二人きりの世界
文字数 3,555文字
そのまま誰とも会うことはなく、二人はトランシスの家へ到着した。
掘っ建て小屋を見上げたアサギは、強風で倒れそうなそれに不安を覚えた。勢いよく開ければ扉ごと取れそうで、廃村にある棄てられた小屋にしか見えない。
恐る恐る中に入ると、何もない。首を傾げていると、地面にしゃがみ込んだトランシスに呼ばれる。
「ここが家。家というか、部屋」
地面に打ち込まれるように存在していた扉を持ち上げると、地下へ続く梯子が見えた。まるで秘密基地のようだと、アサギは心を躍らせる。
「わぁ、楽しそうです!」
笑みを浮かべるアサギとは反対に、トランシスは苦笑した。
「いやー、ご期待に添えるかどうか。さぁ、先に下りなよ」
促され、アサギは梯子を下りる。公園にある遊具のようで面白い。
無事に到着したのを確認し、トランシスも続いた。誰かに見られても構わないが、オルヴィスが来たら面倒だったので、念の為その扉を施錠する。
ギィィィ、ガチャン。
物々しく扉が閉まる音に、アサギは反応して上を向く。
滑り下りるようにやってきたトランシスは、愉快そうに両手を広げアサギを見つめ直した。
「ようこそ、オレの家へ! さぁ、互いの事をよく知るために話をしよう」
「はい! あ、その前に。えっと、お口に合うか分かりませんが、お弁当を作ってきたのです。よかったら……」
慣れたベッドに腰掛け手招きしたトランシスだが、そう言われて空腹に気づいた。
「いいね、食べたい」
言うが早いかテーブルに弁当箱と水筒を出したアサギを、静かにトランシスは見つめる。蓋を開いて中身を見せ、水筒から付属のコップにお茶を注ぎれる無駄のない動作に熱っぽい視線を投げた。
それに気づき、恥ずかしそうに身じろぎしたアサギは「どうぞ」と照れたように上擦った声を出す。
立ち上がり、アサギの頬を撫でてから不格好な自前の椅子を出す。今にも壊れそうだがニ脚あるので、二人はそれに腰掛けた。
「遠慮なく食べるね。……なんだろこれ、初めて見る」
「おにぎり、って言います。外の黒いのは海苔です、白いのはお米で中身は鮭っていうお魚です。全部食べることが出来ますからね」
「へぇ、全部知らないけど、めちゃくちゃ旨そうな匂いがする。……うぉっ、なにコレうめぇ!」
しげしげと形を眺めてから、トランシスは一気におにぎりに齧りついた。
豪快な様子に思わず吹き出したアサギだが、目を丸くしておにぎりを貪る姿に肩を上げて喜ぶ。
瞬く間に弁当箱は空になる。多めに作ったつもりだったが、全然足りなかったらしい。
海苔と白米が大変気に入り、トランシスは「また食べたい」と喜色満面で言った。
「五個は余裕で食べられる」
無邪気な笑顔を見せ、口内で舌を転がす。卵焼きもふっくらと美味しく、優しい味付けに感動した。食べ物はただ腹が満たされればよかったが、瞳と味を堪能する愉しみをトランシスは覚えた。何より、アサギが作ってくれたことに感動している。
「アサギは料理が上手いね。感動した」
「ありがとうございます、嬉しい! また作ってもいいですか?」
「ココで作ってくれてもいいよ? どうなんだろ、作れそう?」
キッチンと呼ぶには貧相な場所へ案内したトランシスは、頭を掻きながら顔を顰めた。一通りの器具はあるのだが、そもそも食材がない。畑で野菜を育てているが共同なので、配分は決まっている。
アサギは案内された場所を眺めた。少なくとも年に一度は家族でキャンプをしていたので、調理道具さえ揃えば正直どうにかなるだろうと思った。脳内には、すでに幾多のレシピが浮かんでいる。
「食材は私が持ってきます。それなら作れると思います」
柔らかに微笑んだアサギに、トランシスは指を鳴らす。
「お、いいね! 毎日アサギの手料理が食べられるのか。もうここに住みなよ、オレ大歓迎だよ? そうしたら一緒に居られる」
突拍子もない事を言い出したので、流石にアサギは俯いた。言われて嬉しかったのだが、簡単に返事が出来ない。毎日一緒にいられたら幸せだとは思うが、生憎日本の十二歳は小学校へ行かねばならない。
もし日本ではなく惑星クレオに産まれついていたら、アサギは二つ返事でこちらに移動していただろう。
「えっと……とても嬉しいのですが、学校というものがありまして。その、住めるものなら住みたいのですが、そういうわけにも」
「えー、冷たいなぁ」
「す、すみません」
弱りきった表情のアサギに唇を尖らしたトランシスだが、不貞腐れてはいるものの、怒っているわけではない。軽々と抱き上げ、そのままベッドに腰掛けた。全く警戒していない様子に苦笑しつつ、頭を撫でる。
「少しずつ、互いのことを話していこう。解ったことは、アサギは料理が上手。ただ、オレが知らない食べ物ばかりだった。不思議」
アサギに緊張が走った。一体、自分の事をどう話せばよいのか。
「わ、私もこういう風景はあまり見たことがなくて、新鮮です。色々と違うみたいですが、仲良くなって知っていけたらと思います」
焦って早口になるアサギに吹き出し、トランシスは髪を摘まんで弄った。
「まずは、敬語を止めようか?」
「はっ、そうでした!」
膝の上に向き合うように乗せ、正面からアサギを抱き締める。小さい身体を愛おしく撫で、「今日も良い香りがする」と耳元で囁く。
一瞬身体を引き釣らせたアサギだが、ぎこちなく背中に手を回し何度か大きく息をした。頬を胸にすり寄せ、体温に安堵したのか瞳を閉じ口元に笑みを浮かべる。
「随分積極的」
苦笑したトランシスは、下半身が疼いたのでそのまま反転しベッドにアサギを押し付けると覆い被さる。射抜くような視線で、余裕の笑みを浮かべた。
ベッドに沈む感覚に驚き悲鳴を上げそうになったアサギだが、唇を塞がれた。
「んんんんーっ!?」
顔が火照り、もがいたところでどうにもならないが足と手をばたつかせる。けれども力はまともに入らず、小刻みに振るえることしかできない。
「ふ、ふぁっ?」
唇が離れ、艶めいた笑みを浮かべているトランシスと視線が絡む。
「この間散々しただろ? ほら、思い出して」
矢継ぎ早に口づけされ、呼吸の仕方すら思い出せずアサギは呻く。
悩まし気に眉をひそめる姿に悪戯心が膨れ上がったトランシスは、慣れた手つきで太ももに触れる。短いスカートに手を滑り込ませ、滑らかで柔らかな太ももを優しく撫でた。
「ひゃ、ひゃあっ!?」
「面白いね、アサギ。清らかで初々しいが、男を誘う仕草と表情が妙に艶かしい。自然体なのか、計算なのか、どっちなの」
「ひ、ひぅっ」
しっとりと馴染むその肌を堪能していると、脳内に罵声が響き渡った。
『このオレをコケにしやがってっ! 大金叩いて買ってやった恩が、これかっ! どの男だ!? 間男は何処にいるっ』
地面に叩きつけられた、華奢な少女。頭部を強打し、床に転がり痙攣する。うつ伏せで転がる背を思いきり足で踏みつける。鈍い音が、こだまするように響く。骨が折れたのだろう、身体は海老反りになった。緑の髪の少女は、声も出せずに大きく震えている。いや、この少女は最初から声が出せなかった。
腫れ上がった彼女の顔が瞳に飛び込んでくると、トランシスは大きく息を飲む。
「アサギっ!?」
「え、あ、はい」
顔を赤らめ、真下でアサギが返事をした。ドッと汗が体中から吹き出し、数滴その頬に垂れる。
それを拭うことはせず、瞳孔が開いているトランシスに不安を覚えてアサギは優しく手を伸ばした。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いです」
「あ、あぁ……」
石のような硬い表情で掠れた声を出す。アサギの手がトランシスの頬に触れると、心地良さから多少落ち着いた気がした。
……今の、何だ。
躊躇いがちに撫でられ、アサギの瞳に映る自分を確認するとようやく瞳の焦点が合う。小刻みに身体が震えている事に気づいた。
「あ、いや、大丈夫……大丈夫だよ。ごめん」
言いながらも、震えが止まらない。罪悪感で胸が押し潰されそうで、言い知れぬ恐怖に脳が揺さぶられる。口元を押さえ、ぎこちない動作でアサギの上から退くと横に倒れ込む。トランシスは右腕で顔を覆い隠しながら、左手でアサギを捜した。見つけると優しく掴み、その温もりを身体に移すように何度も指を動かす。
情けないとは思ったが、掠れた声を絞り出した。
「ごめん、目眩がして。頼む、傍にいてくれないか。落ち着くから」
「あの、タオルに水を含ませて額に乗せましょうか? 私」
「行かなくていい、ここにいてくれ。頼むから」
切羽詰まった声に、アサギは身体を起こしトランシスに寄り添った。優しく手を包み込み、撫でる。
「ここに、ちゃんといますよ」