天国と地獄
文字数 2,985文字
頬を主に染めつつ、堂々と言い放ったある意味最強の“呪文”。その言葉は飛散し、鎖のように連結して心を拘束する。
『崇めるだなんて、とんでもない。えっと、私の彼氏です。トランシス、っていうんですけど、とてもかっこよくて頭が良くてステキな方なのですよ』『崇めるだなんて、とんでもない。えっと、私の彼氏です。トランシス、っていうんですけど、とてもかっこよくて頭が良くてステキな方なのですよ』『崇めるだなんて、とんでもない。えっと、私の彼氏です。トランシス、っていうんですけど、とてもかっこよくて頭が良くてステキな方なのですよ』『崇めるだなんて、とんでもない。えっと、私の彼氏です。トランシス、っていうんですけど、とてもかっこよくて頭が良くてステキな方なのですよ』
次から次へとミノルの前に文字が現れ、消えていく。
「わわわわわわたしのかれかれかれかれかれ、し」
「しっかりしろ、ミノル! ……駄目だ、本体がバグってる!」
衝撃のあまり幻覚と幻聴に襲われ上手く口が回らないミノルは、瞬きするのも忘れてアサギの台詞を復唱する。
「とてもかっこよくてあたまがよくてすてきなななななななななななななな」
「あああああ、一大事だ!」
ミノルを揺さぶるトモハルも、一見冷静に見えて狼狽している。真っ白になった親友を見ていると、哀れ過ぎて涙が零れ落ちそうになった。目を背けてしまいたい。とてもじゃないが「自業自得だろ」と軽口は叩けなかった。
「しっかりしろ、ミノル!」
気持ちは解る、ミノルはまだアサギが好きなのだ。好きな女が他の男の事を「好きだ」と言っていたら、高層ビルの最上階から突き落とされたほどの絶望感。白目をむき、今にもショック死しそうである。これ以上は、苦しめたくはない。
それ以上に、アサギが苦しんでいた過去があったとしても。
余程好きだったんだなぁと再確認しつつ、じゃあなんで手放したんだよ、と突っ込みを入れつつ、幾多の飛び出しそうな言葉を飲み込む。恐ろしくて口には出来ない。トモハルは焦燥感でいっぱいになった胸をどうすることも出来ず、ただ励まし続けた。
右往左往しているトモハルを尻目に、トビィは額を押さえて瞳を閉じる。
「……頭痛がする」
相当機嫌が悪く、そう漏らす。
ミノルと付き合っているはずのアサギが、何時の間にやら別の男と付き合っていた。その事実は、世間を騒がす火事やら殺人よりも皆の興味を惹くものだ。
「えッ、ミノルとどうして別れたの!?」
興味津々で覗き込んできたアリナに、アサギは首を縮こませる。
アリナに他意はない。しかし、その言葉がしっかりと耳にこびりついてしまったミノルは、蒼褪めてその場に崩れ落ちた。放心状態でも、悪い事だけは目にも耳にも飛び込んでくるらしい。
うすっぺらな紙のように頼りなくひしゃげた身体を、慌ててトモハルが支える。
「傷口に塩を塗らないでください! ミノルは死にそうなんです!」
懸命に親友を庇う。チアノーゼが出ているミノルは、深刻なダメージを負っていた。
「う、ウボァー」
吐血しそうな勢いで咳き込んだミノルは、トモハルの腕の中で息を引き取るかのように瞳を閉じて動かなくなった。
「し、しっかりしろー! ミノルー!」
悲鳴に近い声で名を呼び、トモハルは身体を揺らす。流石に不安になってケンイチとダイキもミノルの生死を確かめた。
一応息はある。
取り乱す勇者たちに、皆は心の中で合掌した。詳細は知らないものの、ミノルがヘマをやらかし、アサギに愛想をつかされて振られたのだろうと勝手に推測する。そして、触れてはならぬ話題だとも思った。
それもまた、憐れである。
ミノルと旅をし、性格を知っていたマダーニは破局を迎えていた二人を酷く嘆いた。妹と弟のような感情を抱いていたので、末永く続き幸せになって欲しかったが手遅れらしい。
早過ぎる別れに、開いた口が塞がらない。
図に乗ると大口を叩いてしまうミノルの事だ、反省したところで取り返しがつかなかったのだろう。と、憶測したマダーニは頭を抱える。
二人が別れたことを事前に知っていたら果敢に攻めていたであろう男らだが、すでに入る余地はない。間の悪さに項垂れる。顔すら知らない、その“幸運な”男に嫉妬した。
反して、女性陣は瞳を輝かせアサギに詰め寄る。
「それで、どんな人なの? 今度ここに連れてきなさいよ、一室余っているし!」
マダーニがアサギを抱き寄せ、その頭を撫でた。ミノルと復縁する気はないか、と訊ねるのは野暮だ。こうなったら、せめて幸せなアサギだけでも祝福せねばならない。
囲まれたアサギは恥ずかしそうに俯き、身体を捩った。
「えっと……とにかく、とってもかっこいい人で」
「あらあら、御馳走様。でもそれじゃどんな人なのか、さーっぱり解らないわ」
アサギが可愛らしいのは前からだが、ミノルの時とは違う反応にマダーニは俄然興味を示す。ミノルに恋していた時は静かに熱い視線を投げかけているだけだったが、今は積極的にも思えた。
「えっと、紫銀の髪に、濃紺色の瞳で」
アサギがはにかみながらそう呟くと、皆は一斉にトビィに注目した。
そ知らぬふりをして視線を逸らし、トビィは軽く項垂れる。
アサギの相手がトビィではないことは、皆知っている。しかし、珍しい髪色の人物が他惑星にいたということに驚きが隠せない。
しかめっ面をして、トビィは威嚇するような空気を発した。気に食わない相手と自分を比較されるのは、屈辱だ。
「こ、今度連れてきます、ね」
「うん、そうして頂戴! 歓迎会よっ」
「ちぇー、カワイコちゃんには、すぐに新しい男が出来ちゃうんだよなー。ボク残念過ぎて死にそうだよ」
「死にそうなのはミノルだよ! みんなさ、もう少し気を遣ってよ。いや……どうしたって悪いのはミノルなんだけどさ」
「あばばばばばばばばばばばばばば」
笑い合い、怒鳴り合い、気兼ねなく話をしている中で、一人、ユキだけがつまらなそうにしていた。
「みんなに彼氏の自慢? 馬鹿じゃないの? ウッザッ!」
眉を寄せ、唇を噛む。拳を強く握り締め、身体を小刻みに震わす。気を許すと漏れそうな言葉を、腹の奥底に鍵をかけて閉じ込めた。
話の中心はアサギ、この世界へ来るといつもそうだ。
いや、地球でも、常に話の中心はアサギ。何処へ行っても、アサギ。
まるで、アサギを中心に世界はまわっているように。
「ウザい。鬱陶しいっ」
歯軋りして、アサギを見つめる。その双眸の端に、邪悪な光が宿っていた。
「よかったよね。よかった……って言っていいのかわかんないけど、ユキとしてはアサギが嬉しそうで安心したでしょ」
手を振りながら近づいてきたケンイチに気づき、ユキは慌てて愛想笑いを浮かべた。不自然に小首を傾げ「そうだね」と震える声を出す。
いつもより、声のトーンは低い。
「落ち込んでるアサギ、心配だったでしょ。ユキは友達思いだからね」
「うん、そうだね」
「元気になったみたいでよかった。ところでユキは知っていたの?」
「うん、そうだね」
「そっか、二人は親友だからね」
「うん、そうだね」
一部会話が噛み合っていないが、ケンイチは深く突っ込まなかった。
ユキは、他人事のように気のない返事を繰り返す。瞳に、同性の目から見ても可愛らしいアサギを映して。