因縁との遭遇
文字数 3,469文字
「今……何か聞こえなかったか?」
「いいえ、特に」
大股で天界城を歩くトビィと、続くクレシダ、デズデモーナ。すでに話が広まっているのか、人型の彼らを見て天界人たちが侮蔑の視線を投げかけてくる。鬱陶しいと思いつつも、先を急いだ。
火災の調査に出向き解った事は、やはりアサギに似た少女を見たという証言をする者が多いということ。一刻も早く居場所を突き止めたい。
「神とやらにもたまには役立って貰わないと。放火魔の居所を掴むのは、奴の仕事だろう。見通せる筈だ」
「ですが、私にはその力量がないように思えます」
クレシダがさらりと告げるので、隣でデズデモーナが吹き出した。まさか、普段無口なこの男がそこまで言うとは思わなかった。常に無表情で何を考えているのか解らない、風を司るドラゴン。金の髪を揺らして歩くその姿は、人型になったところで何も変わらない。
しかし、少しずつデズデモーナにも解ってきた。クレシダは他の竜より数倍面倒臭がりなだけで、一応感情は持ち合わせている事を。口を開くと辛辣だということも理解した。
けれども本人に他意はなく、思ったことをそのまま口にしてしまうだけだ。誰が傷つくとか、分が悪くなるとか、そういった空気を読むことをしないだけで。
しかし流石に神が治めるこの天界城で、非難することは拙い。一般的な事を教えねば、とデズデモーナは深い溜息を吐いた。
「魔族マビルの可能性が高い、となると、掴まえるのに少々手古摺りそうだ」
周囲にいた魔族はサイゴンを始め温和な者達だったが、オジロンは卑劣で下卑た輩だった。人間を標的とする魔族がいることも、トビィとて知っている。首を鳴らし、渋い顔を浮かべた。
「魔王アレクが死に、治める者がいない魔界だ。興味本位で人間界に来る魔族も増えるだろうし、早急にナスタチュームに会わねば」
「主が魔族の事で右往左往するのもおかしな話ですが、乗りかかった船ですか」
「……まぁそんなところだ」
歩いていると見知った顔を見つけたので、トビィは遠くから声をかけた。
怪訝にその者が振り返る、ソレルだ。
「クレロは何処に?」
「トビィ殿、貴殿の力量は認めておりますが、神や我らに対して不躾な態度と物言いは控えて頂けませんか?」
平素温和な彼女だが、人間にはこと厳しい。こうして天界城を人間が徘徊することが不愉快だと思っている彼女は、あからさまな態度をとる。
鼻で笑うと、トビィは腕を組んで立ち止まった。
「そうか、こっちも神の手先なんざまっぴらなんでね。面倒事に首を突っ込みたくはない、帰ろう」
踵を返すと、トビィは竜二体を連れ来た廊下を歩き出した。
クレシダらは、当然トビィの意向に従う。別に世界を救いたくて動いているわけではない。
唇を噛み、ソレルはそれを見ていた。傍にいた天界人が狼狽し声をかけようとするが、躊躇する。声をかけたら、彼女の自尊心が傷つくことなど解りきっている。
「ナスタチュームに会いに行こう、あちらと会話したほうが
「御意に」
ふと、トビィは足を止めた。アサギの声が聞こえたので、顔を綻ばせると姿を探す。
「アサギがいるのか!」
「ですね、私にも聞こえました。会いに行きますか? もしかしたら神と会話されているのかもしれませんね」
聞こえてきた声は、弾んでいる。
「であれば、一石二鳥」
「御意に」
「……ナスタチューム殿に会いに行くのでは」
クレシダの呟きを無視して、トビィとデズデモーナは声の聴こえた方向へ足を向けた。察するに、庭園のある場所だろう。
しかし、トビィは首を傾げる。アサギの声色は聞いたことがないもので、初々しさの中に女を感じる。
「……相手、誰だ?」
舌打ちし、会話の相手に苛立ちを覚えながらトビィは剣を引き抜いた。
突然の出来事に、後方で竜達が唖然とそれを見つめる。そして、遠慮がちに声をかけた。
「主? 何故、剣を抜いたのです?」
言われ、トビィは立ち止まった。
右手には愛用の剣が握られ、剣先が光り輝いている。一瞬呆けたが、軽く笑うと鞘に収めて振り返る。
「冗談だ」
「はは、そうでしたか」
笑ったデズデモーナの隣で、クレシダはそんなトビィを普段通りの視線で見つめる。冗談に思えなかった、確かに殺気を放っていた。まるで、敵と対峙した時のように俊敏に。
何事もなかったかのように歩き出したトビィに、何も言わず二体の竜も歩き出す。しかし、声が再び聞こえた瞬間に、また剣を抜き放った。
今度こそおかしいと思い、デズデモーナが止めに入る
「主! いかがされました、また剣が!」
後ろから掴まれたトビィは我に返った。耳の奥にデズデモーナの声が、ずしんと残っている。右手の内にある冷たい感触に、舌打ちした。
間違いなく、剣を握っている。無意識で抜いてしまったことに混乱し、額を押さえる。
「大丈夫ですか、疲れているのでは?」
身を案じたデズデモーナが困惑気味に声をかけると、乾いた笑い声を出し首を横に振る。
「いや、気にするな。……すまなかったな」
何故、剣を抜いたのか。
トビィは瞳を細め、自分の右手を見つめる。若干震えているそれは、何を意味するのか。
声が聞こえた瞬間に、抜かねばと思った。アサギの声ではなく、続いて聞こえた男の声に反応した。初めて聞く声なのに、知っている気がした。
全身の細胞が、反応したのだ。
急に身体中が冷え、熱を逃がさんと一斉に鳥肌が立つ。頬がピリリと引っ張られ、一瞬身震いする。荒い呼吸で天井を仰げば、瞬時に目の前が真っ白になった。
「来たか……ついに。いつかは、こうなると思っていた」
その呟きは、二体の竜には聞こえなかった。ただ、トビィは“その男との出遭い”を確信し、唇を噛み締める。心臓が跳ね上がり、強く剣を握り締め慎重に進む。
その足取りは、怒りを含んでいるように見えた。
会話が鮮明に聞こえ始めると、脳の内側からゴンゴンと鈍器で叩かれているように頭痛がする。親密そうな二人に、トビィは眉を顰める。アサギは誰とでもすぐに打ち解けるが、まるで、相手に恋をしているような甘さを含んだ声だ。
遠慮がちだが少し高くなっている、甘い熱を含んだアサギの声。
その声が誰に向けられるものなのか、トビィは
それこそ、宿命。廻り続ける運命の歯車は、容赦なく皆を巻き込む。
周囲が、真っ白な霧に包まれた。浮かび上がった二人は、トビィが見たくなかったものだ。
花が咲き乱れる庭園で、楽しそうに談笑している二人。自分と全く同じ、紫銀の髪色をした男がアサギの肩を抱いている。
アサギは頬を染め、うっとりとしていた。瞳は潤んで煌き、始終嬉しそうだった。それを一身に受けられるのは、トビィと同じ髪と瞳の男。
自分には向けられることがない“女”の顔に、トビィの胸がチリリと焦げる様に痛む。痛みは痒みを伴って広がる。どうしようもなくドス黒いものが、身体中を駆け巡った。
噴水のほとりに腰掛けて寄添っている二人は、恋人同士にしか見えない。
男を見た刹那、クレシダとデズデモーナは鳥肌が立つと同時にトビィを凝視した。全く同じ髪と瞳の色だったからだ、何より顔つきも似ている気がした。自慢の主のほうが精悍な顔つきをしているのだが、一瞬見間違えた。
似ているようで、似ていない。
トビィが、剣を硬く握り締める。
その身体から放たれる殺気に、竜二体は恐怖で後退した。本気だと悟った、それこそ、以前の魔王戦よりも憂慮すべき状態だ。
深い絶望と同時に、涸れる事のない怒りが湧き上がる。トビィが大股で近づくと、ようやく二人が気がついた。
「トビィお兄様! よかった、後で捜しに行こうと思って」
嬉しそうに手を振り立ち上がったアサギの横で、確実に
……やぁやぁ、久しぶり。
……最悪だ。
二人は、交わした視線でそんな会話をした。
相手が誰だか解らない。けれども心が、記憶が、魂が憶えている。親友であったり、従兄弟であったり、双子として産まれた二人。
その時、下界で活火山が一斉に噴火した。同時に突如として空を覆い隠した雨雲が雷鳴を轟かせ豪雨となり、流れ出していた溶岩に降り注ぐ。
二つの反する冷温は、牽制し合うように絡み合う。
「トランシスさん、こちらが話していたトビィお兄様です!」
「……あぁ、だろうね」