新たな勇者
文字数 4,559文字
「アサギはそいつを診ててやれよ」
その声に勢いよく振り返ったミノルとケンイチは言葉を失った。アサギの幼馴染のリョウが、何もかも全て解っているような顔で立っている。
「リョウ」
「大丈夫、
アサギは困惑しつつも頷き、トモハルに肩をかして保健室を目指した。
リョウは代わってその場に立つと、鋭く一点を睨んだ。そこは、先程までアサギが食い入るように見ていた場所。
「お前……」
ミノルが絞り出した声に、リョウは見向きもせずに言い放つ。
「アサギから聞いて、全部知ってる。ここじゃ話せないことを」
瞬間、ミノルは項垂れて廊下に視線を落とした。彼に敗北を感じ歯を食いしばる。アサギの幼馴染であるリョウという男を詳しく知らないが、隣に立った瞬間に『勝てない』と悟ってしまった。
「そ、そうかよ」
苦し紛れにそう呟いたが、ミノルは項垂れ後退する。口元を歪め自嘲的な笑みを見せた。似ていないが、トモハルと同じ雰囲気に思えた。二人の気質は眩い光で、自分には痛すぎる。
意気消沈したミノルを一瞥し、ケンイチが訝りながら開口する。
「でも、君は話を聞いただけだよね? 一体、何を感じ取ったっていうの」
勇者として共にいたわけではないリョウが、自分たちにしか解らない違和感を抱くことが出来るだろうか。
「上手く言えないけど。……解るんだ」
頷いたリョウは、宙を睨み付け静かに告げる。確かにそこに、澱む何かが
――何処までも、邪魔な奴。
恨みがましい声が聞こえた気がして、リョウを筆頭にミノルとケンイチが顔を引きつらせた。
そして、野次馬は増え続ける。何も解っていない同級生らは、興味津々で真剣な眼差しの彼らを取り囲んだ。
騒ぎが大きくなる中、階段の踊り場でトモハルの様子を見ようとアサギは覗き込む。力なく笑っているその頬に、優しく手を添えた。
「大丈夫、落ち着いて。大丈夫……大丈夫」
それだけだった。アサギがそう告げた瞬間に、脳を圧迫されていたような感覚が消え失せた。急に頭が軽くなったので、唖然としてトモハルは額に手をそえる。
「あ、あれ。……治った」
頬に赤みが戻り、充血していた瞳も通常に戻っている。その言葉が嘘ではなく本心だと見て分かったので、三人は深い溜息を吐くと安堵して緊張を解いた。
「ごめん、心配かけて」
「それは気にするな。でも、一応保健室へ行ったら?」
ダイキに促され、トモハルは顔を顰める。
「大丈夫なのに」
「駄目だよ、念の為。それに、今戻ったら変だよ」
「確かに。……じゃあ、お言葉に甘えて頭痛が酷いことにする」
ユキに支えられ渋々去っていくトモハルを見送り、残されたダイキとアサギは神妙な顔つきで頷き合った。
「どう思う、アサギ」
「解らないけど、なんだろう。……嫌な感じがしたの、とっても」
「俺も思った。まるで、魔物が出現したような」
好奇の目を向けていた生徒たちの輪をすり抜け、リョウたちがいる廊下へ急ぐ。
「リョウ!」
「アサギ」
声に振り返ったリョウが、あどけなく微笑む。
アサギは片手を上げたが、ふと視線を落とすとリョウが羽織っているパーカーのポケットがやんわりと光っている事に気づいた。
「
アサギの視線に気づきながらも、不安を拭い去るように優しい口調でリョウは告げる。
「……私もそう思う」
訝るミノルらをよそに、アサギも神妙に同意した。
キィィィ、カトン。
何か、音が聞えた。
肩を竦め、ミノルは面白くなさそうに唇を尖らせる。そして、何気なく衣服で手を拭いた。
ギョッとした。
尋常ではない汗が吹き出し、濡れている。今になって背筋が凍った。緊迫した空気から解放されたはずなのに、今更怖い。一体、自分達は何を感じ取ったのか。
足元が掬われる思いだ。
「今日、集合しようぜ。ソイツも含めて」
ミノルは、挑むような視線をリョウに投げる。
アサギは困惑した。ミノルをこれ以上“勇者”に繋ぎ止めたくはない気持ちは、変わっていない。
どうにか有耶無耶にしようと口を開きかけたアサギを、察したリョウが腕を伸ばして止める。
「うん、そうしよう。
不安と動揺の色が見えるアサギの瞳に、リョウは柔らかに微笑む。
生徒たちのざわめきは、駆け付けた教師によって蜘蛛の子を散らす様に消えていった。
「学校が終わり次第、アサギの家に集合で」
そう言い残し、ミノルとケンイチも流れるように戻っていく。
アサギはぎこちなく頷き、憂鬱な表情で教室に戻った。
あっという間に一日の授業が終わり、早々に帰宅する。ユキから、『トモハルは元気だから心配しないで。私も今日行くから、後でね』と連絡が届いた。
居てくれるので心強いが、今日はユキにトランシスのことを話したかった。しかし、とても話せる状況ではない。落ち着かない様子で室内を歩き回っていると、リョウが到着する。
「どうしよう、これ以上ミノルに迷惑かけたくないのに」
怯えたように震え本音を告げるアサギを、リョウが慰める。
「気にしすぎ。そもそも今回は、あいつが言い出したことなんだから。迷惑なわけがない」
「そうなんだけど……」
「本当に嫌なら、とっくに辞めてるよ。アサギはもう少し自分に気を遣いなよ」
家で待つ二人のもとに、バラバラと勇者たちがやって来た。
最初に到着したのは、トモハルとミノルだった。自転車をかっ飛ばして来たのだろう、息が上がっていた。吹き出る汗を拭いながら、挨拶をかわす。
アサギの家から一番遠いのがこの二人だが、まさかの到着にリョウは驚いた。
「やっぱりアサギの事、心配なんだ」
こちらを見ないミノルに、リョウは唇を尖らせる。自分が歓迎されていないことは、百も承知だ。
田上家の応接間にオレンジジュースとスナック菓子が広げられ、それらに手を伸ばす。咀嚼音が室内に響くほど、静かだった。
次いでダイキとケンイチがやって来たので、残るはユキのみ。
これだけ揃っているのだからユキが到着するのを待つわけもなく、皆は口々に話し始める。
「こんにちは」
遅れたユキは、気まずい雰囲気を微塵も漂わせず堂々とやって来た。薄桃色のワンピースが、ふわりと可憐に揺れる。遅れた要因は、シャワーを浴び衣服を着替えたからだ。
「いらっしゃい! 可愛いお洋服だね」
「うふふ、ありがとうアサギちゃんっ」
学校と同じ衣服を着ていたアサギを一瞬冷ややかな瞳で見つめ、ユキはにっこりと微笑む。彼氏のケンイチがいるのだから、目いっぱいお洒落をしてきた。
上品にケンイチの隣に座り、オレンジジュースを飲む。エアコンの効いた部屋は快適で、すぐに汗が引いていく。しかし、すでに会話が盛り上がっており、ついていけない。半ば心ここにあらずで俯き、スナック菓子を口に運びながら間を持たせる。
つまらなそうなユキの様子に気づいたトモハルが、機転をきかせた。
「はい、注目ー! ユキが来たから本題に戻そう。まずは……リョウから。アサギから話を聞いているにしたって、なんていうか、こう」
「自分たちと同じ感覚を持っているような……そう言いたい?」
何処か強い口調で、けれども多少遠慮がちになりながら言うと真顔でリョウが言葉を被せる。
「僕も勇者の一員のように、順応してた感じ?」
畳みかけるリョウに、勇者たちは狼狽した。
アサギは不安げな眼差しで、隣の幼馴染を見つめる。普段のリョウは、親しい人物以外に多く語ることはない。まるで、知らない人のようだと少し怖くなった。
「興味がある。今も行き来してるっていう異世界に、僕も行きたい。次に行く時、連れていって欲しい」
語尾を強めたリョウに、トモハルが口を開く。瞳は困惑の色を濃く映しているが、はっきりと言い放った。
「……どうかな、俺たちは勇者だから行けるけど。アサギと親しい人物とはいえ、俺たちの判断で連れていくことは無理じゃないかな。クレロに相談してみないと」
皆も同意する。勇者にそんな権限はない。
けれども、リョウは落ち込む事もなくひどく自信ありげだった。こうなることも予測のうちだったように、一人一人の顔を見た後で溜息を吐く。
「行けると思う、というか、行かなきゃいけない」
覚悟を決めたように唇を噛んだリョウは、パーカーに手を突っ込んだ。何かを引っ張り出すような動作に、皆が注目する。
ユキも周囲の空気に釣られてそちらを見つめた、大したものなど出てこないと思っていた。
「もしかしたら、僕も勇者かもしれないんだ」
リョウがゆっくりと皆の前に掌を出し、意味有り気に指を開いていく。小指、薬指、中指……そこまできて、手の中のモノに皆も気づいた。
驚いたが、声が出てこない。
唖然とそれを見つめながら、それぞれ自分の身体をまさぐる。指が触れたそれらを取り出し、同じように掌に乗せて差し出す。
「勇者の、石?」
絞り出したケンイチの声に、リョウが頷く。
仄かに輝いているそれが普通の石ではない事など、一目瞭然だ。混乱して言葉が出てこず、勇者たちはリョウの石と自分の石を見比べる。
「この間、突然これが目の前に転がってた。気分が悪くなった時だった、家の中でだよ。これがその辺の石でない事くらい、頭痛に襲われてた僕でも解る」
「どういう、ことだ?」
額を押さえながらトモハルがそう呟けば、ミノルが首を横に振った。問われても、返答できない。
リョウが所持している石は、皆が持っている石のどの色とも違う。
「冷静に考えてみたら、これ、石の色でどの惑星の勇者か解るんだよな。ってことは、もしこれが本当に勇者の石なら」
固唾を飲み込む音が、重なる。皆が各々の石を見つめてから、改めてリョウが所持している石を見た。
「……何処の勇者だよ」
ミノルが乾いた笑い声を出す。
皆は押し黙ったが、アサギだけは思い当たる惑星を知っているので弾かれて顔を上げた。
「マクディ!?」
聞き慣れない単語に怪訝な顔を浮かべた皆の視線が、アサギに集中する。その視線に気づかず、口元を押さえ震える。
「マクディしか心当たりが……。でも、あの惑星の勇者だとしたら辻褄が合う気がする」
惑星マクディ、それはトランシスが住まう場所。
勇者たちは、まだ知らない。新たな惑星も、アサギの新たな恋人トランシスも。
キィィィ、カトン。
アサギに質問しようと、トモハルが口を開きかけた時だった。クレロから緊急指令が届き、驚いて仰け反る。脳内を電撃が走り抜ける、というと大袈裟だが、頭上から引っ張られる感じはあまり心地よいものではない。
「心臓に悪い」
ミノルとケンイチが苦笑しつつ、クレロの声を待つ。
リョウには聞こえないが、勇者たちにはクレロの声が脳内に響き始めていた。
『聞こえるか、勇者たちよ。また何者かの奇襲を受けた街がある、調査に来てくれ』
「なんか、特撮もののヒーローになった気分。へんしーん」
冗談交じりにそう言ったミノルは、颯爽と立ち上がると指を鳴らす。
意外に乗り気なミノルに、トモハルは笑いを堪える。しかし、今は遊び半分ではいけないと心を引き締めた。
「会議は終了。ちょど良い機会だ、リョウも一緒に行こう」
勇者たちは、異界へ旅立った。新たな勇者と思われる、