マスカットと好き

文字数 4,995文字

 記憶が混乱し、直前のことすら思い出せない。

「いっ、たっ」

 アサギは再び始まった頭痛に顔を歪めた。まるで思考を遮るように、痛みは増す。
 苦しみだしたアサギに我に返ったトランシスは、慌てて背中を擦った。

「大丈夫? 落ち着いて」

 声をかけられ安堵したが、上手く言葉が出てこない。背中に感じる温もりが多層痛みを和らげた気がして、数秒経過してから掠れた声で返答する。

「は、い。大丈夫、です。さっきから、頭がとても痛くて」
「無理して話さないで」
「は、い……」

 二人は暫く無言で寄り添っていたが、痛みが和らいだのでアサギが口を開いた。

「もう、へっきです。すみませんでした」
「どういたしまして……。ところで、アサギ、訊いてもいいかな? 一体、何処から来たの」

 何処から来た女であろうとも、何も変わらない。しかし、恋人を深く知りたいと思うことは当然。
 アサギは、泣き出しそうな憂鬱な顔で苦々しく口を開いた。

「そ、それが……。私にも、分からないのです」
「え?」

 体調が悪いのか、落下した衝撃で記憶喪失なのか。トランシスは数回瞬きを繰り返し、眉を寄せた。

「話をしよう、落ち着いて。まずは、この場所の事を話すね」
「はい……」

 気遣いに涙腺が緩み、アサギはまだ断続的にやってくる痛みを堪え小さく頷いた。

「ここは、西海に近い集落エルズミーア」
「エルズミーア……」

 復唱したアサギの抑揚ない声に、トランシスは知らないのだと解釈する。

「アサギは海を見たことがある? 昔は青く輝いていたらしいよ、驚きだよな」

 語り出したトランシスに聞き入ったアサギは、動揺した。聞けば聞くほど、全く心当たりのない場所へ来てしまったのだと確信し、心に影が落ちる。海とは、『指一本入れたらじわじわと溶けてしまう、異臭を放つ粘着ある灰色の液体』を指すという。実際溶けるかどうか知らないが、そう伝わってきたので近寄らないのが暗黙の了解らしい。
 トランシスが身を置いている“エルズミーア”という集落には、約三百人の人間が住んでいる。誰も青く輝く海を見たことはないが、語り継がれてきたということは昔は青かったのだろう。時折古めかしい本で“海”の写真が現れるが、それは空想上のものだと思っていた。
 この場所は何もかもが灰色で彩られており、それが普通。空、海は勿論、人々の表情も。全てが陰り曇り、澱み、光は無きに等しい。
 人々は生活の殆んどを地下で過ごしているが、そこが最も安全な場所だと知っているから。
 夜空に瞬く星達など、当然知らない。稀に光っている何かを見るが、それが星ではないことを皆知っていた。
 正体は、偵察機。
 夜空に輝く満天の星、宝石箱を引っくり返したような目を奪われる輝き。それは、少女たちの空想のもの。いや、夢を見る余裕すらない。あるのは絶望で、期待を抱いたところで虚しいだけだった。
 集落から出れば、視界を阻む砂が吹き荒れる荒野。枯れ果てた木や動物の死骸、そして人間の死体が風に呷られ時折姿を見せる。遠くでは廃墟の建物が脆く崩れ落ち、砂埃を立てていた。
 人々が生活できる場所は、限られている。
 住居は地上にも存在するが、正式な家の多くは地下にあった。地上の家は()()()であるものの、簡素な家具は揃っているため一通りの生活は可能だ。このような生活はエルズミーアに限ったことではなく、ほぼ全ての集落がそんな状態だという。
 唯一、エルズミーアから北西に位置する要塞神都レプレアを除いて。
 そこを上空から覗き込むと、密集した高い建物がまるで剣山の様に見えるという。道は狭く馬車が一台通れる程で、それでいて人口は多かった。蟻の巣のように複雑に張り巡らされたその道は、生活するのに困難だ。どうにか土地を確保しようと狭い場所に家を建て続けた為に、道は整備されることなく窮屈なものになっている。
 その中心地に聳え立つ、他と比較するまでもなく抜きん出た派手で高い城こそ、この惑星の支配者が住まう場所である。密集し、ひしめき合う都でありながら、城だけは奇怪に悠々堂々とその存在感を露わにしている。
 惑星を牛耳っているゴルゴン七世の住居。
 この惑星の頂点に立っていた“神の末裔”を殺害し、自らこそ神と名乗った男の子孫である。七世は常に数多の美しい女を傍らに侍らせ、酒を浴びるように呑み干し、肉を豪快に喰らっていた。趣味は『愛という名の享楽』。美しい少女を拷問器具にかけ嬲り殺すのが、三度の飯よりも好きだという変人である。
 七世が言葉を発すれば、側近達は美しい少女を差し出さなければならない。そうしないと自分の身に災いが振りかかる。機嫌を少しでも損ねれば、首が飛ぶ。
 つい最近は兵士たちの前で丸一日犯した後、お下がりとして飢えた兵らの中に投げ込んだ。輪姦される様子を愉しみ、正気を失ったところで台に貼り付けられ、手足の指、手首に足首、腕、脚、腰、首などを生きたまま切り落とす“遊び”が続く。綺麗な瞳の娘は、眼球をも引き摺りだされた。最終的に切り刻まれ肉片と化した少女は、袋に無造作に詰められて親元へと戻される。
 そうして、血が滴るその袋を嘆き哀しんで抱きとめた両親の多くは発狂するのだ。
 そんな親子を見るだけで、二度楽しめると王は嗤う。
 少女たちは自ら、七世の“玩具志願”をしていた。
 名乗り出た娘の両親は、莫大な金額を受け取ることが出来るからだ。自分の命と引き換えに、愛する両親や兄弟が無事に暮らせるならばと。だが、娘がいなくて何が幸せか。どう生きていけば良いのか分からない者が殆どであり、結局は無駄死にである。
 それでも少女達は家族の為に生贄として、自らの身体を差し出し続けている。
 少女といえども、王の目に留まらなければ意味がない。整った顔立ちの娘しか、志願しても招かれない。娘が産まれて幸か不幸か、嘆き悲しむ者達も多かった。
 それならば神都を抜けて他で暮らすほうがマシだと思っても、外の世界は過酷。作物は不作続きで、飲み水も汚い。汚染された土地で貧困に喘ぐしかなかった。
 また、一歩外に出れば生きる権利を奪われる。惑星全土には神都から偵察機が飛ばされており、気まぐれで人間を撃ち殺しているのである。
 神都に住まう者以外は、生きる事すら許されていなかった。早い話、同じ人間だと思われていないのだ。
 
「まぁ、そういう噂。偵察機は頻繁に飛んでいるけれど、神とやらを実際に見たことはないよ。本当かもしれないし、嘘かもしれない」

 しかし、火の無い所に煙は立たぬ。恐らくは現実の事であり、神都から運よく抜け出し生き永らえた者達が伝えてまわったのだろう。
 
「オレの集落は、以前はもっと小規模だった。長年を経て近隣の集落から人が集まり、今の大きさになったとか」

 住めない土地が増え、移住するより他なかったのだろう。逼迫しているのだ。

「理由はこの木さ。アサギも不思議に思っただろう? この大きな木、普通なら有り得ない。誰も育てていないのに、ここまで成長した。普通なら途中で腐り果てるのがオチだ。それだけじゃない、ホントの奇跡は、偵察機に真っ先に狙われそうだけど何故か素通りされ無事ってトコ。ここにいたら安全なんじゃないか、って救いを求めて集まってきたと思う」

 トランシスが木を叩いて、軽く笑う。

「そう、ですか。不思議な木ですね」

 あまりのことにアサギはそれしか言えなかった。
 そんな世界は、知らない。
 地球にも数多の独裁者が現れたが、長く持たず消えていった。戦争や実験により甚大な被害を受けた場所はあっても、起死回生の策を講じるものが必ず現れて成し遂げる。これからも、恐らくは同じだろう。
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 苦難が立ち塞がろうともどうにかなってきたし、これからもそうなるだろう。生を受け生きるものたちは、必ず防衛本能を持っている。
 かける言葉が見つからず口籠るアサギだが、トランシスはあっけらかんとしていた。重苦しい現実だが、それが普通であり受け入れるしかない。こんな世界でも生きていかねばならないので、悲観していないようだ。
 アサギには、それが心苦しかった。どうして世界は平等でないのだろうと、不思議に思う。

「あ、そうだ。マスカット、って呼んでるけどあれ食べようか。この木の脇に、小さい木があってそこになるんだ。あぁ、アサギの髪に似た色の果物だよ」
「え?」

 言うなり、トランシスはアサギの手を引いて身軽に下り始めた。

「マスカット……?」

 戸惑い、慌てふためくアサギにはお構いなしに、トランシスは簡単に地面に舞い戻る。

「おいで。大丈夫、抱きとめてあげるから」

 そうして、まごついているアサギを見上げて愉快そうに笑い、両手を広げた。

「は、はい!」

 正直、アサギは宙に浮く事が出来る。ここから飛び降りたとしても問題なく着地出来るが、言葉に甘えることにした。
 はにかみながら頷くと、そっと木から手を離し身体を投げ出す。広げられた胸の中に、飛び込んだ。

「っと!」
「きゃあ!」

 衝撃が二人を襲うが、見事に抱きとめたトランシスは無邪気に笑い、得意げに鼻を鳴らした。クルリと回転すると、風が頬を撫でる。
 その眩しい笑顔にアサギは見惚れた。

 ……なんて素敵な笑顔!

 心悸の高まりに、顔を歪める。これを恋に堕ちるというのだろうか、逃れようのない魔力に囚われた気がした。恥ずかしさとは違う、甘くて蕩けそうな感情に顔が赤く染まっていく。口づけを幾度も交わした“恋人”であるのに、今更恋愛感情を認識したように思えた。

「な、大丈夫だろ?」
「は、はい。ありがとうございます……」

 暫し見つめ合っていたが、徐々に身体が下ろされ、地面につま先がつく。腰に手がまわり引き寄せられると、アサギにも口づけのタイミングが解ってきた。トランシスの熱を含んだ視線に、自然と胸が疼く。
 瞳を細めて近づいてくる端正な顔立ちを名残惜しく思いつつも、ゆっくりと瞳を閉じる。唇に、温かく柔らかいものが触れた。強く抱き締められ、背と髪を撫でられる。

「アサギは、良い香りがする。不思議な、落ち着く香りだ」
「そう、ですか?」

 鼻をすんすんと動かすトランシスに、アサギは顔を紅潮させた。トリートメントだろう、と思った。母の好みで薔薇のヘアケアを使っており、それが香っているのだと。

「ずっと、こうしていたい」

 抱き上げられ、そのまま歩き出したトランシスの首に遠慮がちに腕を回す。嫌な感じは微塵もなく、アサギはそのまま大人しくしていた。このままでは弾けそうな心臓の音が聞こえてしまいそうだと思いながらも、離れたくないと思った。
 この男の熱を感じる度に、意識が飛びそうになる。
 ミノルが迫ってきたときは恐ろしさしか感じなかったが、キスとはここまで心地の良いものなのかと驚いた。瞳を潤ませ、唇に指を添える。

「ほら、あれ。もう残り僅かだけど」

 促されて見た先に、マスカットの木がある。小ぶりのその実は、地球の店先に並ぶ物より随分と貧相だ。
 トランシスは近寄って二粒をもぎ取ると、一つをアサギに手渡した。

「薄皮をむいて食べるんだ。知ってる?」
「はい、わかります」

 二人は、丁寧に皮を剥いてから同時に口に含んだ。舌で潰すと、口内に甘い味が広がる。思わず笑みをこぼした二人は、嬉しそうに味わった。

「今まで食べた中で一番美味い! 濃厚な甘みだな、驚いた」

 上機嫌で、トランシスはもう一粒もぎ取る。指で摘み、目の前のアサギに近づけると、顔をくしゃ、とさせて屈託ない笑顔を見せた。
 途端、アサギの胸が跳ね上がる。
 とくん、とくん、とくん、と早鐘のように鳴り響く胸の鼓動に目眩がして足がふらつく。

「やっぱりアサギの髪に似て、綺麗な黄緑色。少し髪の方が濃いかな?」
「そ、そんな綺麗な色でしょうか……」
「あぁ、アサギの髪のほうがもっと綺麗だよ。オレは、好きだな」

 するりとトランシスが口にした言葉に翻弄され、胸が壊れそうなほど苦しい。

「好き。好き、好き……」

 単語を繰り返す。
 マスカットを食べているトランシスを見つめながら、アサギは抱き締めたい衝動に駆られた。
 この、突然変色した髪を「綺麗」だと、そして「好きだ」と言ってくれた。
 どうしようもなく嬉しい。

「私を今。好き、だと」

 凝縮された感情が溢れ、涙となって瞳から零れ落ちる。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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