仲間達の事情
文字数 12,330文字
マダーニとてそれは思っていたことだ、しかし考えても解らなかった、解るわけがなかった。苦笑し、小さく溜息を吐く。救いを求め妹のミシアを見つめたが、俯いたまま微動だしない。話を聞いているのだろうが、反応はない。
アサギが再度口を開く。
「惑星ハンニバルからはムーンさんと、サマルトさん。惑星チュザーレからはアーサーさん。惑星クレオからはマダーニさん達。……となると、惑星ネロは勇者がもう必要ないから来なかった、とかでしょうか。それならそれで……」
明るい声で意見を告げたアサギに、マダーニは口を挟む、甘い期待や考えは潰しておかねばならない。
「それは違うわね、ネロの魔王もクレオに来ているらしいから。惑星ネロは、すでに魔王の手中に入ってしまって人間達の身動きが取れない、と考える方が自然かも。最悪、勇者に縋るだけの余裕を持つ人間が誰一人として存在しないのかもね。もしくは、すでに全滅しているのか。
で、石だけど『世界が混沌の危機に陥った時、伝説の勇者が石に選ばれ世界に光をもたらす』っていう言い伝えがあるのね。それからも解る様にネロに危機が迫っていたのは確かだし、石は多分何処にあろうと、勇者を発見したら反応して飛んでくるのだと思うわ。憶測だけど。
それから、何故勇者が中途半端に六人なのかっていうのは……私にも解らないけれど。クレオの勇者は代々男女一人っていう言い伝えなら、何かの本で読んだことがあるかな。対であると聞いているから。同じ様に推測して、ネロもそう伝わっているのかも」
マダーニは皆の表情を伺うが、誰も口を開かなかった。全て、憶測に過ぎない。
アサギは腑に落ちず、トモハルに視線を送った。
同じ様に眉を顰めていたトモハルは、口を開きかけたが閉じる。思いを言葉にすることを、躊躇った。
口を閉ざした二人の勇者を見て、マダーニは肩を竦める。
「実際、私はクレオ以外の星の住人に会うのは初めてだし」
「……私は以前ムーン殿、サマルト殿にもお会いしておりますね。ハンニバルとチュザーレは古来より交流があったと聞いております。現在は薄れておりました、魔王が活発に動いていてはどうにも。ハンニバルの魔王ハイが突如現れたのは、約十年ほど前でしたかねぇ……。
それで渦中のネロですが。魔王が現れるより以前に、勇者が存在していた地ですね。ですがその勇者は魔王リュウによって破れ、彼の愛する姫君も亡くなられたと伝わっております。主要国は“カエサル”。今から何百年も前の話です、その国が存在しているかどうかすら、危うい。以上の点を踏まえまして、私の勝手な憶測でしかありませんが……今回二人現れた勇者と言うのは、過去において魔王に敗れた勇者と、その姫君の生まれ変わりなのかもしれません。姫君は常に勇者に寄り添い、共に励まし合っていたと聞いています」
アーサーが口を開いた、特に感情を込めずに淡々と語りだしたが、内容はあまりにも衝撃的である。
勇者全員が声を揃えて素っ頓狂に叫んだが、それもそのはずだ。
「え、今なんて言った!? 勇者が亡くなったって!? 魔王に負けて死んだってこと!?」
ミノルが立ち上がりアーサーに掴みかかろうとする、それをトモハルが制した。全員動揺したが、一番大きく動揺したのは他でもないミノルだろう、惑星ネロの勇者は現在ミノルとユキなのだから。
「勇者が死ぬなんて聞いたことないっ! 何とかなるんじゃないのか!?」
「勇者は人間です、人間は何れ死にます。死なない保障は何処にもありません」
「はー!? 俺は帰るっ! 今すぐ地球に帰るっ! 冗談じゃないっ」
青褪めた後に憤慨して真っ赤になったミノルは、ダイキとケンイチに宥められつつも、必死にアーサーに掴みかかっていた。
手に取るように解るミノルの行動に、トモハルは溜息を吐く。後悔の波が押し寄せると、落ち込む代わりに他人に当り散らす……そういう男だと知っていた。
しかし、ミノルの感情が普通だろう。そんな話を聞かされて、どうして平常心を保っていられるだろうか。
「あの、確認しますね。ネロの魔王が“リュウ”で、ハンニバルの魔王が“ハイ・ラゥ・シュリップ”、チュザーレの魔王が“ミラボー”で、ええと……クレオの魔王は?」
喚き続けるミノルには聞こえないように、アサギが小声でマダーニに詰め寄って訊いた。トモハルとユキが、密かに聞き耳を立てる。
「魔王アレク。高貴なる魔族の長、風の噂によると美形の男らしいわよ。噂では、ね」
すんなりとアサギの問いに返答するマダーニの真紅で彩られた綺麗な口元は、勝気に微笑んでいた。教えたわけでもないのに、会話から魔王の名を記憶し完璧に把握しているアサギ。積極的に話に加わるのは、最初に選ばれた責任感からなのか……それとも。
ユキとトモハルと三人で会話を始めたアサギを、マダーニは探るように見つめ続ける。この三人は頭の回転が良さそうだった、そして非常に前向きだ。
「俺とアサギの敵がアレク、って男なわけだ」
「そうだね。どんな人だろうね」
「あ、アサギちゃん。私の敵はリュウって人だよね。怖いかなぁ」
敵について語り始めた三人と、暴れるミノルを必死で押さえつけているダイキ、ケンイチ。
ミノルは恨めしそうに唇を噛み締めながら、元凶になったアサギを睨みつけている。
「もっと他に情報ないの? 仲間の事も知りたいしさ」
トモハルがマダーニにそう告げる、どうやら勇者間では考えるのが限界に達したらしい。確かに、この世界について不十分な情報しか与えてない。
照れくさそうにマダーニは、トモハルの頭を撫でた。
「じゃあ、折角なので私達から話しましょうか。私はマダーニ、そしてミシアが妹ね。二人きりの姉妹なの」
しなやかに流れる紫の髪を軽くかき上げながら、マダーニはそっと瞳を閉じる。「辛気臭い話でごめんね」と付け加えた。
マダーニとミシア、二人は惑星クレオに存在する二番目に大きな都市・ドゥルモで生活していた。確か産まれは違うのだが、物心ついていなかった為記憶がない。父はおらず、母と姉妹の三人暮らしで、父の話は母から聞いた記憶もなく、生きているのか死んでいるのか、詳細は不明のままだった。
母は娘達から見ても自慢の美人で明るく、逞しい人だった。少々乱暴な物言いで、近所の同じ年頃の娘を持つお堅い母親達は、そんな自由奔放な母の事を悪く言っていたようだが、それが姉妹には滑稽に思えた。きっと羨ましいのだ、自分達には出来ないことだから、皮肉を言っているだけだろう……子供ながらに周囲を冷めた瞳で一瞥した。人間は、自分自身の敗けを素直に認められない生き物だということを、すでにその頃から感じ取っていた。
そんな母の職業は何か、というと返答に困る。踊り子なのか歌い手なのか、はたまた傭兵なのか占い師なのか、多彩な能力を持つ不思議な人だった。数多の顔を持つ母親を見て育った姉妹は、揃って羨望した。故に、自分達も将来はそうなるべく、母親の真似をすることにしたのである。
マダーニは踊りながら歌を、ミシアは占いを憶え始める。同時に武器を手にし細い手足で懸命に技術を学んだ。やはり力では劣ると悟ると、魔法も習い始めた。せめて二人で一つ、二人揃えば母と同等の事が出来るようになろうと、それぞれ違う事を憶え始めた。姉妹でありながら、まるで双子のように顔の作りが似た二人は自分達の役柄を分担し始める。
姉のマダーニが派手で豪快、大雑把な盛り上げ役を。
妹のミシアが清楚で神秘的、御淑やかな癒し役を。
幸い最高の先生は母親なのだから、厳しくも全力で教えてくれたので、必死で二人ともついていった。泣くことも多かったが、歯を食いしばった。技術を習いたいと言った姉妹二人に驚いていた母だったが、物覚えの良い娘たちに感心して、能力の飛躍に期待し厳しいことを言いつつも嬉しそうだった。それが解ったので、姉妹も頑張れた。
今覚えば、その時何故母が“傭兵”までもやっていたのか、疑問に思うべきだった。
いや、傭兵だけではない。
彼女の、本当の肩書は。
家計が苦しいわけではない、魔法も剣も使いこなすことができたのも、全ては“ある目的の為”であったのだが、そんなこと姉妹は知らなかった。
母の七光りで舞台に立ったマダーニも、天性の度胸、持ち前の愛嬌、そして母譲りの豊満な身体つきに、男性客を虜にする。母と違って野生的で粗野な部分もあるが、それがまた彼女の魅力となる。同じ踊り手は、ニ人といらないからだ。
ミシアのほうも、そこそこ仕事は上場で、持ち前の器用さから、服の仕立て屋を開き家計をやりくりし、家族三人で満足な生活をしていたのである。
そんな生活が崩れたのが、約一年前のこと。
新年を向かえ、世間が明るい笑顔に包まれ酒を浴びていた。世間が娯楽を求める時期には、二人は多忙となる。連日の疲れから、ミシアがマダーニよりも先に心身ともに疲れ果てて、自宅へ帰宅した。
月が雲隠れをし、露天の店では明かりが足りずに満足に占いができなくなった為、多少早目に切り上げたその日。
疲れた身体に鞭打って、ミシアは三人で購入した高級茶を煎れた。一人で香りを楽しみ、温かい茶を啜る。
「マダーニ姉さんは朝方帰宅だろうけど……母さんは今日何をやってるのかしら。そういえば予定を聞いてなかった」
姉妹が立派に成長したので、母は最近家事に精を出していたはずだが、今日に限って家にいない。
古くからの友人と呑みに行っているのだろうか? と首を傾げる。近所の子供に魔法の指導もしていたけれど、こんな夜分遅くまでそんなことはしないだろう。何よりこんな時期に好き好んで習いたい子供もいない。皆家族団らんで、暖炉の前にいるはずだ。
急に焦りを感じ席を立つと、母親の部屋へと急ぐ。
ドアが、微かに開いたままだった。
見た瞬間、身体中を言い知れぬ不安が這い上ってきた。神経が、凝結する。
几帳面な母は、決してドアを開いて出掛けることはない。ので、もしかして帰宅していたのだろうか、と引き攣った笑みを浮かべて前向きに考えた。しかし、帰宅していたとしても、部屋の中にいるのならドアが閉まっているはずだ。
部屋の中から微かに光が漏れている、乾いた唇を舌で湿らせた。
「誰? 誰かいるの? 母さん?」
緊張し、震える足でそちらへ近づくと、右手で壁に立てかけてあった箒を手にし、勢い良くドアを開く。両の手で箒を硬く握り締めて振りかぶるが、中には何もない、誰もいない。
ただ、消えかけの蝋燭が、不気味に揺らめいている。
大きく肩で息をしたのも束の間、机の上の光る球体……水晶球に釘付けになった。
眩暈がする、足が竦む、なぜならば母は絶対に水晶球を置いて出掛けたりはしないからだ。急速に手足が冷え、顔が青褪めるのがわかった。と、別の物が視界に入る。
水晶の隣にタロットカードがある、きちんと重ねられていたそれを見つめ、唖然としその場に座り込んだ。
間違いなく、異常な光景だった。震える足で立ち上がると何か手がかりを掴むべく、部屋を捜索する。胸に渦巻く小さな黒い影が、焦りとともに広がっていった。逸る気持ちで机の引き出しを盛大に引き抜き、引っ掻き回し、息を切らせながら次はクローゼットを開いた。
「ない!」
鋭く叫び、その場に立ち尽くす。母の戦闘服が、一式丸々存在しない。防具はもちろんの事、紫水晶が先端に施された杖がない。その杖は、母の魔力を増幅させるその辺りではお目にかかれないかなり稀な杖だった。
誰かに仕事を依頼され、この時期に傭兵稼業にでも出たのか? いや、そんな話は聞いてないし、何よりあの机の上の水晶とタロットカードは何だ。
ミシアは水晶とタロットを抱き締めて、姉を捜しに街へと飛び出した。何処にいるか分からなかった、それでも行きそうな酒場を渡り歩いて姉の姿を求める。
緊急事態だ、帰宅を待ってなどいられない。
「マダーニ姉さんっ」
「ミシア!? どしたの、その格好」
部屋着のまま息を切らせ走ってきた妹の姿を視界に入れるなり、マダーニは手にしていたワイングラスを乱暴にテーブルに置くと、共に飲んでいた仲間に会釈を軽くし、輪を抜ける。
後ろから悲痛な仲間達の声が聞こえてきたが、それどころではなさそうだ。
生真面目な妹の、こんな姿を見ては一大事にしか取れない。姉妹揃って無言で自宅へ帰り、母の部屋へと急ぐ。
「母さんの傭兵時の服がないの。それから、机の上に水晶とタロットが置き去りに」
怯えて微かに涙交じりの声の妹に代わり、マダーニが家の中を捜索した。誰か来た形跡はないのか、と。
母の部屋からは、何も見つからなかった。
「落ち着いて考えよう。ここ最近何か母さんに変わったことあった?」
「私、占ってみようと思うの母さんの行方。落ち着いてきたし、なんとか占えそうだから」
「よし、無理ない程度にね。私は思い出してみるからさ」
ミシアはマダーニに茶を煎れ、そのまま自室に消えた。項垂れつつマダーニは茶を啜る、瞳を閉じて天井へと顔を向けた。
「朝、母さんに『いってらっしゃい』と声をかけられた。そう、身体を壊さないようにね、って言われた。昨日、近所の人に魔法を教えてた。一昨日、一昨日……そういえば、手紙が来てた……?」
椅子を倒して勢い良く母の部屋へと戻り、隈なく手紙を探す。
が、案の定何の収穫もないまま再び部屋を後にすると、残りの茶を啜った。冷えてもこの茶は上手いが、一人では味も落ちる。心を落ち着かせようとした、見落としているものがあるかもしれないと思ったのだ。焦れば焦るほど、思考の糸は絡まる。
舌打ちし、温かい茶を煎れようと思い立ち上がると物音がする。そちらに視線を移すと神妙な顔つきのミシアが立っている。
「姉さん、出たわ。……水晶から、母さんが知らない男の人と会話してる姿が見えたの。タロットからは“過去の過ち、愚かな行動”なんて意味が出てるんだけど……」
「その男の顔、憶えてな。絶対後で役に立つ」
「うん。ただ、フードを深く被っていて見えないのよ、髪の色は鮮やかな桃色だった。若いわ、そして精悍な身体つきよ」
二人は向かい合って椅子に座り、無言で項垂れた。唇を噛み締め、その場で浅い眠りにつく。母の無事だけを祈った、しかしどうにも気分が優れない。もう、母はこの世にいない気がしていた。しかしそれは口に出してはならないと、二人共必死に堪えた。
朝方、名前を呼ぶ声が聞こえたので、二人はぼんやりと起き上がる。騒がしくドアを叩く音に慌てて立ち上がると、勢い良くドアを開く。
「あぁ、よかった留守かと」
黒い服を着た数人の男達が立っていた、眉を顰める姉妹に一礼をして、男達は何かを運んできた。
息を呑み、それを見つめる。
二人は、泣き崩れる事もなくそれを一心不乱に見つめる。
母が戻ってきたのだ、死体となって。
二人の予感は当たってしまった、外れて欲しいと願ったが、虚しく希望は消え失せた。
旅の商人が道中で見つけ、顔の広い母を知っていた為にこうして届けられたらしい。
「……何処で、母を?」
「シポラへ続いている道端に、うつ伏せで倒れていたそうですが」
二人の脳は、急に冴えた。悲しみ嘆く暇などない、母の仇を捜さねばならない。
質問しながら、マダーニはミシアに例の男はこの中にいるかどうかを探らせる。
強張った顔つきで一人ずつ確認していくが、ミシアは小さく首を横に振った。
マダーニは緊張の糸を解くことなく、男達に礼を述べる。この中に母の死に繋がる男は……いないような気がした。それでも、何か手がかりを掴みたくて必死に抗っていた。
母の死体には、致命傷がなかった。しかし、自然死な筈はないと、二人は覚悟を決めた。
火葬の儀が伝わっているこの地では、遺体を街の一角へと運び香草、木の実、遺品を亡骸の周りに敷き詰めて一気に焼く。その日は、他にも火葬した形跡があった。何本か、白い煙が天へと向かっている。
燃え上がる炎を見つめながら二人の姉妹は、手を握り締める。一瞬、妹の瞳が大きく見開かれたのをマダーニは見逃さなかった。天へと上る火と煙、姉妹はその美しい声で別れの唄を紡ぐ。
その鎮魂歌は、物悲しく周囲に響いた。
姉妹は静まり返った自宅へと戻ったが、茶を煎れる気にもならず、ぼんやりと虚無の瞳で天井を見つめ床に座り込む。椅子に座る気力すらなく、憂鬱で絶望的な気分が、胃の底から頭部まで這い上がった。
やがてミシアが先に動き、自室へ引きこもった。
声をかけることもできず、その動作を目で追うことしか出来なかったマダーニはただ呆けていた。何かしなければ始まらないというのに、気力が沸かない。「自分も部屋へと戻ろうか」そう情けなく呟いてマダーニがようやく立ち上がる。軋む身体に鞭を打ち、自分もせめて休息せねばと思い込ませた。頭が回らないのは疲労の為だろう、すべきことがまとまらず、思考が真っ白になってしまう。ふらつく足取りで部屋へと向かうが、微かな音と共にミシアが部屋から出てきたので足を止めた。緊張した面持ちで、徐に紙を差し出してくる。
怪訝にそれを受け取ると、目を落とした。
『シャルマ・ドライ・レイジ殿
お久しぶりで御座います、元気だと便りで伺っております。
さて、今回はお願いがありまして、こうして連絡を取らさせていただきました。そろそろ返していただきたいのです、もともとアレは私達の主人のものでして、貴女の所有物ではありません。何かと言いたい事もあるでしょうから、二日後村外れの墓地にてお待ちしております』
「……ミシア、何これ?」
紙が小刻みに揺れている、手の震えが止まらないが平常心を装いながら、読み終えたマダーニは乾いた声を出した。
シャルマ、とは母の名だ。
「母さんからさっきこれを受け取ったの、言霊として。それを文面にしてみたのだけど」
「この間来てた手紙の内容、かな」
「あともう一つ……勇者様を捜して共にいなさい、って」
ミシアが困惑気味に呟く、深呼吸して自らが書いた紙を見つめた。マダーニは、瞳を白黒させてすっとんきょうな声を上げる。
「え、えぇ!? ……大掛かりな話しになってきたね。勇者? 伝説の? なんでまた?」
「母さんがそう言ったの、だから、私は行くわよ」
「いや、私も行くけどさ……勇者様って、何処にいるのさ」
そんな事、誰も知らない。そもそも、存在するのかすら知らない。そんな噂など聞いた事もない。
狼狽する姉を尻目に、引き攣った表情でミシアは慌しく旅の準備を始めた。ここに滞在していては何も変わらない、何かしなければ先へ進めない、
「勇者は石に選ばれし者……まず最初に“神聖城クリストヴァル”へ訪れると言われてるの。あそこには勇者の剣も祀られている筈よ、だからそこへ行きましょう」
「なるほど、それならば旅立った後でも追いかけることが出来るね! よしっ、早速行動しようか!」
二人は溜め込んだ金を全額懐に仕舞い込み、家の鍵を閉めて旅立ちの用意をする。軽装だが慣れた衣装と武器を手に、街から出る馬車乗り場へと急いだ。
母親の簡易な墓に、祈りを捧げてから。
馬車の待合室で、控え目にミシアがマダーニの服を引っ張った。何か言いたいことがあるらしい、言葉を飲み込むべきか、吐き出すべきか困惑気味な様子だ。気づいたマダーニは、優しくミシアの髪を撫でる。
「言ってごらん、二人で共有しようよ。今度の秘密は何?」
「母さんは、父さんを助けに行ったらしいの。生きてるみたい」
「……じゃ、父さん捜さないとね。ほら、辛気臭い顔しない、前を向いていきまっしょいっ」
長い旅路を得て、ようやく姉妹は神聖城クリストヴァルへと到着した。そこで初めて先に同じように勇者と出会うべく、立ち寄っていたライアン、アリナ、クラフト、ブジャタの四人に出会ったのだという。皆、それしか勇者に会う方法を知らなかったのだ。
「で、現在に至る、と。ごめんね、暗くってさー。あ、気は遣わなくていいからね、遣われると困るし」
どう声をかけてよいのか分からずに沈黙したままの一同に、マダーニがあはは、と大声で笑う。
「私達は。父さんの居所と、母さんの死の真相が知りたいです。それから……手紙に書かれていた“返すもの”ですが、全く心当たりがなくて」
「まぁ、あれだよね。勇者と共にってことは、なんだ、うちらの追っているものは魔王の手先である可能性もあるよね」
深い溜息を吐くミシア、爪を噛むマダーニ。
マダーニは視線をアリナに移した。
不思議そうに首を傾げてにこやかに手を振るアリナは、睨みを利かせたマダーニの意図にようやく気づいた。隣に座っていたクラフトを小突き、「代わりに説明しろ」と囁く。
クラフトは項垂れながら、軽くお辞儀をした。
「えー……あまり人と話すことが得意ではありませんが、ご了承を。我々は」
話し始めてから、急にアリナがクラフトを勢い良く引っ張る。ごはっ、と小さく叫んでクラフトは後ろに転がった。思い切り転倒したクラフトを尻目に、アリナがあっけらかんと笑い出す。
「やっぱ、ボクが話すー。えっと、ボクがアリナね。で、これがクラフト、ボクの幼馴染。で、ブジャタが保護者。よろしく。他、話すこと何もなしっ」
自身の事を明らかにしたくないのだろうか、あまりにも簡単すぎる自己紹介だった。「え、それだけ?」と、トモハルが呟く。
皆も不服そうだ、特にムーンは侮蔑の視線を向けている。
漂う不穏な空気に、流石に罰の悪そうな顔をしたアリナは、頭を掻きながら再度口を開いた。
「あー、ボクが戦闘家で、クラフトが回復呪文を得意とする男で、ブジャタが攻撃補助呪文が得意なじーちゃん。この中で一番強いのはボクだと思うよ、よろしく」
「で、アリナさんは何故勇者を捜してたわけ?」
トモハルの突っ込みに、アリナがたじろぐ。
大雑把な男言葉だが、声は女性の声のアリナ。普通に聴くだけなら耳の心地よい高音の美しい声色なのだが、勿体無い。髪とて荒れているが、手入れすれば艶やかな色合いになりそうである。衣服も男物であり、非常に愛らしい顔立ちをしているのに勿体無い。
「……そう真っ向から聞かれると困るんだー。暇潰しっていうか、退屈しのぎっていうか、快楽への追求をしていたらさ、こうなっちゃったんだよね」
「なんですか、その言い草はっ」
苛立ちながら聞いていたムーンが、ついにアリナの胸座を掴みかかる勢いで馬車の中で立ち上がる。堪忍袋の緒が切れたようだ。
それもそうだろう、ムーンは故郷を滅ぼされ、魔王を倒すべく勇者を捜していたのだから。安易なただの気まぐれで共にしているアリナに、嫌悪感を覚えても仕方がない。それに態度が気に入らなかった、仮にもこれから生死を共にするかもしれない仲間であるというのに、不真面目極まりないからだ。
これでは、背を任せることなど出来ない。
「あー、ごめんごめん。勘に触ったのなら謝るよ」
長く柔らかな亜麻色の髪を無造作に掻きあげ、情熱的な真紅の瞳で、申し訳なさそうにアリナはムーンに謝罪した。
後方では、クラフトとブジャタが平謝りをしている。
「じゃ、ボクの好きなものでも。可愛い女の子と、それからボクと同等に戦ってくれる人かな。女の子はか弱いから相手にならないし、男も最近はひ弱な奴しかいないからねぇ」
言うなりアサギに流し目を送り、アリナは嬉しそうに手を振った。
憤慨しながら「こんないい加減な人と旅をしなきゃいけないなんてっ」と小声で身体を震わせるムーンに、サマルトが宥めに入る。淑やかそうなムーンだが、感情の起伏は激しいようだ。
皆がそう思った。
「ライアンは、軍国ジョリロシャの宮廷騎士団第二部隊隊長“だった”らしいわ」
馬車を操っているライアンに代わり、マダーニが紹介を始める。
「その地位を捨てて、勇者を捜してここへ来たみたいね」
マダーニの説明を聞き終え、ライアンは大きく頷く。
しかし、何故そのような行動に出たのかは、マダーニも知らない。「まぁ、話したところでどうにもならないしな」とライアンが漏らしたのを、サマルトが聞き取った。
彼にも何か複雑な事情があるようだったので、それ以上詮索しなかった。
数分、沈黙。
一通り惑星クレオの紹介が終わったので、アーサーが軽く周りを見渡しながら右手を上げる。
「では、次は私が。まずは惑星チュザーレの現状をお伝えしましょう。見た限り、そして聞いた限り……クレオは安全で羨ましく思いますね、本当に魔王の侵略を受けているのかすら疑問です」
口調に微かな怒気が含まれていたのを、大勢が感じ取った。がアーサーの立場を尊重し、言葉を飲み込む。勇者ではアサギとユキ、トモハルが意味は分からずとも不穏な空気を感じ取る。
「チュザーレで猛威を振るう魔王の名はミラボー。闇の奥底欲望渦巻く破壊と混沌の邪悪なモノ、大の男でもその姿に恐怖に怯える醜い化け物……そんなモノに支配されつつあります、チュザーレは、ね」
アーサーはもともと、王宮に仕えてきた家系の産まれなのだが、それは魔導ではなく剣技であった。父親、兄、共に騎士である。が、アーサーは自分の進むべき路は騎士ではなく魔導であると幼い頃から悟っており、父親の反対を受けながらも死に物狂いで勤勉に励み、異例の若さで“賢者”の称号を得た。その称号を得たことで、猛反対していた父親からも騎士の道を外れたことを許されたのである。
騎士道を選択すると何かと兄と比較され、面倒でもあった。それならば違う道で共に褒め称えられたほうが気分が良い……アーサーはそう判断したのだ。自尊心が高く、不要な争いで自分の精神が乱れるならばと最善の選択をした。
賢者の称号は魔導学校を定められた成績で卒業し、卒業後の社会への貢献及び指示で魔導協会が認めた者に与えられる。アーサーの場合、学校が始まって以来の優秀な成績であったこと、そして卒論の課題として禁呪の解読を提出したが、その功績が認められた為に得ることが出来た。
随分と稀なことだが、現在アーサーと同じ歳で賢者の称号を得た少女がいる。異例のもう一人、それは、幼馴染のナスカである。彼女の場合は両親が共に位の高い魔導師であったので、期待も高く、そうなる道が最初から決まっていたように思えた。
しかし、どれだけ有能な人材が生まれてこようとも、ミラボー率いる魔王軍の前には歯が立たない。根本的に最初から魔力の類が違うのだと、皆噂した。何処から来たのか分からない魔王だが、それでも人間達は懸命に戦い続けた。
やがてミラボーが人間たちの崇拝している、精霊神エアリーを祀っている神殿プロイセンを攻め落とそうとしていることが判明し、なんとしても死守すべきだと皆が立ち上がる。精神的に人間達を闇の底へと葬り去るつもりなのだろうか、人間の崇拝している神が如何に無力か思い知らせるために、魔王軍はそこを標的としたのだろう。
実際、精神的打撃を受ける人間が世界に溢れかえることも目に見えていた。
しかし、精霊神に祈りを捧げてきたとしても、全く意味を成してはいなかった。奇跡など起こらず、勢力を拡大する魔王軍に怯え、ただ祈るだけの心の拠り所でしかない。神としての威厳が失われつつある世界であれども、阻止するべく精鋭部隊を派遣することに各国は躍起になった。これ以上、何処かが崩れれば士気も下がるだろう。
王宮からも派遣されるということは、当然その中にアーサーの顔馴染みの者も数名いた。幼馴染のナスカを筆頭に、口喧嘩相手の武術家ココ、何処か哀愁漂う剣士リンに、滅ぼされた名も無き村の唯一の生き残りメアリ。異性の友人がアーサーに多かったのは、ナスカと共に行動していたからだった。
同姓からはその地位や性格ゆえに、敬遠されていたのだ。気がつけば、周囲は異性ばかりになっていた。それでも特に親友を所望していなかったアーサーには、その程度何でもない。眉を顰めて世間が好色だと噂しようが、アーサーは誰とも恋愛沙汰にはならなかった。顔は良いが性格に難があるので、恋愛には発展しないのである。
その王宮からの派遣をアーサーは断固として反対していたのだが、その願いは虚しく、仲間達は城を出て行った。
それから暫くして最初の伝令が戻ってきたかと思えば、『全滅』という内容である。静まり返った王宮の一室で、アーサーの声が無常に響いた。
「生存者はっ! せめて一人くらい」
「……分かりません、全滅、としか」
少数で編成された伝令部隊は、本体の部隊とは遠く離れて戦況を見守っていた。
幾日も続く爆音、立ち上る煙り、焼き払われる森、やがて賢者ナスカが所持していた光の玉が、空中で破裂したのと同時に、伝令部隊は諦めて引き返してきたらしい。
光の玉は『逃げろ』の意味、窮地に立たされるまで使用しない筈の代物である。それが使われたという事は……言わずも。
故にアーサーは一人、勇者を捜すことを決意した。城の者はもはや諦めつつある、一人湧き上がる怒りを胸に、最終的に望みを“勇者”にかけた。
御伽噺の、勇者。
もっと早くに勇者ならば、駆けつけて欲しかった。何故、勇者は人間達が危機になったら現れないのか。何故、迎えに行かなければいけないのか。伝説は真実だと証明されたのだが、納得がいかない。
激越な口調のアーサーに、勇者達は気まずそうに俯いた。
※挿入のイラストは、1998年頃作成した同人誌用に戴いたものです。
アリナとマダーニ。
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