「ここにいるから、出ておいで」

文字数 12,955文字

 木の影が、地面に濃く映えている。

「ここ一帯は森に囲まれているが、ジョアンまでの道がしっかりと舗装されている。それ程通行には不便を感じないだろうが……」

 ライアンはマダーニと地図を広げ、ルートを確認していた。
 現在、馬車はアリナとアーサーが二人で操作をしている。不慣れな二人ではあるが、一定の速度を保って走らせていれば問題はない。路に迷うことはないはずだ、地図通りであるならば。

「ところどころ、村が存在するみたいね」
「あぁ、だが魔物の奇襲を受け廃墟と化している事も視野に入れておこう。このご時世だからな」

 食料は無論、薬草の調達をしておきたいので次の休憩ポイントにあらかじめ目星をつけておく。 
 二人がそんな話をしている間、他の勇者らは数日前と同じ様に魔導書に目を通していた。
 武器の手入れをしているのはトビィだ、アサギに魔法を教える事が出来ないので多少退屈そうだ。時折アサギを気にして隣を見つめるが、マダーニがライアンと会話中の為、アサギは一人で習得に没頭している。その夢中になっている様子は、トビィの口元を綻ばせるのに十分だった。
 街を出て数時間が経過し、鬱蒼とした森へと入る。
 豊かな森は太陽の光を遮断してくれ、日中であるが心地良い風を運んでくれる。先程より気温が下がったので、皆も一息ついた。道には青々とした苔がびっしりと生えており、まるで緑の絨毯を進んでいるかのようだ、稀に漏れる木漏れ日が小さな花を照らし出す。
 馬車から顔を出し、思い切り空気を吸い込むアサギは、瞳にその風景を焼き付けた。
 汚れのない清らかな美味しい空気を、大きく深呼吸を繰り返して取り入れる。そっと瞳を閉じながら、思うことは“地球”だ。
 地球は、空気が汚染されている。空気だけではない、土壌とて、海とて、年々汚染が広がるばかりだ。科学で善処しようとしているけれど、そんなことは不可能だとアサギは常々思っていた。
 発達した頭脳で生き抜いて行けるだろう、と思い上がった人間はいつか神様から天罰を喰らうだろう。そうなった時、壮健で荘厳な自然の法律に身を任せ、逆行しない命あるモノ達が、世界を護りながら修復していくのだ。
 眩しそうに木漏れ日を見つめるアサギは、瞳を細めて輝く光の筋を目で追う。

 ……地球も、これくらい綺麗だったらいいのにね。

 地球にも人の手が入らない場所もあるだろうが、ここまで澄んだ空気にはそうそうお目にかかれないのは確かだ。

『地球ガ、痛イッテ言ッテルノ、病ンデイル星々ガアルノ。助ケナクテハ……私ガ行カネバ。他ニ誰モ出来ナイノニ』
――早く戻りなさい、そこまで気づいているのならば。

「地球が、痛い、って言ってるの」
「アサギちゃん?」

 隣に居たユキに声をかけられ、アサギは我に返った。動揺しながら、ぎこちなく笑みを浮かべる。
 何だった、今の言葉は。
 自身の口から零れた言葉を、アサギは復唱する。

 ……地球が、痛いって言ってるの、病んでいる星々があるの。助けなくては……私が行かねば? 他に誰も出来ないのに?

 首を傾げて自嘲気味に笑うと、アサギは再び魔導書に瞳を落とした。
 魔法を覚えたい、剣を使いこなしたい、強くなりたい。何故そう願うかというと、勇者だからなのだが。一概にそうとも言えない気さえしてくるのは何故だろうか、もっと別の理由がある気がして仕方ない。アサギは薄々気づいている、知らない間に自分が“何か”を渇望していることを、その為に強くなりたいと願う事を。
 アサギは不意に隣に居たトビィに視線を移した、真剣な眼差しで黙々と剣を磨いている。輝きを放つ不思議な剣に、目利きの出来ないアサギですら、名剣だろうと容易に分かった。

「トビィお兄様、その剣とはずっと一緒なのですか?」
「あぁ、ブリュンヒルデと名付けた。数年前からオレの愛剣だ」
「……ブリュン、ヒルデ……」

 微笑んだトビィは、剣をアサギへと手渡す。
 アサギは見た目より重いその剣に、軽く眉を顰める。美しい剣でもある為、もっと軽いのだと思い込んでいた。
 重そうに抱えたアサギに吹き出し、トビィは直ぐに自分が持ち直す。
 はにかんで笑い再び新しい魔法習得を始めたアサギを、トビィが側から優しく見守り続ける、そんな馬車の中。魔物にも出食わすことなく、一気に日が暮れていく。先を急ぐので、不眠不休で進みたいところだが、生憎馬とて睡眠なしでは生きていけない。手ごろな場所で焚き火を起こし、交代で就寝することとした。夜も、特に奇襲は受けることなく、十分な睡眠をとる。
 早朝、簡単な食事を済ませた一行は軽く身体を動かすと馬車に乗り込み、旅を再開した。
 満開の花に彩られた森を進み、ブナ林へと到る。
 知らず歓喜の溜息を吐き、アサギは変化していく鮮やかな森の色彩に心を躍らせる。時折馬車から顔を出しては、うっとりと瞳を細めて一心不乱に景色を眺めた。
 勇者達は流石に自覚が出てきたのか、本腰を入れて魔法習得に取り掛かっている。使用可能な魔法が増えた為に自信もついたのだろう、新しい魔法を覚えたいという欲求も出てくる。出来ないと苦痛だが、出来ると思えばやる気とて沸いてくるものだ。
 昼食ついでに身体を動かそうと、太陽が真上に来る前に一行は道の脇に馬車を止めた。先日市場で購入した鶏肉と野菜を用意し、準備に取り掛かる。
 勇者達は顔を揃えて笑顔ではしゃいだ、キャンプのようで楽しい。魔物の襲撃もないので、若干気も緩んでいる。とはいえ、ライアンにマダーニ、アーサーやトビィは常に周囲に気を張り詰めているが。浮き足立つ勇者達は、指示を待つ。
 肉や魚など生物はムーンが氷の魔法で上手に冷凍してくれた、初めての試みであったが傷つけることなく氷で包み込んである。他にも冷凍した食材が幾つかあるのだが、溶けてしまう前に再度氷付けにした。
 ムーンだけでなく、練習の為にとアサギとマダーニも参加した。多少手間取ったが成功したので、当面食料には事欠かないだろう。魔法とは、非常に便利なものである。
 冷蔵庫代わりになるなんて、地球で使えたら便利だろうなぁと勇者達は己の手を見つめた。

「水はオレとアーサー、それにクラフトで汲んで来よう。マダーニにミシア、ムーンは野菜や肉を切ってくれないか? 後は適当に寛ぐか薪でも拾って来てくれ」

 ライアンの言葉が言い終わらないうちに、トビィはさっさとアサギの手を引いて森の奥へと消えていった。
 唖然、と口を開きトビィを見つめる一行である。
 一足先に薪拾いへと森へ入ったトビィとアサギは、乾燥しきった小枝を拾いながら歩いた。
 時折黄色の小さな花が可憐に咲いており、アサギは口元を綻ばせる。
 そんな様子を幸せそうに眺めるトビィは、アサギの行動一つ一つが愛らしい。

「結構拾えましたよね、戻りますか?」

 両手に抱えた薪を満足そうに見つめ、アサギはそう問いかけた。
 残念極まりないと苦笑したトビィは、仕方なしに了承したのだが、まだ帰りたくないのが本音だ。二人きりで居られる時間は、どれだけ貴重な事か。恋人ではないにしろ、共に居られるというだけで心が温かくなる。
 しかし、後ろ髪引かれつつも二人は馬車へと戻り始めた。仲良く並び他愛のない話をし始めたものの、薪を探しながら結構遠くまで歩いてしまったようで、馬車が見えてこない。
 食事を心待ちにしながら歩くアサギの隣、トビィは警戒心を強め周囲の様子を窺う。

「妙だ。ここまで離れたつもりはない」
「え?」

 トビィの険しい表情にアサギも慌てて森を見回した、瞬間、身の毛がよだつ。何時の間にやら冷えた紫色の霧が立ち込めており、露出した肌が寒い。それは気温のせいだけではないようにも思える、鳥肌がぞわり、と立つ。
 トビィは、そっとアサギが腕に抱えていた薪を地面へと下ろした。凍てついた雪原にでもいるように静かな大地に、乾燥した木がカラカラと音を立てて落下する。正面からアサギを抱き締め、小声で囁きながら瞳は鋭く森を見つめる。

「オレから離れるな」
「はい」

 静まり返る森は、鳥の囀りもなければ、風に揺られる木の葉の音も聞こえない。無音が不気味だった、トビィは音もなく剣を引き抜いた。

「何者かの領域に入ったと推測する。目的は分からないが歓迎はされてないだろう、な。その者を説得、或いは倒さないと出られなさそうだ」

 二人は間違いなく幻惑の森へと侵入してしまった、踏み込んでしまったならば仕方がない。
 左右を見据えるトビィは、左腕でアサギを抱き抱えながら右手で剣を隙の無く構える。突如、張り詰めた空気と流れを感じ、その方向へと顔を向けた。躊躇せずに身体を翻し剣を真横に振り払うと、金属音がぶつかる音が森に響き渡る。
 驚いて思わず瞳を閉じたアサギだが、怖々と開いてみればトビィが微かに皮肉めいて笑っていた。

「上等だ」

 土を抉る鈍い音がし、小剣が数本地面に突き刺さる。
 忌々しそうにトビィは唾を吐き捨て、一瞬瞳を閉じるとアサギの手を引き走り出した。木と木の間隔が狭くなった場所に留まると、木を楯に再度飛んで来た小剣を余裕で地面へと叩き落す。武器を所持していなかったアサギは、その敵が投下した小剣を一本拾い上げて構えた。

「さっさと姿を現してもらおうか、お前に付き合えるほど暇ではない」

 トビィを見上げたアサギは、木の葉の不自然な揺れを見つけ、慌ててトビィを突き飛ばす。上空から降ってきた小剣が数本、深々と地面に突き刺さった。

「トビィお兄様、離れましょう。私は一人で大丈夫です」
「駄目だ、危ない」
「でも、固まっていては狙われやすいです。私は勇者ですから、へっきですよ。言ったでしょう、護ってもらわなくても大丈夫です、と。一緒に戦います」

 一度言い出したら聞かないアサギである、断固として意志を変えない様子にトビィは軽く溜息を吐いた。渋々頷くとアサギに注意をしつつ神経を研ぎ澄ませる、何時までも防御に徹するわけには行かない。
 しかし、トビィ一人ならば、難なく敵を発見し対処できただろうが、アサギを守護しながらの戦闘ではそう上手くは行かなかった。地の利は敵にある。人を護りながらの戦闘が難しいと痛感した、そんな戦い方には慣れていない。
 ゴゥ、と不気味な風が上空で舞う。太陽の光に反射し、小剣が輝く。
 舌打ちし、トビィは離れたアサギへと駆け寄った。自分の真上から降り注がれる小剣に気づくのが遅れたアサギに、地面を蹴り上げて思い切り手を伸ばす。そのまま勢いで抱きかかえて地面を転がったが、左足を負傷した。衣服に血が滲み始める。
 一本の小剣が脹脛をえぐった、鮮血に染まりゆく衣服を見て愕然と言葉を失うアサギにトビィは顔色一つ変えない。小刻みに恐怖で身体を震わせるアサギを優しく抱き締め、落ち着くように髪をゆっくりと撫でる。

「怪我はないな?」

 暖かな声を聴いた瞬間、張り詰めていた緊張の糸が途切れてアサギは号泣した。今までの戦闘では目立った傷など誰も負っていない、初めて恐怖を感じた。耳元で大丈夫だ、と繰り返し涙を指で掬い上げるトビィに、更に泣き喚く。

 ……血が、血が!

 トビィが負傷したのは自分のせいだ。自分が上空からの攻撃に全く気がつかなかったから、庇ったトビィが身代わりとなり負傷したのだ。勇者だからと、一人で離れたばかりにこんな事態に。アサギは荒い呼吸でトビィの傷を見つめて、涙を零す。

「立てるね、攻撃に備える」

 繰り返される敵からの攻撃だが、それでもトビィは横から飛んで来た小剣を華麗に叩き落す。
 それを見て、更にアサギは打ちのめされた。自分が、相当なお荷物になっている現実を突きつけられてしまった。

 ……勇者なのに、足手纏い!

 戦闘経験が全く違うので、当然の事だ。しかし、アサギには自分が許せなかった。不甲斐なさに、身が千切れそうになる。
 トビィは、泣き止まないアサギを安心させるように背中をゆっくりと擦った。頬に軽く口付けをし、右足に体重をかけて立ち上がるが、左足を地面につけた際に多少顔を歪めた。思ったより、痛みが走ってしまった。
 それを垣間見たアサギは、急に泣くのを止めた。
 泣いている場合ではない、悔しそうに唇を噛み締め震える手を無理やりきつく握り締める。軽く瞳を閉じ、呼吸を整えて自己暗示をかけた、唇を微かに動かしながら「しっかりしなきゃ」と強張った身体に叱咤する。

 ……私、勇者だもの。

 瞳を開く。
 そこに現れたのは、涙で濡れながらも光り輝く芯の強い決意の瞳。

「ここで休んでいてください、私が倒してきます」
「無茶だ、この程度の怪我ならば気にするな」

 笑うトビィだが、不意に眩暈を感じ身体がふらついてしまった。剣に毒が塗ってあったようだ、流石に焦燥感に襲われる。悟られないようにとアサギの髪を撫でるが、気づかれないわけがない。
 無理やりトビィを座らせると、アサギは習いたての回復魔法を唱える。

「私には、魔法があります。お願いです、やらせてください」

 霧の中、何処か遠くを睨み付けたアサギは、手を伸ばし止めさせようとしたトビィの手を払い除け駆け出していた。

「待てアサギ! 行くなっ」

 切羽詰まって叫んだが、苦悶の表情を浮かべたトビィの左足には力が入っていない。即効性のある毒だ、用意周到な敵の攻撃に苛つく。それでも気合で立ち上がった、多少アサギのかけた魔法が効いているのだろう。左足を引き摺り、消えたアサギの後を追う。

 ……離れてはいけないのだ、二人は!

 トビィにとって、アサギは無くてはならない存在、心の拠り所。全身全霊をかけて護るべき相手、笑顔を護り続けなければならないのだと本能が悟っている。

「嫌なんだ、これ以上傷つくのは。オレが、必ず護る」

 毒で意識が朦朧としてくる中、トビィはそう呟く。幻覚が見える、目の前でアサギが息絶える瞬間が。誰かの腕の中で力なく横たわっていたり、地面に叩きつけられ絶命していたり。それは、時折見えてしまう妙な映像でもある。幾度も、過去でアサギを救う為に、護る為に必死だったような記憶が甦る。
 何かから、“誰かから”アサギを護ってきた記憶がある。
 故に、トビィは苦痛を伴ってもアサギを追う。アサギが負傷したら、それこそ耐えられない。三半規管が狂っていようとも、行かねばならない。

 暫く走り続けたアサギは、開けた奇妙な空間に辿り着いた。森から抜けたその先は、奇怪なことに木も草も生えていない。ただ、中心に朽ちた大木が転がっているのみだ、背筋が寒くなる。一歩足を踏み出し、砂の上を音を立てて歩く。大木に腰掛けているフードを被った人物を睨みつけながら、アサギは右手で奪った小剣を握り締めた。

「ここから、攻撃していたのですね」

 敵は後ろを向いているので顔が分からない、が、突如しわがれた声で笑い転げ始める。

「あの男はちと厄介そうだったが、お前一人が出向いてくれたのなら好都合。……二人目じゃて」

 言うが早いかその者の左右に浮遊した小剣が四本、アサギ目掛けて正面から直進してくる。辛うじて避けたものの、右手が刃に触れ宙に深紅の血が僅かに舞った。砂の上に、血痕が飛散する。
 ひゃひゃひゃと潰れた声で笑うソレが、ようやくこちらを向く。
 喉の奥で小さく叫び、思わずアサギは後退りをした。骨と皮しかない、まるで生きた骸骨である。おぞましい風貌だが、歯を食い縛り決死の覚悟で精一杯睨みつける。

「ずっと、ここで待っておった。二人目のエルフに遭遇する為に、その力を手中にする為に」

 歓喜の笑い声を上げるソレは、よくまぁこれだけの小剣を集めたなというくらいしつこく飛ばしてくる。幻覚ではないこと、それはトビィとアサギが身をもって実感している。無言でアサギは右手を大きく振り被った、小剣は目前で地面に落下する。
 意外そうにソレはぎょろりと剥き出した瞳を丸くし、豪快に笑う。思ったより腕が使えると判断したが、それでも未熟だと判断する。恐れるに足らない相手だと。何より、勝算があった。先程毒の小剣で傷を負ったのだから、直様動けなくなるものだと思っていた。屈強なトビィにすら、即効性があったのだから、子ウサギのようなアサギでは抗えない。

「トビィお兄様が、負傷しました。あなたが放ったこの小剣で、怪我をしたのです」
「お前を庇って負傷したようじゃな」
「そうですね、私が未熟なばかりに。ところで、先程から気になっていたのですけど……何故ここだけ植物が生えていないのですか?」

 アサギは、数多の言葉を煮詰めたような重さを声に籠め前進する。
 首を傾げながらも下卑た声で笑い、枯れ枝のような腕を組んでソレは喋る。

「おんや、まだ動けるのかね? 生きが良い事で、尚良し」

 アサギに睨みつけられ、ソレは嬉しそうに嗤う。

「実験じゃよ。ここらの大地に調合した毒を流した、徐々に広がり、何時しか森林全体は毒に染まる。河に流れ出し、下流へと運ばれ、行く行くは人間達も生きれまい。元には戻らぬ、永遠に」
「何の為に」
「わしの力の証明に。エルフを喰らって飛躍したわしを、異端児だと追放した愚鈍な人間らに復讐と制裁を。全ての人間に恐怖と絶望を。見えぬ敵に怯える姿が観てみたい、ひゃひゃ!」
「……ただ、それだけですか」

 ふわり、とアサギの髪が風に揺れた。静かに大地を見つめていた瞳から、ぽたり、と涙が零れ砂を濡らす。
 ただ、そんな事の為にここに居た植物達は毒を撒かれたのか。性別すら判断出来ぬこの人間の横暴な自己満足為に、多大な犠牲が出たのか。
 そこは、死の大地。アサギが感じた奇妙な違和感はそれだ、自然災害ではこうならない。森林伐採したとしても、何かは残る。

『痛い、痛い、痛い。あぁ、痛い』

 声が聞こえた気がしてアサギは再度、目の前のニンゲンらしい人物を睨みつける。

「誰に断って、こんな馬鹿げたことをしているのです? 赦免は出来ません、裁かせて頂きます」
「面白い事を言う娘じゃな?」

 顔を上げたアサギの瞳が、漆黒から大地を支える大樹の豊かな葉の様な緑になったことに、ソレは気づいていなかった。

「大地と大気、ここで押さえられ今は眠りに就いている全てのイノチある植物から、許可を頂きました」
「ほぅ?」
「先程あなた、『元には戻らぬ、永遠に』と言いましたね。それは違います、植物達の力強い生命の息吹は誰にも止められません。時間はかかりますが、強かに息を吹き返します……人間とは違いますので」

 自分の唇から溢れるように出てくる言葉を脳内で復唱しながら、アサギはソレに鋭利な視線を向ける。

「痛いそうです、苦しいそうです。あなたには声が、聴こえませんか? 有能な魔法使いか何かなのでしょう? どうして聴こえないのです?」
「ハンッ! 植物が痛くて苦しいと? つくづく、面白い娘じゃな、エルフは確かに植物や動物達と心を通わす事が出来ると聞いたが」
「私、エルフじゃないです。地球という異界から来た、人間です」
「しかし、その身に纏わりつく空気が」

 言葉が途切れた。
 アサギの容貌が変化していることに、ようやく気付いたのだ。声にならない叫び声を上げ、間を置いてから恐怖のあまりソレは魔法詠唱に入る。
 ふわり、と軽く宙に浮いたアサギ。新緑を思わせる綺麗な緑の髪に、濃い緑の全てを見透かす不思議な光の瞳。先程までは漆黒だった髪と瞳が、変貌した。
 その姿を視界に入れた瞬間、心臓が止まるほどの寒気に襲われた。背筋に伝う汗は本能で恐怖を感じている証拠だ、身体が対峙する事に拒絶反応を起こしている。それでも魅入った、魅入ってしまった、この目の前の娘に。そして勝てないと悟った、次元が違いすぎると“人一倍魔力が高い”ソレは直感してしまったのだ。

「き、きき貴様、何者だっ! そもそも、何故毒が効かぬ!」
「私は、アサギ、といいます。植物達はあなたよりも、とても強固モノ。あなたが他人から奪い、手に入れた力が無意味なものだったと……見せてあげます」

 右手を空高く掲げるアサギの瞳は、沸々と怒りが込み上げて来たのか鋭さが増している。先程森へ入ってきた時は格好の獲物だったが、今は狩る側だ。
 反射的にソレは魔法を放った、叫び声に近い魔法詠唱である。

「巡る鼓動、照らす紅き火、闇夜を切り裂き、灼熱の炎を絶える事無く。我の敵は目の前に、奈落の業火を呼び起こせ、全てを灰に、跡形もなく燃え尽くさん!」

 詠唱を聞く前から、すでにアサギの周りの空気は変化していた。薄紫がかった靄に包まれている。
 唱えられた魔法は禁呪を除き火炎系最大の呪文である、両手から放たれた巨大な火炎が一直線に眩い光を放ちつつアサギに襲い掛かる。ソレは、完璧な魔法詠唱に安堵の笑みを漏らした。
 けれども、それは束の間。
 アサギへ届く前に、瞬時に掻き消えてしまった。灼熱の炎であったはずが、徐々に弱まるとかそういう類ではない、何事も無かったかのように消滅した。
 アサギはただ、冷静にソレを真っ直ぐに見つめている。僅かに、口角が上がっている気がする。

「ば、馬鹿な! わしの得意呪文が、こんな、こんな小娘にっ」

 呪文を防ぐ者は過去にもいた、相殺しようと魔法を放ってくる者もいた。が、瞬時に掻き消したのはアサギが初めてだ。

 ……勝てるわけがない、殺される! 見当違いだっ!

 狼狽し、一歩、また一歩と退却を始めるソレ。だが、距離は縮まっていく
 アサギは左手を空高く掲げ、揃った両手を軽やかにしならせると、微笑する。その表情と仕草の、なんと妖艶なことか。

「ここにいるから、出ておいで。大丈夫」

 その言葉。
 一瞬理解し難いが、ソレは絶叫した。毒を撒き散らし、生命を死に絶えさせたはずのその空間、その柔らかい声に導かれるようにアサギの足元から緑の芽が顔を出す。

「ヒィィィィィィ」

 次々と土から顔を出す小さな草花、今はまだ踏み潰すことが出来る貧弱な存在。しかし、逞しく大地に根を張り育つだろう。

「ば、馬鹿な!? わ、わしの、わしのっ醸成がっ」

 アサギの身体から溢れる温和の光、大地に降り注がれ小さな芽達は急速に伸びていく。まるで一つの植物の成長過程を、早送りで見ているようだった。数分と経たない内に、その虚無の空間は周囲の森と同じ風景を描いた。さわさわと出来たばかりの森を風が吹き抜ける、緩やかな新緑の香りが鼻先を擽る。
 腰が抜けて、その場から逃げようにも逃げられないソレは、木漏れ日が降り注いでいるアサギをただ見つめることしか出来ない。認めたくはないが、これは未知なる神の領域だ。

 ……何者じゃ、この娘。いや考えている暇はない、逃げなければ殺される。人間なわけがない、エルフでもない。じゃあ、一体何なんだっ?

 光の粒子を身に纏い、類稀なる美貌を持った、絶対的な能力を持つ荘厳な娘……としか、形容出来なかった。

「力、貸してくれますか」

 地面にトン、と降り立つとアサギは両手を真横に開きつつ、優しく大地に語り掛ける。その場に存在する全てのイノチから、何かを受け取るように恭しく胸の前で両腕を使い抱きとめる。創製するように腕をくるくると回しながら、小さく呟いた。まるで、舞いを披露している様である。神々しい、まさしく女神の舞い。

「フィリコ」


 パン、と空気が弾ける。閃光が辺りを覆いつくし、目を直撃されたソレは絶叫した。地面を転げまわっていると、何やら音が届く。目がやられてしまい見ることが出来ないが、奇妙な音に厳しく恐れる。
 アサギの右手に何時しか握られていた武器は、純白の鞭である。棘が幾つもついているそれは、薔薇の茎に似ている。時折虹色に輝くその鞭をギリリと硬く握り締め、掌に馴染ませる。
 潰れた瞳だが、気配を感じアサギへと顔を向けたソレは身体中を射抜かれた気がした。自分に向けられる冷淡な表情、無情の瞳、この世のものとは思えない程美麗なその姿が瞬時に脳に転送された。
 アサギが鞭を軽く一振りすると、それは一本の直線へと変化する。まるで長い槍のようで、細く鋭いその形状は、最早鞭とは呼べない代物だ。
 躊躇することなく地面を蹴り、蹲っているソレへと突進すると、両手で突き刺す。斬る事は出来ない、だが、先端が鋭利に尖っている為一突きで致命傷を与えられる。棘が付属されているので、抜く際にも棘が体内を傷つける。
 僅かな時間だった、身体に激痛が走り、痙攣するかのように全身を大きく震わせたソレは何か言いたげに口を開いた。のだが、声を出す力など残っていない。微量の血を口から滴らせ、そのまま息絶える。
 アサギは鞭を引き寄せるが、抜くのに力が要ると解ると左手を真っ直ぐソレへと向け、詠唱なしで火炎の魔法を放ち、死体の焼却をした。ミイラのような身体が、紅蓮の炎で包まれて消えていく最中。瞳を閉じると鞭を掲げる、大気へと返還したのだ。
 空気に溶け込むように、掻き消える鞭フィリコ。

「有難う」

 空を見上げて微笑むと、途端に力を無くしその場に崩れ落ちた。
 意識が消えた途端に髪と瞳の色が漆黒へと戻っていく。今の出来事は、森だけが知っている。
 数分後、耳元に柔らかな物が触れているのを感じたアサギは慌てて目を覚ました。起き上がるとリスやらウサギ、小鹿などが集まって来ている。唖然と周囲を見渡す。警戒することなく集まってくる森の住人達に、破顔したアサギが手を伸ばすと、上空から小鳥が飛んできてその手に留まった。おそるおそる顔の近くまで手を動かせば、頬に擦り寄るように小鳥はくっついてきた。

『アリガトウ、アサギ様』
「もう、大丈夫だよ」

 この場は安全だ、確信する。
 若干の頭痛に眉を顰めたが、大きく深呼吸を繰り返せば痛みも和らぐ。
 しかし、アサギには途中の記憶がなかった。ミイラのような魔法使いを見つけ、恐怖を覚えたまでは自覚があった。問題は、それ以降だ。敵は何処へ行ったのだろう、逃げたようには思えない。
 首を傾げながらも苔の生えた柔らかな大地に腰を下ろし、アサギは暫しそこで戯れる。

「どうしよう、記憶がない。えっ、と……ええっと……」

 やがて追いかけて来たトビィが、その姿を見つけて息を飲んだ。
 アサギを捜していると眩い光が目の前から迫って来た為不安で胸が押し潰されそうだったが、無事だった。安堵の溜息を零し、駆け寄って抱き締めたかったのだが、その姿に見惚れてしまい一歩も動けない。大輪の花々を集めても、今のアサギの前では、色褪せて見えてしまうほどに。 
 どれ程魅入っていたのだろうか。

「トビィお兄様」

 気づいたアサギが小走りで駆け寄ってきた、怒ったように頬を膨らませて一言。

「休んでいてください、って言ったのに」

 硬直気味のトビィを大木の根元に無理やり座らせ、アサギは痛々しい傷口に掌を重ね息を吸い込んだ。 
 傷口に暖かなものが流れ込む、然程大した毒ではなかったようで今は気分も悪くないのだが、アサギの懸命な回復魔法によって傷口は塞がれていった。即効性はあるが、持続性はない毒だったようだ。
 トビィは訝しみ周囲を見渡した、不穏な気配がない為もしや、とは思っていたが。

「……敵は、どうした」
「逃げてしまいました、大丈夫です。恐らく、トビィお兄様が近づく気配を察して、敗北を認めたのだと思います」

 この上ない可愛らしい笑顔で笑いかけたアサギだが、トビィは不審に思った。果敢に挑んで来た敵が、そうやすやすと逃亡するものだろうか。こちらの力量を見誤ったと判断出来る程、利口な相手だったのだろうか。
 それでも、確かにアサギが言う通り、敵の気配はない。トビィは眉間に皺を寄せ、アサギの身体を眺める。右腕で視線を止めたトビィは、弾かれたように起き上がった。手首を掴み身体ごと引き寄せると、頬に手を添えて珍しく怒気を含んだような口調で語る。

「アサギ、怪我をしてるだろう、自分を治せ。オレはもう大丈夫だ」
「これくらい、へっきですよ? 痛くないですし、動かないで下さい」

 見た目より頑固なアサギが受け入れる筈もなく、トビィは苦笑いで頭を撫でる。

「わかった、だがその代わり消毒はさせてもらおうか」

 返事を待たず、出血が止まっている右腕の傷口にトビィは舌を這わせた。若干血の味がした、舌先が味覚を感じた瞬間に、トビィの瞳が大きく見開く。

 ……なんだ、この味。

 甘く、眩暈を覚える不思議な香りすら漂う。口に含むと、更にで清らかな舌触りの良い蜜の様な血だ。喉へと唾液と共に流し込むが、濃厚な果実酒を堪能しているような気分になってくる。トビィと同じ様に剣で負傷したなららば、毒が塗られていたかもしれない。しかし、アサギが正常であったことと、血液に入れば危険な毒でも、口からの摂取であれば作用しないかもしれないと判断して吐き出さずに飲んでしまった。毒よりも、甘露なそれに抗えない。
 傷口に沁みたのだろう、アサギは身体を跳ね上がらせ、トビィの胸の中で小刻みに震えた。
 時折聞こえるアサギの微かな呻き声が妙に悩ましく、トビィの脳を刺激した。快感に耐える嬌声のようで、声を出させることに夢中になってしまう。小鳥達の囀りに混じり、夢中で傷口を嘗め続けるその音は卑猥に森に響き渡る。
 傷口を舐めていた筈なのに、反応を確かめたくて舌は肩まで移動する。時折甘噛みしてくすぐるように舌先を動かす。逃げようと身悶えするアサギを、腕の檻に閉じ込める。

「っ、ふ、あ」

 露出した衣服の為、舌は勝手に肌を移動する。肩から鎖骨へと移動し、骨の形を確かめる様に幾度も往復する。

「あ、ああああああの、もう大丈夫です。そ、それに、そこは怪我してな」
「あ、ああ、すまない」

 無心で貪っていたトビィは、仰け反りながら涙目で訴える様にこちらを見ていたアサギにようやく我に返ると腕の力を和らげる。
 アサギの頬は赤く色づき、気まずそうにトビィを見上げたままだ。

 ……流石にやり過ぎた。

 若干反省はしたものの、後悔はしていない。アサギの吐く息が、薄桃色をしているように見える。このまま押し倒し、強引に迫ってしまおうかと邪な考えが脳裏に浮かんだが、辛うじて耐えた。

「まずいな、妙な色気がありすぎる。おまけにすこぶる感度が良いときたもんだ」
「ぇ?」

 肩で大きく息をしていたアサギの髪をくしゃくしゃと撫で上げ、トビィは苦笑する。

「帰ろう」
「は、はい」

 困惑しているアサギを立たせると、馬車へとようやく二人は馬車を目指して歩き出した。

「残酷なほどに挑発的、それでいて疎い。全く、困った子だ」

 トビィは無意識の内に言葉を紡ぎ、軽く頭を振る。

「あの、足は大丈夫ですか?」
「あぁ、完治した。ありがとう」

 自由の利くようになった足を微笑しながらアサギに見せ、二人は手を繋ぐ。
 トビィの怪我は、完璧に完治している。覚束無い、憶え立ての回復魔法であるにも関わらず、異常なまでに綺麗に。傷跡すら、残っていない。
 二人は森を抜けた、先程の魔導師が消え、幻惑空間が消滅したので馬車までの道程は然程遠くも無かった。
 マダーニが目くじら立てて怒りながら駆け寄ってきた、が、事情を話すと表情を強張らせる。てっきり、トビィの我儘でアサギを連れ回しているだけだと思っていた。まさか、敵に遭遇していたとは。

「二人とも、無事?」
「アサギが多少の傷を負ったが、辛うじて」
「ま、トビィちゃんが一緒なら大丈夫かしら。さ、ご飯出来てるわよ。食べましょう」

 腹を刺激する鍋の良い香りが漂っている、香辛料と共に野菜と鶏肉が煮込んだ。律儀にも二人を待っていたらしく、空腹の一行は文句を言いながらも手招きし、輪になって食べ始めた。

「いただきまーすっ」

 トビィは美味しそうに鍋を食べているアサギを見つめ、「相変わらず不思議な子だ」と吐露する。外見が綺麗なのは確かなのだが、それだけではない。尋常ではないほどに、人を惹きつけてやまない空気を持っている。それは危険な媚薬のように、一度堕ちたら戻れないほどの誘惑の空気だ。
 そしてそれにすでに囚われていることも、トビィは重々承知していた。

※挿絵は数年前の同人誌用原稿として戴いたものです(*´▽`*)
トビィとアサギ。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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