揃いし駒
文字数 3,860文字
「泡のように消えた? そんなことがあるのか?」
おもむろに頷くクレロに、トビィは信じられないと首を横に振る。世間を騒がせていた“火災や殺人”が、パタリと止まったと言われても、にわかに信じ難い。
それもそのはず、マビルは
「善き事だが、突然止まると不気味で仕方がない……」
神妙な顔つきを見ている限り、冗談ではないらしい。トビィは深い溜息を吐いた。
「つまり、アサギに似た犯人が行いを悔い改め止めたか、何らかの事情で動けないと?」
「もしくは、死んだか」
淡々と告げたクレロに、アサギはムッとして唇を尖らせる。他の言い回しはなかったのかと、不快に思った。
「一先ずこの件はこちらで調査中だ。よって、別件をあたって欲しい。魔界はどうなっている?」
「ナスタチュームの指導のもと、よくやっている。問題ない」
「となると、今は邪教の件に集中しよう」
どうにも気分は晴れない。解決しているようで、何も変わってないどころか悪化しているようにも思える。
アサギは眉を顰め、意を決して口を開いた。
「あの。……トビィお兄様と私が訪れた村の過去を視て戴きたいのです。魔物の子キュィが言っていた“犬の魔物”が気になりますし」
言い澱んだアサギは、一旦そこで言葉を遮った。妙な予感があるものの、上手く言葉に出来ずもどかしい。
切羽詰まった様子のアサギに深く頷いたクレロは、優先で調べると約束した。
「どうにも鬱屈する案件だな……」
ディアスの街に戻ってきたトビィとアサギは、今日も公園で唄を披露しているガーベラを見に行った。新しいもの好きな街の住人がこぞって広めたこともあり、連日多くの住人が訪れているらしい。足を運んだ人々は小銭を置いていくことが多く、信じられないほどの大金になっていた。
その金で安宿を予約していたが、今は立派な衣食住が提供されている。しかし、現状に甘んじてはならないと、ガーベラはそのうち世界を旅する予定だった。今は惑星クレオの文字が解らないので、手が空いている時にクラフトかマダーニに教えてもらっている。
不自由なく覚える頃には、資金も貯まっているだろう。
「何もなき宇宙の果て 何かを思い起こさせる
向こうで何かが叫ぶ 悲しみの旋律を奏でる
夢の中に落ちていく 光る湖畔闇に見つける
緑の杭に繋がれた私 現実を覆い隠したまま
薄闇押し寄せ 霧が心覆い 全て消えた
目覚めの時に 心晴れ渡り 現実を知る
そこに待つのは 生か死か」
人だかりが出来ていて近づけないので、元気に歌っているガーベラを遠目に見ただけで二人はその場を後にした。
「さぁて、どうするアサギ」
夕焼が、徐々に風によって蒼ずんでいる。
惑星クレオのディアス近辺は、気候も時間帯も地球とそう大差ない。直に夜の帳が降りるだろう。
「トビィお兄様、オフィ―リアに会いたいです。何処にいますか?」
「オフィに?」
オフィ―リアとはトビィの水竜だ。一体だけ人型になれないため、最近は留守番ばかりで嘆いている。
「まさか」
「はい、その
察して目を開いたトビィに、アサギは悪戯っぽく笑った。
ディアス付近の海岸で遊んでいたオフィ―リアは、二人の姿を見つけ嬉しそうに飛び上がる。そうして、自分も人型になれることを知ると大いに喜んだ。
「人間はいいぞ、オフィ―リア」
呼ばれて立ち会うことにした二体の竜が集う。満足しているデズデモーナが告げると、クレシダが反論するように俯く。
「人間は厄介、面倒、苦痛」
相反する二体の意見を聞きつつも、オフィ―リアの心は決まっている。トビィと離れることがないのであれば、人型など苦ではない。
「しかし、アサギ様。天界城に保管されている杖がなければ……」
遠慮がちに告げるデズデモーナに、アサギは会心の笑みを見せた。
「大丈夫です、この子がいるので! おいで、セントラヴァーズ!」
勢いよく叫んだアサギは、
「な、なるほどですね……」
自信に満ちたアサギの手には、天界城の宝物庫にあった変化の杖が握られている。正確には複製品で、記憶した形状を呼び起こしただけである。
「えっ、それで同等の効果を得られるのですか? 造形を模したところで……」
訝るクレシダが小声で告げるが、愚問だった。アサギの威勢のよい声と共に、胸を躍らせて待っていたオフィ―リアの姿が変化する。
「わぁ! これが人間の僕……!」
「なんとまぁ仰天ですね」
アサギと同じ背格好の少年に変貌したオフィ―リアは、歓声を上げて海から飛び出す。幼いためか、クレシダやデズデモーナと比較すると随分と小柄である。額から一角が突き出しており、水の精霊のようだ。非常に愛らしい顔立ちをしており、少女と間違えられそうで心配だとトビィは漠然と思った。
「ただね、オフィ―リア。これを絶対に所持してね」
「なんですか、これ」
アサギから手渡された筒状のものを不思議そうに眺め、上下に振る。オフィ―リアは、初めて見る物に興味津々だった。
「ここを押すと、水が出てくるの。皮膚が乾くと危ないかもだから、これで補って」
「うわぁ、気持ちがいい!」
水竜は水から上がれないと聞いていたので、万が一に備えアサギが用意したのは保湿力が高いミスト化粧水だ。ないよりはマシだろうと。
「使い切る前に教えてね、補充するから」
「はぁいっ。ありがとうございます! これで僕も主と一緒に出掛けられるねっ」
水色の髪を高い位置で一つに束ね、オフィ―リアはクルリとまわり飛び上がる。
「すごい、楽しい! 少し皮膚がピリピリするけど、まだ動けるよ! 大地って、こんななんだねぇっ」
「よかったです」
アサギとはしゃいでいるオフィ―リアを眺め、クレシダは眉間の皺を濃くした。
「……本当に奇妙な御方で」
得心のいかない顔つきで、じっと見つめている。
「アサギ様は優秀でいらっしゃるから」
好機の目を
クレシダだけが、アサギの驚異的な能力に懐疑の念を抱いている。
現神よりも神らしい、万能の人物。そのような存在は認められるのだろうか。
「ところでアサギ。
街を散策したいと駄々をこねたオフィ―リアのため、夕飯を外で食べることにした。物珍しさそうに魚料理を頬張っている小さな相棒を見つつ、トビィは引き攣った顔でそう告げる。
「あの男? トランシスでしょうか」
「そうだ」
どうしても名を呼びたくないトビィは、握っていたグラスを強く握り締め頷く。
「えっと、次は日曜日だから……。三日後になります」
「本人に伝えたが、アサギの隣に立つのであれば相応の能力がなければ足手纏いだ。実力を試したい、予定を空けてくれないか」
淡々と告げるトビィに、アサギは少しだけ戸惑ってから頷く。
「トビィお兄様が剣の稽古をしてくださるのですね? 伝えます」
「今は静穏、だが、有事の際に備えるのが道理。いざという時に役に立たないのでは困る」
「大丈夫です、私がなんとかします」
「自分よりも小さな女に護られるなど、自尊心が砕けるぞ。普通の男であれば」
トランシスが危機に直面する可能性は低いと思うが、トビィの言う事も一理ある。アサギはぎこちなく頷いた。
「血の雨が降る……」
水を飲みながら、クレシダは忍び寄る惨劇を想像し身震いした。
白いほどに冴えかえった太陽光の中、食材を抱えて戻ってきたガーベラの顔は充実した心で満たされ明るい。
館の料理人を募集予定だったということで、仕事を任されている。一日中唄っているわけではないので、掃除も自ら進んでかって出た。宿代として無賃で構わないと告げたが、相応の給料も払われるらしい。
こんなに満ち足りた生活でよいのかと、疑心してしまう。
この館は、勇者一行が住まう場所。そんな中に唄うことしか出来ない自分が紛れてよいのか狼狽えたが、仲間たちは親しみやすくすぐに打ち解けた。マダーニとアリナは、すでによき酒友達だ。
破れた衣服を直したり、薬草や食材を買い出しに行くことも嫌な顔一つせず手伝う。何事にも真面目で一生懸命な為、非常に重宝された。
「今日も楽しかった。神に感謝せねば」
惑星チュザーレを守護しているのは、精霊神エアリー。信仰など無きに等しかったが、心に余裕が生まれ、初めて祈りを捧げた。
辛い時に救ってくれないのであれば、神など不要。しかし、今ならば僥倖に感謝出来る。
会話をし、少しずつ皆の事を知っていく。そして自分を知ってもらい、打ち解ける。
以前よりも生き生きとしたガーベラは、数日後、新たな人物をアサギから紹介された。
「前話していた、ガーベラだよ。とっても歌が上手なの!」
にこやかに微笑み、とっておきの宝物を披露するようなアサギ。
また新しい人かと、疲れた顔を向けたトランシス。
幼いアサギに、自分と同じような年齢の恋人がいたことに驚きを隠せなかったガーベラ。
腕を組み、複雑な心境でそれを見ていたトビィ。
「……初めまして、トランシスです」
「初めまして、ガーベラと申します」
キィィィ、カトン。
ガーベラの金髪が、ふわりと揺れた。