媚薬の効果

文字数 4,817文字

 逃げるように立ち去ったアイセルは、腕で顔を隠しながら項垂れていた。周囲を気にしながら、なるべく早足で歩く。普段お茶らけている自分がこんな辛気臭い顔をしていては、誰かに突っ込まれる。水鏡を覗こうともしたが、今、自分がどのような表情をしているのかくらい、見なくても解っていた。

「失敗した、クソッ」

 悔恨の心で、身体中が麻痺してきた。
 部屋から出てきたスリザが酷く寂しそうで、儚げで。あんな表情をさせてしまうアレクに嫉妬し苛立ったと同時に、その色香に欲情してしまった。
 美しい、孤高の女性。筋肉質だが女豹の様にしなやかなで美麗なスリザは、自分の魅力に気づいていない。
 ふらつく足取りで、アイセルは先程アサギと出合った庭へ戻って来た。泉に頭を突っ込み、幾度か瞬きをする。ひんやりした水温が、紅潮した頬を冷やす。
 思い出すのは甘い、スリザの唇。

「っ! 何やってんだ、俺っ」

 波の立つ水面に映った自分の顔は、何時もと変わりはない筈だ。いつもの自分に戻る為に、両頬を力いっぱい叩く。そして、喉もとの切れた傷口に水をあてる。ヒリヒリと染み渡る痛みに、顔を大袈裟に歪める。

「いってー!」

 大声を発し、暴れた。

 ……よし、この調子だ。これが、いつもの自分だ。この、大袈裟な立ち振る舞いこそ、俺。

 自嘲気味に微笑みながら、水滴が地面に染み込んでゆく様子を見ていた。

「何やってんの、お前」

 嬉しそうに振り返ったアイセルは、近寄って来た人物に無邪気な笑みを向ける。 
 友人のサイゴンが、呆れた顔をして歩いて来た。最も望ましい相手だった、自分の強運に感謝すらしたくなる。
 ふぅ、っと大袈裟な溜息を零すと両手を広げ、芝居がかった口調で語る。

「布はないかね、サイゴン君」
「何があったんだよ」

 懐を探りながら、訝しげにサイゴンは首を傾げた。

「いやー、スリザちゃんにさ、ちょこっと攻撃を喰らったんだよね。見ろよ、この喉元」

 サイゴンに近寄り上向きになると、喉元を見せ付ける。
 血が滲む新しい傷口を見せられ、痛々しげにサイゴンは目をそらす。布を取り出すと、そのまま首に巻き、きつめに縛った。

「ごっふ! 苦しいーっ」
「我慢しろ、俺が傷口見るの苦手だって知ってるだろ」
「一流剣士が、傷口程度でぐだぐだとっ!」
「だって俺、そんなに怪我したことないし」
「はいはい、優秀な剣士様でいらっしゃる」

 紺碧の布が巻かれた自分の首元を水鏡で確認したアイセルは、「あぁ、こういうのもいいな!」と瞳を丸くする。

「ったく、スリザ隊長にちょっかい出すからこういうことになるんだろ? 見境ないお前の女好き、どうにかしろ」
「やだなぁ、相手は選んでいるよ、サイゴン君」
「女なら誰でも良いくせに」
「はっはっは、そう見えるのかねサイゴン君? それだから未だに童貞なんだよ、うん」
「……お前、その布返せ」

 喚きながらサイゴンは無造作に剣を引き抜き、容赦なく斬りかかる。
 爆笑しながら、アイセルは軽々と手甲で受け止めた。
 気の知れた間柄だが、それでもサイゴンに『スリザに強引に口付けしました』とは言えなかった。今日のことは、二人以外誰も知らなくてもいい。二人だけの秘密のほうが、嬉しい。

「そういえば、ホーチミンは? 一緒じゃないとは珍しいね」
「逃走中だ」
「あ、そっ」

 二人は、何処へと打ち合わせをしたでもなく、同じ方向へと歩き出した。

 風が絶えた夏の夜の闇の中、ハイは眠ってしまったアサギを背負ったまま戻った。全く目が覚める様子のないアサギを、早くベッドに寝かせてやりたくて、場内を早足で闊歩する。 

「おや、おかえりだぐー」
「ただいま。大声は出すな、アサギが寝ている」

 その途中で、リュウに遭遇した。背のアサギを覗き込みながら、小声で訊ねてくる。

「お疲れもぐか」
「あぁ、結構な距離を歩いたからな」

 ハイは、二人きりで過ごせた本日を思い返し、頬を緩ませる。謝罪しつつも、柔らかなアサギの首筋に唇を這わせ、更に柔らかな肌と温もりを堪能できたことに感謝する。

「生きていて、よかった」

 口笛を吹いているハイに、リュウは奥歯で嚙むようにして笑いを耐えた。

 ……二人きりでいただけ、ならば、ここまで気味悪い笑みを浮かべないもぐ! 例の薬が効果を発揮したぐ! ま、まさか、アサギが熟睡しているのは!?

 憶測が膨らみ、耐えきれない笑みが口角に表れる。リュウは、ハイの周囲をくるくるとまわりながらついて歩く。
 邪魔でしかないので、普段のハイならば激怒するだろう。しかし、気にも留めずに身体全体を弾ませながら歩いていた。

 ……決定的だぐ、絶対に何かあったぐ! 

 喉の奥で笑ったリュウは、アサギを凝視した。着衣の乱れがないかを確認する。例の薬を調合したのは、リュウ本人だ。薬物学に長けている自分の能力を、初めて褒める。
 部屋に到着し、ハイは扉を丁重に開いた。背からするりとアサギを下ろし、慣れた手つきで恭しく姫抱きをする。
 その瞬間、リュウが驚異の眼をみはった。

「お、おおおおおお! 成功なのだー!」

 リュウは見逃さなかった、アサギの首筋に残る無数の紅い点を。それは、一つではない。
 跳ね上がり歓喜に打ち震えたリュウを、ハイは不思議そうに一瞬視線を投げた。けれども、深く考えずにアサギをベッドに横たえ、幸福を噛み締めるように熱い視線を注ぐ。

「あー、可愛い!」

 陶酔しているハイの傍ら、リュウが踊り狂っている。

「るんるん、るんたったー、たららん、たららん、たりられらーん」

 謎の歌と共に踊りながらハイの横にすとん、と座り込んだリュウはニタァ、と顔を向けて笑った。 
 流石に浮かれているハイも現実に引き戻され悪寒が走り、硬直する。
 言葉を詰まらせたハイに、リュウは地底の底からせり上がって来るような低い高笑いを発した。

「くくくくく……ははははは……あーっはっはっはっはっは! ……だぐ!」
「お前、大丈夫か?」

 今の笑い方は魔王らしかった気がする、と感心したリュウは、冷ややかな視線を向けているハイの肩に手を添えて、しんみりと微笑んだ。

「大人の階段をのぼったんだぐな、お父さん、嬉しいっ!」
「は?」

 眉を顰めて首を傾げたハイに追い討ちをかけるように、リュウは肘でつつく。

「う~ん、ハイったらぁ、この、お・ま・せ・さ・んっ。だぐ! 知らなかったぐ、そういうこと疎いのだと思ってたぐ。侮ってたぐ」
「は?」

 静かで、そして緩慢とした恐怖が忍び寄って来てハイは凍り付いた。

「もぐっ」

 勢いよく立ち上がったリュウに、ハイは反射的に身構えた。しかし、何をするでもなくへろへろと力なく腕を振りながら部屋を出て行く後ろ姿を呆然と見送る。
 部屋の外から、騒々しく走り去る足音と、高笑いが聞こえる。 

「い、一体何なんだ……。暇人め、生き甲斐を見つければ良いのに。そうすれば、この私の様に充実した日々を過ごす事が出来る。愛は偉大だ、フフフ」

 アサギの髪を指先で摘まみながら、ハイは穴が開くほど見つめていた。
 自分がつけてしまった、首筋の痕に気づくことなく。

「ハイ……さ、ま?」

 リュウの高笑いで、アサギがぼんやりと目を醒ました。寝ぼけており、首を動かして場所の確認をしている。

「あれ、お部屋? ごめんなさい、ずっと背負っていてくださったんですね。疲れたでしょう?」
「うむ、気にするな。アサギは軽いから余裕だ。まだ背負って歩けるぞ。ところで、腹の具合はどうかね? もしよければ、食堂にでも行ってみないか?」
「食堂! 昨晩皆さんが話をしていた場所ですね、行きたいです」

 アサギは、瞳を輝かせた。昨晩、アイセル達が「食堂の料理は美味い」と話をしていた際に、興味を示していたことを、ハイはきちんと憶えていた。

「では行ってみよう。実は私も初めてだ」
「楽しみですね!」

 早速二人は、手を繋いで部屋を出た。
 アサギが気になる場所へは何処へでも連れて行く、それこそが自分のすべき事だと妙な使命感に燃えているハイは、鼻の穴を膨らませる。ところが、部屋を出て数歩で脚を止めた。

「はて、困った。食堂の位置が解らぬ……」

 城内を徘徊していなかったハイには、解らない。普段の食事は部屋に運ばれてきていたので、気にも留めなかった。誰かに訊ねようと周囲を見渡すと、賑わしい声が聞こえてくる。脚を向ければ、アイセルにサイゴン、ホーチミンの三人がいた。
 二人に気づき、三人は姿勢を正して首を垂れる。

「ハイ様、アサギ様。ご機嫌麗しゅう」
「うむ、苦しゅうない。ところでそなたら、食堂へ行きたいので場所を教えて欲しい」

 魔王が食堂へ行くと皆が委縮してしまいそうだが、断る事も出来ない。三人は顔を見合わせると、大きく頷いた。

「食堂、でございますか。丁度今から参りますので、ご案内致します」
「おぉ、助かる」

 顔を綻ばせたハイに、ホーチミンはアサギに視線を移した。

 ……ハイ様、冗談抜きでこの子にべったりなのね。確かに、誰が見ても物凄く可愛い子だけど。勇者よね、城内の案内をするって、普通に考えたら妙よね。

 視線が交差したので、アサギにぎこちなく笑いかけた。

「アイセル様、サイゴン様、ホーチミン様、宜しくお願いします! 皆さんのお話を聞いていて、行ってみたいな、って思っていたのです」
「恐悦至極に存じます。こちらです、行きましょう」

 ハイとアサギは、三人の後ろについて歩き出した。
 
 ……ハイ様、以前との懸隔が激しいな。

 アサギが来る前のハイとは、会話するなど考えられなかった。最も近寄りがたい魔王であると認識していたが、こちらが素だったらしい。

「何を食べましょうね、私、お腹ペコペコです」
「うむ、たくさんお食べ」

 和気藹々と会話している魔王と勇者を、こっそりホーチミンは振り返った。談笑している二人は、随分と微笑ましい。

「んん?」

 しかし、ホーチミンは怪訝に眉を寄せた。

「んんん?」
「何してるんだ、凝視したら失礼だろうが」

 首の骨が折れるのではないかというくらいに背後を気にしているホーチミンに、サイゴンが小声で注意する。
 けれども、それどころではない。息を凝らす様に見つめ続けるのは、アサギの首筋だ。

「もう少し、もう少し待って。うん、あのね、見間違いだと思うけどねええええええええええええええええええええええええええええええええええんんん!」

 黄色い悲鳴を上げ、ホーチミンが立ち止まる。

「どうした!?」
「な、なんでも、な」

 アサギとハイも立ち止まり、血走った瞳でこちらを見ていたホーチミンに首を傾げる。

「お、おほほほ。ごめんあそばせ、アサギ様のお洋服が、とても可愛らしくて、ついつい魅入ってしまいましたわっ!」
「わぁ、ありがとうございます! これ、ハイ様が選んでくださったお洋服の一つなのです」
「まぁ、羨ましい! 似合っていらっしゃるわ」
「あの、ホーチミン様。私の事、“様”なんて呼ばないでください」
「え、えーっと……な、なら、アサギ“ちゃん”?」
「はい!」

 アサギの首筋に残る紅い痕跡に気づいてしまったホーチミンは、興奮のあまり眩暈がした。

「ああん、ハイ様ったら奥手だと思っていたけど、ああんっ!」

 恍惚とした笑みを浮かべているホーチミンを引っ張り、食堂に到着した。

「ククク、今日の酒のつまみは決まりねっ」

 鼻息の荒いホーチミンを、げんなりとした様子でサイゴンが見つめている。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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