ワイバーン
文字数 3,272文字
仲間たちに会う為惑星チュザーレを訪れたいとは思っていたが、まさかこんな形で出向く事になるとは。
運命とは皮肉だ。魔王は消えたというのに、世界に平和は来ない。
いや、そもそも“平和”を追い求めることに無理があるのかもしれない。
「深追いするな、アサギ」
「被害を最小限にとどめたいと思います。最良はワイバーンを街から離すことですよね?」
竜の姿へと戻ったデズデモーナの背にアサギが、クレシダの背にトビィが乗っている。眼下に広がる海を見つめ、目的地へと急いだ。
「オフィは?」
「不貞腐れて留守番しております。一緒に行きたい、と嘆いておりました」
トビィが訊ねると、クレシダが淡々と告げる。水竜オフィ―リアのみ、アサギが術を施していないため人型になることが出来ない。
アサギは早急に彼も人型になれるよう動きたいと常々思っていたが、天界城の宝物庫から変化の杖を持ち出すことが出来るだろうか。以前、無断で拝借したので警戒されている。素直に話したら貸してもらえるかもしれないが、どうにも気が引ける。
しかし、早急に対応せねばならない。
アサギは唇を軽く噛みしめたが、まずはこちらの問題が先だ。
多くの悲鳴が聞こえてくる街へと急降下する、一刻の猶予もない。
何体かのワイバーンの姿が見えた、思っていたよりも小柄だが数が多い。かなり興奮状態にあるようで、仲間を呼んでいるのか威嚇しているのか、耳が千切れそうな大声で吼えている。
「これはまた……」
デズデモーナが惨状に顔を顰めた。
迫るほどに、皮膚でその威圧を感じる。デズデモーナたちのような惑星クレオの竜とは根本的に種類が違うのだろう。魔物として接したほうがよいのだろうかと顔を曇らせる。対話出来る竜ではないように見えるので、そう簡単に退いてくれなさそうだと思った。
「アサギ様、御指示を」
「とりあえず、話をしてみようかと……っ! デズデモーナ、あそこへ!」
焦燥感に駆られたアサギが鋭く叫んだ。
狭苦しそうな建物が密集し、小さな人間たちが蠢いている地上を瞳を細め見やったデズデモーナはアサギの言う方角に首を向けた。
「あの一際高い建物へ! 人が襲われてます、助けますっ」
「御意に」
カーツという街の詳細を聞いていなかったが、想像以上に大きな街だ。惑星クレオのジェノヴァよりも規模は小さいが、みっちりと立ち並ぶ建物から人口密度が高いとうかがえる。建物の種類も様々で、貧困の差が激しい街であるとも見てとれた。
アサギの言われた通りに向かうデズデモーナだが、降りようにも建物が邪魔だった。
「これ以上先に進むことは無理でございます」
困惑し告げるや否や、アサギは焦った様子もなく口を開く。
「デズデモーナ、人型になっても飛べますか? ついてきてください、無理なら待機で」
「は?」
観念して進行を断念したデズデモーナが素っ頓狂な声を上げるのと、背中が少し軽くなったのはほぼ同時だった。アサギがスカートをはためかせながら落下していく様に悲鳴を上げる。
背から飛び降りてしまった、デズデモーナは一気に血の気が引いて気が動転する。
「クッ、アサギ様!」
アサギを救うべく無我夢中で人型に変化したデズデモーナは、迷うことなく追う。人型の自分が飛べるかどうか、知らない。トビィに任されたからではなく、自分の意思だった。
「アサギ様、御手を!」
「大丈夫ですよ、私は飛べますから。無茶はしません」
どうにか追いつき決死の覚悟で腕を伸ばしたデズデモーナに、にこやかにアサギは微笑む。そっと掌を握り、同じ位置に瞳がくると悪戯っぽく笑った。
「なんと……」
確かにアサギは宙に浮いていた。
以前も背中から飛び降りたことがあったことを思い出し、デズデモーナは深く恥じ入る。慌てふためき、見苦しい姿を見せてしまった自分がみっともなくて顔を背ける。
「ね? さぁ、行きましょう!」
気にしない様子で朗らかに言うアサギに、デズデモーナは大人しく頷くほかなかった。頬を紅潮させ、繋がれた手が焼けるように熱いのを感じながら茫然と先導される。絡む指は細く柔らかで、心地のよいものだった。今にも昇天しそうな高揚感に戸惑う。
「危ないっ!」
鋭く叫んだ切羽詰まったアサギの声に、惚けていたデズデモーナが我に返る。けれども、緩んだ鼻の下は戻らない。それほどに衝撃的で、繋がる手から身体の中に熱が伝わり腹の奥底が疼くのを止められなかった。
デズデモーナは、改めて人型の好さを実感した。これは、竜であった時とは別の感覚だ。
「き、気合を入れねば!」
頬を摘まんで痛みで自我を戻す。
ワイバーンは獲物を見定めたらしく、少女数人を囲っていた。恫喝するように咆哮し、屋根の上にいた一体が彼女ら目掛けて突進する。
「っ! 止まってください!」
長剣を掲げ、地面に倒れこんでいる金髪の少女の前に降り立ったアサギは射抜くような視線をワイバーンに向けた。
怪我でもされてはと青ざめたデズデモーナが前に立とうとするが、アサギに制され渋々隣で構える。
ワイバーンは小回りが利くのか、寸でのところで停止した。歯を剥き出しにして憤怒の色を瞳に浮かべながらも数歩下がる。
羽根と尾が建物を破壊し、飛んできた瓦礫をデズデモーナが腕で振り払った。
ワイバーンは、低く唸りながら突如現れた二人を忌々しそうに睨み付けている。多くの鋭利な視線が二人に注がれる。
そんな中、アサギは妙な違和感に気づき見定める様に瞳を細めた。
「ガーベラ!」
「ガーベラ、こっちよ、ガーベラ!」
聞こえてくる声に、一瞬アサギは視線をワイバーンから外した。ガーベラ、というのはアサギが庇っている金髪の少女の名前だろう。彼女の友達が安全なところへ来るように手招きしている。
「え……私、生きているの?」
「大丈夫です、安心してください。来るのが遅くなってごめんなさい」
後ろから今にも消え入りそうなか細い声が聞こえたので、安心させるように努めて優しく、そして力強くアサギは声をかけた。ただ、その発せられた声からは戸惑いと諦めにも似た感情が込められている気がして首を傾げる。
生きていることを喜ぶのではなく、落胆したような。しかし、彼女の感情を汲み取っている余裕はない。
気づけば、ワイバーン五体に囲まれていた。アサギの額に汗がじんわりと浮かび、喉を鳴らす。
「ヒ、ヒィッ!」
狼狽しながらも、状況を確認する為に周囲を見渡したのだろう。今にも噛みつこうと口を開いているワイバーンに怯えたガーベラが、鋭い悲鳴を上げた。
その声にワイバーンが反応し、一斉に
アサギは睨みを利かせながら、必死に対応策を考えていた。出来れば、誰も傷つけたくない。その思いには、ワイバーンも含まれている。
「デズデモーナ、ワイバーンと会話が出来ますか?」
「どうでしょう。……やってはみます」
種族は違えども同じ竜なのだ、デズデモーナに相談してみた。平穏に済ませるには、話し合いが一番だ。
名誉挽回とばかり不謹慎だが笑みを浮かべたデズデモーナは、緩んだ口元を引き締め吼え続けている目の前のワイバーンに語りかける。
けれども。
「……殺気立っておりますので、会話不能です。申し訳ありません」
全く会話にならず、デズデモーナは項垂れた。ここで円滑に進められたらアサギの笑顔が見られたに違いないと落胆し、不甲斐なさを認める。
「デズデモーナ、ありがとう。私が会話してみます」
気落ちしたデズデモーナには気づかず、意を決したアサギは静かに息を吐くと構えていた剣を下ろした。
「こんにちは。初めまして、私はアサギといいます。教えていただきたいことがあるのですが、よろしいですか? あなたたちに危害を加えないと誓いますので、どうか落ち着いて話を聞いてください」
アサギは大きく腕を広げ、ワイバーンを見つめながら対話を試みた。
流石にデズデモーナもガーベラたちも、ギョッとして目を見開き凝視する。誰もが無謀だと顔を蒼褪め、やがて来るであろう激痛と死を覚悟した。