嫉妬の暴走

文字数 3,188文字

 気を許してしまえば涙が零れそうなほどに屈辱で顔を歪めているトランシスを、トビィは鼻で嗤った。
 正直、もう少しまともにやり合えるものだと思っていたが買い被り過ぎたらしい。
 火を操ることが出来るだけで、トビィから見たら素人同然。これでアサギを護ることなど、出来るわけがない。
 
「これが剣であれば、お前は数分前に死んだ」

 余計なお世話だ、と言いたげにトランシスは唇を震わせる。しかし、身体中が圧迫されていて声が出せない。骨が軋む。
 
「これなら稽古途中に不慮の事故で死んだ、としても不思議じゃないな。弱すぎて力加減を誤った、とでもアサギには言っておこう」

 瞳に激しい怒りを宿して見上げたトランシスに、トビィは冷ややかな視線を注ぐと足に力を籠める。悔しそうに歯を食い縛る彼を見下ろし、薄く嗤った。
 跳ね返そうと両腕に渾身の力を籠めるトランシスだが、全く身体は浮かない。大岩でも乗せられたのではないかと思いたくなるほどに、圧倒的な力だ。早く恥辱な状況から抜け出さねば、と気ばかりが焦る。流石に人目につくこの場所で殺されることはないだろう、と軽んじていたがこの男ならやりかねない。
 何より、無様な姿をアサギに見られたくはない。せめて、対等に戦っている姿を見せたい。
 見られたところで、アサギが落胆することはないだろう。だが、どうしても譲れない。
 勝てないと解っているのに、負けたくない。負けているのに、抗いたい。
 
「ぅあっ!」

 トランシスの唇からくぐもった悲鳴が漏れた。ミシッと背骨が軋む。トビィが更に力を籠めた、このままでは折れると直感し、嫌な汗が全身を覆う。
 耐えていた涙が滲んできて今にも零れそうだ、これは夢ではなく現実。そんな自分を最も見られたくない相手はアサギではなくトビィであり、トランシスは血走った瞳で地面を睨み付ける。
 胸が荒く波打つ、心臓の音が地面を伝って耳に響いてくる。
 激痛に耐えながら、トランシスは右手に集中した。炎はまだ出せるかもしれない、目くらましにはなるだろうと考えた。
 しかし、気配に気づいたトビィはもう片方の足を軽やかに上げると右手首を踏みつける。その口元に、酷薄な笑みを浮かべて。
 トランシスの指が痙攣し、指先から徐々に青白くなっていく。
 
「グッ」

 炎を出そうと懸命にもがくが、集中できない。このような状況下で、炎を出したことはなかった。父親に追いかけられていたあの頃より、恐怖を感じる。
 パキ、と脆い音がした。
 あまりの痛みにトランシスが絶叫し、耳を劈く悲鳴が周囲に響き渡る。
 手首が、折れた。
 眉を顰め「煩い」と忌々しく舌打ちしたトビィは、トランシスの身体から降りた。髪をかき上げ、無様に地面に這い蹲る憎悪の対象を睨み付ける。
 喉の奥から叫び続けているトランシスは、トビィが退いたことにも気づいていなかった。全身を痙攣させ、泡を吹く勢いで白目を剥いている。
 トビィは興醒めだった。
 ここまでつまらない相手だとは思わなかった、力不足にも程がある。これではただの虐めだ。
 と、思う反面、此処で潰しておかねば面倒なことになる気がした。冷淡な瞳で一瞥すると、腹と地面の間に足の甲を入れて思い切り蹴り上げる。
 簡単に宙に浮いたトランシスの身体は、ボロ布のように見えた。
 それを、嗤いもせずに蹴り飛ばす。無情な瞳は、何処を見ているのだろう。

「トビィ、駄目だ!」

 窓から見ていたアリナが、舌打ちし飛び降りた。
 トランシスの身体は紙切れのように頼りなく、抵抗することも出来ずに地面に落下する。鈍い音がした。
 
「殺す気か!」

 駆け寄ってきたアリナに、平然とトビィは淡々と「あぁ」と肯定した。

「気に食わない相手なのは分かるけど、ここで死人を出すなよっ」
「あぁ、悪かった。配慮が足りなかったな」

 野次馬で集まって来ていた市民に瞳を投げかけたトビィは、悪びれた様子もなく肩を竦める。
 
「そういう意味じゃない! アサギの恋人だろ、死んだらどう言い訳すんだよっ」
「言い訳はしない、稽古の最中に死んだ……本当の事だ」
「トビィなら手加減できるだろ、子供じゃないんだから」

 トランシスについて、アリナは特になんの感情も抱いていない。ただ、アサギの恋人だから仲良くなりたいとは思っている。
 
「死んだらアサギが泣くだろーがっ」

 その一言に、流石にトビィも言葉を詰まらせた。アサギの泣き顔を見たくないのは確かで、痛いところを突かれたと分が悪そうに視線を逸らす。
 トランシスの頭部は、地面に埋もれていた石に強打され、パックリと開いた傷から血が溢れている。当然、意識は手放していた。

「トビィ、誰か呼んで来いよ」
「断る」
「あーもー! 何を躍起になってるんだかっ。大人げないぞ」

 今までのトビィではない気がして、アリナは焦慮して走り出す。彼は、口では文句を言いながらも、結構気配りを見せていた。見た目と裏腹に、実は世話焼きなのではないかと思う程に。
 確かにトビィはアサギ以外に冷たいが、今回は異常だ。トランシスへの厭忌は“アサギの恋人だから”という単純なものでは済まない気がした。何故ならば、ミノルにここまで露骨な嫌がらせをしていない。
 しかし、トビィがトランシスに執着する理由がアリナには思いつかなかった。出会って日が浅いのに、怨恨は恐ろしく深いものに見える。
 現在ここにいる回復魔法の熟練者といえば、アサギとクラフト。命に係わると判断したアリナは、必死の形相で扉に手を伸ばす。
 しかしその目の前で先に扉が開かれ、引き攣った顔つきのクラフトが飛び出して来た。事態を把握しているらしい、頷いたアリナは踵を返す。

「よかった、お前が気づいてくれて」
「アサギちゃんだと、卒倒するでしょうから。私が適任です」

 駆け付けたクラフトを、トビィは腕を組んで見つめている。謝罪する気は全くない、最早他人事だ。
 
「トビィさん。以前も告げましたよね、嫉妬で人に斬りかかっては駄目ですよ」
「斬りかかっていない、蹴り落とした場所に()()()石が埋まっていただけだ」
「いや、お前確実に狙ってただろ……」

 不慮の事故に見せかけた、殺人。
 指摘に、トビィは動揺することなく平然と口元を和らげただけだった。その表情に、雷に貫かれたような恐ろしさを痛感したアリナは言葉を飲み込む。
 沈黙が周囲を支配した。
 憐れみの視線をトランシスに投げかけたアリナは、頬を膨らませるとトビィの胸板を小突く。クラフトが来たならば、おそらく命に別状はないだろう。安心して任せられる。
 
「弱い者虐めすんなよ、トビィらしくない」
「そいつは災厄だ。アサギだけではない、オレにとっても、アリナにとっても、クラフトにとっても……早い話、全員にとって」

 ただの言訳だと思ったが、トビィの瞳を見た瞬間に固唾を飲んだ。冗談ではない気がした、酷く真面目なその表情にアリナの背筋が凍る。
 トビィはお道化たように肩を竦めると、片手を上げ館へ向かう。
 
「アサギの様子を見てくる」
「稽古を突っ込まれるぞ?」
「休憩中だ」

 つまり、その間に傷を治せということだろう。アリナは悠々と立ち去るトビィに、舌を突き出す。
 
「性格が悪くなってる!」
「気持ちは解らない……でもないですが、今回ばかりはやり過ぎですよ。素人相手に、トビィさんらしくないですねぇ」
「だよなー。なんでかな、髪とか瞳の色が同じなのに選ばれたのがこっちだったからかな」
「それは関係ないのでは。それにしても、トランシスさんがアサギちゃんを射止めたのはどんな理由なのでしょうね。()()()()は聞きましたか?」
「聞いてない。アサギに限って一目惚れはなさそうだよな、こっちはそれっぽいけど。強引に押し迫られて、やむなくアサギが折れた……とかかな」

 治療にあたっているクラフトは、災難に見舞われて瀕死のトランシスに気の毒そうに目を伏せた。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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