外伝2『始まりの唄』16:離れられない輪の中で
文字数 4,929文字
まどろみながら寝台に横たわり、隣で眠っているアリアの寝顔を見ていた至福の時間を邪魔され、暫し忘れていた苛立ちが湧き上がる。
来訪者とてそれは判っていた、だが一大事。報告しなければ、恐らく首を刎ねられる案件。
「し、失礼致しますトダシリア様。火急の件でございまして……、ただ、その、そちらでは言い辛く……」
面倒そうに起き上がったトダシリアは、傍らの剣を携え扉へと向かう。
人の気配で目が覚めたアリアは、うつろながらも会話を聞いていた。手にしていた剣に一気に脳が冴え渡り、蒼褪め口元を押さえる。しかし、首を刎ねる、というのは杞憂だったようで穏便に済み胸を撫で下ろした。
「イイ子にしてろ、アリア。戻ったら、また可愛がってやる」
アリアを残し部屋を出て行ったトダシリアの表情は、若干綻んでいた。
一体何があったのだろうと思ったが、考えたところであの男が何を考えているのか解らない。一人でいるには広すぎる部屋に取り残され、アリアは深い溜息を吐く。幾度か深呼吸をすると、少しだけ緊張が解れた気がした。
……トバエに、逢いたい。
そう思い蹲るが、汚れてしまった身体でどう会えばよいのか解らなくなってしまった。
ゆったりとした外套を軽く羽織ったトダシリアは、トバエが治療を受けている部屋へと急いだ。邪魔をされることを何より嫌うトダシリアの時間を割いてまでやって来る用事など、これしかない。
そこでは、最新の医術と、古来より伝わっている魔術を駆使し、王の無茶ぶりに応えるべく医師たちが不眠不休で働いている。トダシリアは伝統を重んじる人物ではない、良いと判断したものは、常に新しいものへと取り換えて来た。しかし、新しきものが全て良いとも思っていない。
「驚きました、まさか回復するとは……」
「当たり前だ、あれはオレの弟。あの程度では死なない、死なれては困る」
トバエの腹部には、穴が開いていた。
トダシリアに治療を命じられた者達が、傷口を診て一斉に顔を引きつらせたのは数日前の事。正直、助けられないと思っていた。しかし、やらねば王の機嫌を損ねてしまう。そもそも、この状態で生きていることが異常であり、化け物でも見るかのような顔つきでトバエを囲んだ。
そして、医師達の目の前で彼の傷口は“まるでなかったかのように”塞がり、奇跡の回復力を見せた。兄と同じく、異形だと恐れ戦いた。
「会話は可能か?」
「先程目が開きましたが、言葉は発しておりません」
横たわっているトバエを冷めた瞳で一瞥したトダシリアは、退屈そうに溜息を吐く。体中に包帯を巻きつけて眠っているものの、この男が死の淵にいたとは思えない。
「ふん、相変わらず狡猾な奴」
「アリアはどうしている」
突如上がった声に、その場の全員が硬直した。
だがトダシリアは素早く順応し、その声の主を見つめる。唇の端を意地悪く上げて、何時の間に瞳を開いたのかこちらを見ていたトバエに軽く会釈をした。
「ご機嫌は如何かな、弟よ」
「質問にだけ、答えろ。アリアはどうしている」
おどけた様子で身体を揺らし返答しないトダシリアと、鋭利な刃物を連想させる凍てつく瞳で睨んでいるトバエ。一発触発の空気に、周囲に緊張が走った。
「あぁ、アリアなら今までオレの腕の中にいた。なかなか素直な身体じゃないか、抱き心地は気に入っているよ。上に乗って腰を振るのが好きなようだが、あれはお前の趣味か?」
挑発的な台詞に皆が息を飲む、だがトバエは動じなかった。心中では荒れ狂っているやもしれない、しかし表面には出さない。恨みの籠った眼差しでトダシリアを見つめる。
「お前の目的は何だ。オレが心底憎いことは知っている、だが、他を巻き込むな」
「目的? 言わなかったか、あの娘が欲しいだけだ。お前を生かしたのはアリアに懇願されたからだが……。いやなに、お前からオレに乗り換える様を見せつけてやるのも愉しいかと思って。どうだ、指を咥え妻を寝取られる様子を見ることしかできない状況は? 屈辱だろうなぁ、オレを殺したい?」
言葉を被せるようにトダシリアは口を開くと、晴天のように突き抜けた明るさで答える。
眉一つ動かさず、トバエはそれを見つめていた。
下卑た含み笑いを漏らしながら、小馬鹿にした様子のトダシリアは顎を擦る。
「一石二鳥とは、まさにこの事。さて、アリアの願い通りにトバエをこうして死の淵から救った訳だが。……連れて来て、今ここで抱いて見せようか? お前はどんな顔をするんだろう」
悪趣味だと、軽く医者達が目を伏せる。
けれども、トバエは顔色一つ変えないでいる。何処まで冷静を保てるのか、逆にトダシリアは興味が湧いてきた。平然としている弟に、加虐心が刺激される。
「些かトバエの癖がまだ抜けないが、直にオレ好みに腰を動かすだろう。楽しみだ」
「もう一度訊く、お前の目的はアリアなんだな?」
トバエは、何を言っても動じない。
挑発しても無駄だと解ると、大きく肩で息を吐き軽く額を押さえたトダシリアは、無表情の双子の弟から視線を外すとドアへと向かった。
「煩い、何度も言わせるな。……オレはアリアが欲しいだけ」
おどけることもなく言い放つと、乱暴に扉を閉めて去る。
消えていった双子の兄の背中を睨み付けていたトバエだが、扉の向こうに消えると瞳を閉じた。動きたくとも、まだ身体が追いつかないことは重々承知。こうして言葉を発する度に、身体の内部が軋んで痛む。悟られぬよう、脂汗をかきながら耐えた。
「忘れるなよ。……今の言葉を、絶対に忘れるなよ」
うわ言のように呟いたトバエは、再び深い眠りに落ちていく。
医者達は、怪訝に眉を顰めて目配せをし合った。愛する妻が寝取られようとしているというのに、この男は何が言いたいのだろうと。
トダシリアが部屋に戻ると、アリアが寝台から消えていた。
「おやおや、おはよう寝坊助さん」
喉の奥で哂い、警戒心丸出しで部屋の隅で立ち尽くしているアリアに声をかける。色取り取りのドレスを揃えたが、着用の仕方が解らなかったのか、身に纏っていたのはドレスではなく、湯上り用の外套。最上級の絹で織られたそれは、身体の線を強調してしまう。
「まったく、あざとい。無防備に誘ってやがる……」
すぐに肌蹴てしまう衣装に、トダシリアは満足して顎を擦る。そして悠々と長椅子に腰掛け、多少唇を尖らせながら告げた。
「トバエが目を醒ました。よかったなぁ、アリア」
「ほ、本当に!? 逢いたいです!」
弾かれて駆け寄ったアリアは、そっぽを向いているトダシリアの前で膝をついた。深く頭を下げ、床に額を擦り付け乞う。
そうまでして会いたいのかと苛立ちつつ見下ろしたトダシリアは、カッとなって足を踏み鳴らした。アリアの顔色が、うっすらと桃色に染まっていた。自分の前では一度も見せなかった、満面に喜色を湛えた姿に虫唾が走る。そのまま、蹴り倒そうかとも思った。
「まだ本調子ではない、そもそも、助ける約束はしたが会わせるなどと言っていない。アリア、お前はオレの妻だろう。前の男は諦めろ」
トダシリアの太々しい態度に、アリアは引き下がらずに噛みついた。
「助けていただいたことは、本当に心の底から感謝致します! ですが、私の夫はトバエであって、貴方ではありません。どうか、会わせて下さいっ。お願いします、お願いします!」
酷薄な顔で、トダシリアは容赦なく吐き捨てた。
「そうは言ってもなぁ? この数日、アリアはオレの上で腰を振っていただろ? お前は夫以外の男に馬乗りになって自ら快楽を貪る阿婆擦れなのか? 好きモノめ」
アリアの顔が一気に青褪め、悔しそうに拳を握った。それまで強気であったものの、急に勢いを失くしてしおらしくすすり泣く。
口元を押さえ悔しそうに身体を震わす様子に、トダシリアは性的興奮を覚え喉を鳴らす。喉の奥で嗤い、続ける。
「そうだ、今夜はトバエの前で愛し合うか? どんな反応をするだろうなぁ、お前もトバエも。トバエは嘆き悲しみ自ら命を絶ちそうだが、お前は……悦んで嬌声をあげそうだ。夫の前で別の男のモノを貪欲に咥えこみ、幾度も達し、はしたない声で啼くんだろ?」
声にならない悲鳴をあげたアリアは、頭を掻き毟りながら部屋の隅へと走った。しゃがみ込んで、カタカタと歯を鳴らし丸くなる。瞳には罪悪感と羞恥心が浮かび、真っ赤に染まっていた。大粒の涙が、床に幾つも零れ落ちシミをつくる。
トダシリアの言う事は、真実。
トバエに会いたい、だが、どのような顔をして会えば良いのか解らない。侮蔑の視線を向けるのだろうか、そもそも、もう見捨てられ、あちらは会いたくないかもしれない。そう考えると、アリアは絶望の淵に立たされ死にたくなった。
自分の判断は、間違っていたのではないかと。
部屋の隅で泣き続けるアリアをつまらなそうに傍観し、トダシリアは用意されていたマスカットに手を伸ばす。
「……こちらへ来て、一緒に食べないか。美味いぞ」
ぼそっと呟いたが、聴こえているのかいないのか、アリアが近寄る事はなかった。
艶やかな黄緑色のマスカットは。アリアの髪が陽に当たると、似たような色合いになる。宝石の様に瑞々しく光るそれを、トダシリアは懐かしそうに眺めている。
「あぁ、これは美味しいな。そして、美しい」
本音を吐露するその表情が愁いを帯び、何処か哀しそうなことにアリアは気づかない。
……あの夢と、同じ。何処を捜しても、トバエはいない。もう、会えないのかも。
アリアの心は苛烈な風に吹きさらしとなり、何時まで経っても休まらない。
「こっちへ来い、抱いてやる」
激昂している声にも反応せず、アリアは壁に寄りかかった。痺れを切らしたトダシリアに手首を掴まれ抵抗するも、容易く紐で拘束され寝台に転がされる。
「悪い妻には仕置きが必要と言わなかったか?」
唇を噛み締めキッと睨み付けたアリアだが、いきなり腕に激痛が走った。
「っあっ!?」
ジンジンと痺れ、何が起こったのか解らずトダシリアを見つめる。ニヤニヤと下卑た哂いを浮かべて、手に何かを持っていた。それで叩かれたことは解った。
「馬の躾に使用する鞭だ。ほら、尻を出せ。オレが許すと言うまで、『申し訳ございませんでした』と謝罪しろ」
アリアは、痛みで現実に引き戻された。負けまいとして、「嫌です」と気丈に告げると、寝台から逃げる為に身を翻る。
「……馬鹿な女だな、そんなに仕置きされたいのか? 逃げられるわけないだろう」
ふくらはぎに鞭を叩きこむと、アリアが悲鳴を上げる。それでも、寝台から降りようと身を捩った。
トダシリアは自身の外套の腰ひもを外すとそれで輪を作り、アリアの首にかけて引き寄せる。
「ぅぐっ!」
首が圧迫され、ぐりんと瞳が天井を向いた。
「ほぉら、掴まえた」
嬉しそうに囁いたトダシリアは、ひきつけを起こしそうな勢いのアリアに深い口付けをし、自分の腰の上に軽々と乗せる。
首に輪をかけられ、離れらない。
捕らえた獲物を炯々とした瞳で見据え、トダシリアは怯えるアリアに手を伸ばした。その表情が絶望に変わると、瞳の色を変えて喜ぶ。泣かせる事に興味を持ち、見ているだけで実にスカッとした気分になれると気づいた。
恐らく、トバエが知らない恐怖に怯えたアリアの表情を引き出せたことに優越感を得ている。
「そうだ、その顔だ……。実に艶めいて美しい」
「おねが、や、やだ」
「さぁ、たっぷり出してやるから、受け止めろよ? 共に果てると、子が出来やすいらしい。夫婦らしく、一緒に好くなろうじゃないか」
ガチガチと歯を鳴らして逃げようと狼狽えるアリアに、トダシリアは嫣然と微笑んだ。
「愉しみだな、オレとアリアの子」