗き込んでいた。
「貴女方は……」
「身の回りのお世話をするようにと、仰せつかっております。さぁさ、傷口にお薬を塗りましょう。布を交換しますよ」
優しい声色に、安心して大粒の涙が零れる。嗚咽を繰り返し、丁寧に抱き起してもらうと、身体中を清潔な布で拭いて貰った。
「痛かったでしょう……。それこそ、死んだ方がマシと思う程に」
小さな声で心痛な面持ちで告げられたアリアは、思わず頷いていた。
女官達は顔を見合わせ悲しそうに瞳を伏せる。助けてやりたいが、どうにも出来ない。
「ただ、その……気に入られているのは、確かでございます。こんなにトダシリア様が一人の女性に執着するのは、初めてです」
遠慮がちにそう告げられ、アリアはぎこちなく微笑んだ。
……それは、トバエの嫁だからです。私に執着しているのではありません。
その後、軽い食事を運んでくれたのでどうにか口にした。正直腹は減っていても食欲がない、だが、出されたものを食べなくては失礼だと思った。
「トダシリア様は、アリア様の御顔には手を出さないのですね。とても愛らしいですから」
頬を幾度か叩かれたが、傷にはなっていないらしい。喜んで良いのか解らず、引き攣った笑みを浮かべる。
そして、彼女達は部屋の掃除と、花の交換を終えると去っていった。
少しだけ、気分が晴れた。このまま誰にも会うことなく死ぬのではないかと思っていたので、心の底から嬉しかった。悪魔のような男がせめて今日だけでも来ないで欲しいと願い、再び瞳を閉じる。
その願いは、叶わなかった。再び、恐怖の時間がやって来た。
それでも、アリアは耐えた。言う事をきかねば、トバエが死んでしまう。
夫の為に、身を捧げる。