対話する者
文字数 2,501文字
皆が唖然と見つめる中、アサギはワイバーンと向き合ったままでいた。
ワイバーンと対話など、有り得ない。
成立するはずがない、逃げるため静かに移動を開始したガーベラだが耳を疑った。そして、細い瞳を大きく見開く。
「ギ、ギギギ、ギギョゲ」
「大変! そうでしたか、解りました。私が取り戻すのでワイバーンさんは上空へお願いします。大丈夫です、必ずお届けします」
会話しているように思える。
「ゲギョ」
「よかった、信用してくださってありがとうございます!」
茶番ではと思ったが、会話している。あれほど騒いでいたワイバーンが、今は大人しい。
「アサギ様? ど、どのような会話を?」
デズデモーナですら驚愕し、不安がって問う。確かにアサギは不思議な人物だと知っている、しかしワイバーンと意思の疎通が出来るとは思ってもみなかった。
「ここに彼らの卵が運び込まれ、それを取り返すために来たと。……悪いのは彼らではありません、盗んだ人間です」
アサギの尖った声が響いた。
「卵? ワイバーンの卵を盗んだ者がここにいると?」
「それは分かりませんが、卵はこの街にあるそうです。匂いが強いから間違いないと」
アサギは逃げ惑う少女たちを静かに見据えた。
「彼女たちから、卵の匂いがするそうです」
静謐な瞳に、少女らは喉を鳴らす。責められているわけではない、身に覚えはない。しかし、心の呵責が渦を巻く。まるで、裁判官の前に立たされているようで脚が竦む。
「…………」
金の髪を揺らし、ガーベラは訝った。魔物と会話出来る人間など、聞いたことがない。共謀しているのではないかとも勘ぐったが、それも一般的に不可能だ。
視線を縫い付けたまま微動だしないアサギに、ガーベラは吸い込まれるように見惚れた。なんと美しい緑の髪だろう。春の芽吹きを感じさせる若々しく艶めいた髪など、初めて見た。そして神々しいまでの光を放つ、大きな宝石のような瞳。整った鼻筋に、品のよい唇はうっすらと桃色を帯びぷっくらとしている。
あまりの美貌に、物の怪ではないかと思った。
もしくは、神の遣いか。
華奢な手足に細い腰、しかしぴったりとした衣服からくっきりと分かるまだ幼いがふくよかな胸。どう見ても、非の打ち所がない。
呆けているガーベラに不思議そうに微笑むと、アサギは周囲を見渡した。
「ギュルルル」
「えーっと……そちらの美しい紫色のお洋服を着た方! 貴女から、卵の匂いが強くすると仰ってます。桃色で丸く、このくらいの球体だそうです。心当たりはないですか?」
星が宿っているように煌めくアサギの瞳は、一人の少女を捉えた。卵の大きさを身振り手振りで説明し、首を傾げる。
紫色の服を着ている女は、この場に一人だけ。まさか自分だとは思わず呆けていたが、皆の視線に気づいて狼狽する。
彼女の名はグランディーナ。ワイバーンに襲い掛かられたガーベラは、その直前で彼女を突き飛ばし助けていた。
「わ、私!? 知らない、魔物の卵なんて興味ないものっ」
震えが止まらない身体に爪を立て、グランディーナは吼えるように訴える。
「魔物の卵ですが、桃色で可愛らしい球体です。……本当に知りませんか?」
グランディーナは嘘をついているわけではない。ただ、誰が好き好んで魔物の卵を手元に置くだろう。皆の前で処刑されている気分で、腹も立った。
「そ、そんなことを言われても……」
しかし、知らないとも言い切れなかった。微かに記憶があるような気がして、思い出そうと悩む。大人しくなったとはいえ、すぐそこにワイバーンがいることに恐怖心を煽られたが、震える足で立ちながら我に返った。
素っ頓狂な声を出し、早口で捲し立てる。
「ま、まさか! お父様がこの間旅の商人から購入した珍しい宝石のこと!? 確かに丸くて桃色だった!」
神妙に頷いたアサギは、震えているグランディーナに手を差し伸べる。
「それだと思います。ワイバーンさんに返しますので、卵の場所まで案内してください」
「嘘でしょ……宝石だって言われたのに……」
卵だなんて、思いもしなかった。愕然として項垂れたグランディーナは、疲弊し頭を抱える。
色合いが美しい桃色の宝石を手に入れたと、父が上機嫌で見せてくれたのは先日のこと。グランディーナは立ち会っていなかったが、館にやって来た旅の商人が『砂漠で稀に見つかる宝石で、ここまでの大きさと傷のない見事な球体は珍しい』と売り込んできた物だった。
アサギの話が本当ならば、父は騙されたことになる。幾ら支払ったのか知らないが、大損だ。
「数日前、ワイバーンさんは煙で眠らされ、気がついたら大事に育てていた卵のうち一つがなくなっていたと。それからずっと、追っていたそうです」
グランディーナは、険しく眉を寄せた。
信じてよい話なのか。珍しい宝石を手中にするための、謀ではないかと疑う。アサギがワイバーンを操る魔物使いだとしたら辻褄が合う。しかし、その宝石が家にあることなど、誰にも話していない。
困惑したグランディーナは、自身では決めかね周囲の少女たちに助けを求めた。
「た、確かに最初に狙われたのは。ガーベラじゃなくて……グランディーナだった」
一人の少女が迷いを振り払うかのようにそう呟いた。言われて、固唾を飲む。
アサギが来る前、ワイバーンの標的になっていたのは紛れもなくグランディーナだった。それを、ガーベラが庇っただけのこと。
「卵だとしたら、知らなかったとはいえ本当に酷い事だわ。大事な子供を盗まれて親が怒るのは当然だもの」
グランディーナは吹っ切ったようにそう告げる。
言葉を全て理解していたかのように、一斉にワイバーンたちが羽根を広げて上昇した。
その姿に、もう恐怖は感じなかった。危害を加える気配はない、危機は去ったのだと思うと少女らは腰が抜けてその場に倒れこむ。張り詰めていた糸が切れ、全員泣き出した。助かった安心感で気が緩み、涙と一緒に嗚咽が漏れる。
そして、互いに照れたように微笑みを交わした。
「では、行きましょう。卵のもとへ」
落ち着いた様子の彼女らにアサギが柔らかく微笑み、手を差し伸べる。